シベリアに抑留された日本人は、厳しい寒さのなか強制労働に従事し、
栄養失調や過酷な重労働から6万2000人が死亡した。
http://www.remus.dti.ne.jp/~froggy/siberia3.html
50年代に社会党左派議員団が、ソ連の収容所に抑留者を訪問した。
収容所側は面会の条件として捕虜が政治問題については
発言するのは禁止していた。
面会の席上、尾崎清正元中尉が意を決して立ち上がり、
自分たちの救出のために国論国策を曲げることは
断じて避けて頂きたいこと、われわれは祖国のためなら
甘んじてシベリアの土となる決意であることを表明した。
そして、「日本の青年へ」と題して同様の趣旨の嘆願書を手渡した。
ところが、この議員団は手紙を握りつぶし、
「”戦犯”たちの待遇は決して悪くないという印象を受けた」などと
記者会見を行ったのである。