1: これをピンチと言わずして◆aoV9UPlvFw 2014/05/22(木)20:47:35 ID:unOIN3Bmp
2011年10月、東日本大震災のボランティアとして福島入りした劉強は当時、
「日本や日本人を心から愛する中国人」としてマスコミにも取り上げられた。
ボランティアの任務終了まであと半月となった同年12月18日、
当時の李明博・韓国大統領が訪日し、
日本に慰安婦問題の解決を求めたが、強く拒絶された。
それと同時に日本の国会議員68人が靖国神社を参拝した。
このニュースを見た劉は屈辱と怒りが沸き上がり、
持っていた白いTシャツに赤いマジックで「謝罪」と書き込んだ。
それから1週間、被災者の前では変わらぬ笑顔を見せていたが、
ふとしたすきにニュース画面が頭をよぎった。
福島の左翼の励ましを受け、劉は大胆な計画を立てた。
毛沢東の誕生日で劉の祖母の命日でもある
12月26日に靖国神社に放火するというものだ。
劉の祖母は平壌で生まれ、後にソウルなどに移り住んだ。
1942年に旧日本軍に慰安婦として中国に強制連行され、苦痛を強いられることに。
第2次大戦後、祖母は名前を変えてそのまま中国で暮らした。
1985年に亡くなる間際、数十年隠していた秘密を家族に打ち明けた。
劉は当時、11歳だった。
特殊な家庭環境のせいか、劉は日本に特別な感情を抱いていた。
2005年に初めて訪日した時は早朝の靖国神社で「新四軍軍歌」を熱唱した。
靖国神社に放火するために、ボランティアを装って福島入りしたのでは、
との疑いには「それは違う。自分はずっと日本人と日本軍国主義を分けて考えてきた。
(放火は)突然、思い付いたものだ」と反論した。
事件後、ネットユーザーからは「抗日壮士」「英雄凱旋」と賛辞が贈られた。
だが、劉は「ずっと恐怖に怯えている。
日本のヤクザが中国まで仕返しに来るのではないかと、
しょっちゅう悪夢にうなされている」と語っている。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/383343/
引用元
http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1400759255/l50