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1 :文責:名無しさん 01/10/01 10:38 ID:QeI/GguU

近衛内閣が登場してから1ヶ月後の1937年(昭和12年)7月7日、
北平(北京)郊外の濾溝橋で日中両軍の小さな衝突があった。
これがその後日中全面戦争に発展する発端の「濾溝橋」事件である。
義和団事件をきっかけに
日本軍は1901年以来北平に駐屯軍を置いていた。
7月7日の衝突は
歩兵第1連隊第3大隊の第8中隊(清水節朗大尉以下135名)が
濾溝橋近くで夜間演習を行っているときに起きた。
濾溝橋の近くには宛平県城があり中国軍が駐屯していた。
この両軍が接近したなかで数発の銃声が響く。
点呼をとると日本兵1名がいなかった。
このため第3第隊長一木清直少佐は部隊を出動させた。
しかし、この不明の日本兵は行軍中に道に迷い、
のち部隊に帰還している。
このため日本軍は中国軍の不法射撃を問題にして陳謝を要求した。
歩兵第1連隊長の牟田口廉也大佐は
一木第3第隊長に攻撃命令を出した。
第3大隊は宛平県城近くの龍王廟に駐屯する
中国軍の攻撃にかかった。8日と9日の戦闘で12人の戦死者が出た。これが日中戦争の発端である。たしかに柳条湖事件のような
大がかりな謀略で発生したものではなかった。
この不明兵士の問題が解決した後に戦闘が発生した理由は、
牟田口廉也連隊長や一木大隊長が、軍の面目・威信にこだわり、
不法射撃の中国軍に対して一撃をかませてやろうとした
日本軍指揮官の思い上がりと浅はかさの産物であった。
実際、牟田口廉也はその後1944年に司令官として
無謀なインパール作戦を強行して失敗し、
ビルマからインド東北部で大多数の将兵を死なせている。
一木清直もガダルカナル戦で1大隊で同島奪回のために
アメリカ軍1師団と闘って全滅し、自決した猪突猛進型の将校であった。

●この事件での日本軍のえげつなさは以下の通りである。

現地での停戦協定が成立して中国軍の謝罪と宛平県城からの
中国軍の撤退、および日本軍の濾溝橋からの撤退が
決定していたにも関わらず、近衛内閣は派兵を承認し、
濾溝橋事件を中国の計画的武力抗日であるとした。
これは中国民族への侮蔑意識があり、
中国ナショナリズムへの軽視があった。
しかし、中国は西安事件を境に抗日民族統一戦線を形成しつつあり、
日本軍はこれ以後泥沼の日中戦争へと引き込まれていった。



39 :名無しさん 01/10/02 04:32 ID:4T0zhjW6

いまだに濾溝橋事件の原因は

日本軍にあると

思ってる奴がいるとは



22 :文責:名無しさん 01/10/01 23:51 ID:qbspRV/k

え?共産党の謀略だろ?
うまいことやったよねー。
5 :文責:名無しさん 01/10/01 10:51 ID:/I5BcwwI

>>1
は、なぜこの事件起こったのか知ってるのかな?
結局サヨ思想が引き起こしたのに。


6 :文責:名無しさん 01/10/01 14:53 ID:aLEcgIjI

その根拠の説明希望>>5


10 :文責:名無しさん 01/10/01 17:10 ID:hKF8NUAI

>>6
首謀者がアカにかぶれてて(大正デモクラシー)、
中国共産党のふがいなさに政府を無視して行動した説のことでは?


63 : 01/10/09 04:56 ID:R.C4JLDA

盧溝橋事件で反省とおわびすべきは中国共産党だよ。


11 :文責:名無しさん 01/10/01 19:39 ID:iPCfKKSE

1は濾溝橋事件で日本軍・国民党軍の両者に発砲したのは
中国共産党だということをしらんのか?
事件当時、日本軍は実弾演習をしていなかったし
国民党軍の数は日本軍の10倍近くいたし、
この事件自体わりと早期に沈静化したんでしょ。
日中戦争の引き金はこの事件よりむしろ
第二次上海事変だと思うのだが。


12 :文責:名無しさん 01/10/01 19:54 ID:MNA49/gA

>11
いや、むしろ通州事件がきっかけだと思ったが。


14 :文責:名無しさん 01/10/01 20:06 ID:GlOCIhyA

国民党支配地域で活動してた劉少奇
(後の中共国家主席で、毛沢東に文革で打倒されて
1969年に虐待のうちに死亡)たちが発砲した。


18 :文責:名無しさん 01/10/01 22:38 ID:aLEcgIjI

その不明兵士って、便所に行ってたんだろう?
現場の指令官や牟田口は、中国と戦線を構えたくて
口実を見つけてたんだろう。今回の米国のように。


26 :@22 01/10/02 00:33 ID:O44cHp6U

>>1
当時日本軍は国民党軍と和解の動きもあったが、
共産党軍にしてみるとそれは困る。
日本軍と国民党軍が戦って共倒れするのが一番いい。
発砲は中国共産党によるもの。まんまと踊らされた日本と国民党軍。
日本は敗戦、国民党軍は台湾へ逃れた。
そして、共産党は見事に中国を支配した。


30 :文責:名無しさん 01/10/02 01:02 ID:mc5q7dk.

>>1
あの、中国側は、停戦協定に反して、郎坊事件(7月25日)、
広安門事件(7月26日)を引き起こしていたのは御存知ですか?


31 :文責:名無しさん 01/10/02 01:02 ID:O44cHp6U

>30
もったいぶらずに教えてちょ。


33 :文責:名無しさん 01/10/02 01:19 ID:o1UR/V2Y

>>31
軍用電線工事中などに攻撃された事件等。


62 :文責:名無しさん 01/10/09 04:32 ID:fVqOsPaQ

盧溝橋事件は劉少奇が起こしたものだろ。
いまどき知らない奴がいるのか。


34 :文責:名無しさん 01/10/02 01:21 ID:8i9rCNvo

昭和12(1937)年7月7日の深夜盧溝橋(ろこうきょう)で、
中国側の了解を得て日本軍が演習をしていました。
中国へ日本軍が駐屯していたのは、侵略の為ではありません。
清国が各国に対して(我が国も含む)駐兵権を認めていたのです。
その駐兵権に基づいて駐屯していたのです。
日本人(当時朝鮮人を 含む)を守っていたのです。
その当時蒋介石軍と日本軍は親しくして何ら争いがなかったのです。
深夜突如として日本軍と蒋介石軍に不法射撃をして
姿を消した者があったのです。
両軍は互いに相手を疑い戦争が起きました。
後になって劉少奇(リュウショウキ:中国共産軍)が
スターリン(ソ連)の命令で俺がやったと名乗り出ました。
これが支那事変となり、大東亜戦争にまで発展したのです。


57 :名無しさん 01/10/08 22:08 ID:62Kkwapo

日本軍と中国共産党軍の軍事衝突は55回あり
日本の戦績は51勝1敗3分であった。
だが終わってみれば
日本は負けたことになっている。


68 :名無し 01/10/10 22:30 ID:tvJ/5ME.

>1 点呼でいなかった兵隊は小便していたので、すぐに戻った。
問題無し。 問題は中国軍が機関銃まで撃ちこんできたことだ。

それも翌日も何度も撃ってきた。明白な攻撃である。
日本は1900年の義和団議定書により北京に国際駐留軍に
日本軍を出していた。ほかに米国、英国、フランス、イタリア、ロシアがおのおの数千の兵士を駐屯させていた。各国は戦車も持っていた。
その中で、日本だけを狙い撃ちしたのである。
それは既に1936年12月の国民党と共産党が協力して
日本を攻撃する密約が結ばれていたからだ。国共協力だ。
そして1937年には対日戦用に
上海に陣地がコンクリートで構築された。
八月に日本人居留地を奇襲攻撃する予定だった。
だから7月のろこう橋事件は宣戦布告の無い
対日攻撃の始まりだったのだ。

日本は知らないから現地停戦をした。
しかし蒋介石はなお攻撃をつづけ、7月29日には通州で
日本人婦女子、幼児を含むあの大虐殺をしたのである。
そして8月12日、
上海日本人居留民2万人を20万の大軍で奇襲した。
日本の本国からの応援が来る10日間に
皆殺しにするつもりだったのだ。
それを3千の日本の守備隊が奮戦して、奇跡的に守った。
日本本土からの渡洋爆撃も効果的だったようだ。
日本はやむなく本国から急援軍を送ったのである。
これが日本側の支那事変の始まりだ。


61 :文責:名無しさん 01/10/09 02:59 ID:7n/jCHMg

日本軍って強かったんですね。ちょっと見なおしました。
中国人が日本の憲法九条のことをよく
三蔵法師が孫悟空の頭に嵌めた鉄環に喩えていますが、
彼らは日本人の力を恐れているのですね。
一日も早く憲法を改正して
日本が本来の力を取り戻せるといいですね。


54 :こんな感じか? 01/10/02 23:37 ID:T2R3qqzc


当初は国民党も楽勝と考えてたようだな。
圧倒的兵力、世界中から集めた兵器、
軍事顧問の適切なアドバイス。勝つ筈だ、負けられない...
国内の自称愛国者は反日を叫ぶ

本来なら上海の日本人は全滅してあたりまえだったろうに。
租界防衛の兵隊はよくがんばったと思う。
市街戦そして何重もの塹壕を超えていった。
そして大部隊到着、南京へ...
外国はなぜか中国の暴挙を傍観、それどころか英国は反日を煽る。
香港以西は日本側のニュースはろくに届かなかった。
盧溝橋事件の経緯など知る由もなく世界輿論は硬化した。

上海で勝てると思ってた国民党はさんざん反日を煽ったので
今更交渉しようものなら売国奴。
日本は中国軍を打ち破ったということで勝ったと思ってる...
あとは泥沼...


55 :文責:名無しさん 01/10/03 00:22 ID:SDbHjufY

松井石根の日記によると、どうも、南京を占領すれば、
中国は降参するだろう、と考えてたみたいだね。
首都を攻略すれば戦争は終わり、
みたいな古い考えを持ってたみたい。


58 :文責:名無しさん 01/10/09 02:38 ID:qkq0vI.E

勉強になるスレだ。


69 :文責:名無しさん 01/10/11 02:32 ID:srVzEut.

日本もえげつないが米国もえげつない。


70 :ななしさん 01/10/11 02:37 ID:IAzhUNi2

いえいえ
当時のドイツもイギリスもえげつなかった。

74 :文責:名無しさん 01/10/11 04:19 ID:qB6y1h0Q

えっげつな~




引用元 http://mimizun.com/log/2ch/mass/1001900338/