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1 :日本@名無史さん 02/09/04 22:09

南雲機動部隊についていろいろ語りましょう。


3 :名無し三等兵 2005/06/07(火) 15:37:26 ID:???

米沢藩出身だっけ?

昭和の海軍は長岡藩の五十六といい朝敵が多いなw


30 :日本@名無史さん 02/09/04 23:51

米沢は“米沢の海軍”と言われるように、
海軍の将官を輩出したことで有名。
大将、山下源太郎(海兵10期)、黒井悌次郎(10期)、
中将、上泉徳弥、釜屋忠道、釜屋六郎兄弟、
千坂智次郎(家老・兵部の末裔)、大湊直太郎、
今井信次郎、左近司政三、
片桐英吉、近藤英次郎、小林仁など多数。


62 :名無し三等兵 2005/06/12(日) 17:06:07 ID:???

1929年11月30日 海軍大佐・軽巡「那珂」艦長
1930年12月 第11駆逐隊司令
1936年10月 軍令部第1班第2課長
1933年11月15日 重巡「高雄」艦長
1934年11月15日 戦艦「山城」艦長
1935年11月15日 海軍少将・第1水雷戦隊司令官
1936年12月1日 第8戦隊司令官
1937年11月 水雷学校長
1938年11月15日 第3戦隊司令官
1939年11月15日 海軍中将
1940年11月1日 海軍大学校長
1941年4月10日 第1航空艦隊司令長官
1942年7月14日 第3艦隊司令長官
1942年11月11日 佐世保鎮守府司令長官
1943年6月21日 呉鎮守府司令長官
1943年10月20日 第1艦隊司令長官
1944年3月4日 中部太平洋方面艦隊司令長官兼
                       第14航空艦隊司令長官

11 :日本@名無史さん 02/09/04 22:36

南雲中将はいつしんだの?


14 :日本@名無史さん 02/09/04 22:44

昭和19年 7月 6日 サイパン島

玉砕(万歳突撃)

戦死(享年57歳)


15 :日本@名無史さん 02/09/04 22:48


昭和19年7月8日というのもある(日本海軍将官事典=芙蓉書房)
親戚じゃないから どっちゃでもよいけど。
ちなみに、中将じゃなく戦死で大将ね。


18 :日本@名無史さん 02/09/04 22:58

南雲と山本五十六の仲はしっくりいってなかったんだよね


28:日本@名無史さん 02/09/04 23:09

>>18
結局は現場の人間と指揮する人間の思惑違いと思われ。


151 :日本@名無史さん 02/09/08 13:31

南雲忠一 なんて長男みたいだけど、
実は、14歳年長の徳一郎いう兄がいる。
一応は南雲家の相続人であるけど、生涯、無為徒食で暮らし、
後に隠居して、家督を弟に譲った。
南雲はこの兄の生活の面倒もみたらしい。


37 :日本@名無史さん 02/09/05 00:49

他の将官にも多いが、南雲の長男、進も
駆逐艦「岸波」の甲板士官として敵潜水艦と交戦、戦死している。


39 :日本@名無史さん 02/09/05 07:02

豊田本によると、山本五十六夫人礼子と
山下源太郎の養嗣子・水野知彦大佐は従弟の間柄で、
山本も山下家に出入して教えを請うことも多く、
南雲も同郷の先輩なので頻繁に出入りしており、
二人は若いときから、かなりの交際があった。
水野大佐とは、井上成美が横須賀時代、
水野を訪れた青年士官に塀に立ちションさせた人ね(阿川本では)。


21 :日本@名無史さん 02/09/04 23:07

ミッドウェイでの敗北の原因はどう思う。


42 :日本@名無史さん 02/09/06 07:30

二兎をねらった、

複雑な作戦を立てた

連合艦隊司令部の責任だょ


43 :日本@名無史さん 02/09/06 07:41

黒島がイチバン悪い!
この作戦、軍令部は大反対だったが、黒島ら聯合艦隊参謀ドモが
この案が通らなければ長官(山本)は辞任すると言っている、
とハッタリかまして軍令部を黙らせた。


44 :日本@名無史さん 02/09/06 07:55

↑ 参謀の独断というより

山本自身もその気だった可能性大



47 :日本@名無史さん 02/09/06 12:46

源田や草鹿の責任は?


48 :日本@名無史さん 02/09/06 13:23

>47
南雲艦隊司令部の
草鹿参謀長、源田航空参謀だと知っているよねぇ
だったら責任については、南雲中将同程度だとおもうよ

ダッチハーバー攻撃に二隻の空母を割くという愚を
侵したのも、二兎を追うことにふくまれる

さらに無傷で零戦捕獲されて研究し尽くされて
ガダルカナル戦から影響が出始める。 


50 :日本@名無史さん 02/09/06 15:47

第一航空艦隊は別名“源田艦隊”と呼ばれ、
航空作戦は実質的に源田が握っていた。


64 :日本@名無史さん 02/09/07 07:27

ミッドウエー戦は暗号解読されていたし、
南雲艦隊は、霧中で3回も電波を発射する不始末。
源田参謀肺炎のような症状で攻撃日近くまで臥せっていた。
淵田攻撃隊長は、盲腸炎で今回参加せず
赤城で敵の攻撃ぶりを眺めていた。
山本長官も腹痛だったか、当日は冴えなかった。


49 :日本@名無史さん 02/09/06 14:16

南雲は気の毒だとおもうねぇ。
航空関係はまったく知らないのに、機動部隊指揮官にされて

それに最後は陸上で玉砕させるなんて、ハワイ戦、南太平洋戦で
大戦果を上げた提督に対する偶しかたか。

ちよっとズレるけど大相撲の貴乃花を無理矢理土俵に
引っ張り出して無惨な姿をさらけ出させる
名横綱と歴史に残るはずなのだが何で
引退させないだろう、たにまちが悪か
南雲と同じだ。

53 :日本@名無史さん 02/09/06 17:44

身内には優しく、

部外者(国民&下級者)には

酷な日本官僚社会の見本みたいな
 
心温まるうるわしいエピソードですな~。
 

66 :日本@名無史さん 02/09/07 07:39

南雲にしろ牛島にしろ
欧米流に「民間人を敵の保護に委ねる」って発想は全くなかったの?
「生きて虜囚の辱めを受けず」を市民にまで強要する大日本帝国は
当時の国際社会から見てもまともじゃない。

そういう視点からの論評とかない?


67 :日本@名無史さん 02/09/07 08:09

>>66
>当時の国際社会から見て

といったら、むしろ、欧米列国が植民地の被支配下住民に対して
どんな扱いをしていたかを考えれば、
大日本帝国流の方が自然な考えかと思う。


68 :日本@名無史さん 02/09/07 08:12

>67
66は日本の民間人を指していると思うが?


70 :日本@名無史さん 02/09/07 08:17

>66
今我々から考えると、本当にそうだ
それと日本の指揮官が玉砕の場面に至った場合、
「俺が責任をとる。お前たちは十分に戦ったのだから降伏せよ」
と決断を下すような指揮官が一人ぐらいいても
良かったと思うのだが。

捕虜がたくさん出ると、対応に追われて相手側の戦力が
低下させることもできるとおもうが。


88 :日本@名無史さん 02/09/07 10:39

始めから人種差別反対でなくとも
段階を経てそういう流れが形成されつつあった

そんな時代


82 :日本@名無史さん 02/09/07 10:15

「自然な流れ」などではない。

異常な流れに押し流されていた、

が正しい.

中将という高位にありながら

民間人をろくに保護しなかった

南雲や牛島は

当然非難されて然るべき.



72 :日本@名無史さん 02/09/07 08:44

戦陣訓は全陸軍に対して布達されたもの
民間人に強要すべき性格のものではない。
海軍さえ、その適用外。だから捕虜第一号の酒巻少尉も、
あるのは知っていたがあれは陸軍のものと理解していたという。


81 :日本@名無史さん 02/09/07 10:12

大日本帝国陸海軍も捕虜殺しまくってましたが 。

当の南雲自身、ミッドウェーで撃墜した敵機から収容した捕虜を
惨殺させている。(米内光政・山本五十六スレを見よ)

高橋伝『最悪の戦場に奇蹟はなかった』(光人社)の著者などは
自分の連隊は中国戦線で
捕虜を生かしておいたことはなかったと言っている.

7 :名無し三等兵 2005/06/07(火) 17:08:46 ID:???

ミッドウェーにて、旗艦赤城が沈もうとしているとき、
「源田、水雷艇に移って戦えんかね・・・」と最後までいってた彼は
ばりばりの水雷屋だったよな確か。

チラシの裏)
確かに司令官として判断ミスはあったと思うが、
空母先行させて、はるか後方で大和温存していた
山本長官もあんまりといえばあんまりだ。


33 :日本@名無史さん 02/09/05 00:11

水雷戦術の大家で帝国海軍の次世代をしょって立つと
将来を嘱望された人物。海軍きっての主戦派であったそうな。
開戦反対派の井上成美に「お前を殺すことなど簡単だ」と
言ったらしい。加賀の艦長として連合艦隊を率いたため航空戦術を
推し進めていたような印象があるが実際は根っからの
大鑑巨砲主義者で近代戦に関しての知識はなかったようだ。
事実その命令の殆どは航空参謀が発案していたと言われている。
ミッドウエーの戦犯として凡将との評価を受けているが
専門外のポストにつけた軍令部にも問題があったと思われる。
彼も中央の劣悪な人事の被害者なのではないだろうか。

34 :日本@名無史さん 02/09/05 00:25

>33
開戦反対で殺す、と言ったのでっはなく、昭和8年ごろ、
海軍省と軍令部の職務権限争いや軍令部の名称変更(規定改定)に強硬に反対しハンコを押さなかった井上軍務局第一課長に
ゴウを煮やし「貴様なんか短刀でグサリとやればそれまでだ」と
脅かしたという事件。南雲という人物かなり粗暴なところがある。


35 :日本@名無史さん 02/09/05 00:28

↑軍令部の名称変更>軍令部長⇒軍令部総長などを含む
規定改定案結局、改定されたが。


36 :33 02/09/05 00:33

>>34
ご指摘どうも。しかし南雲艦隊はミッドウェーの敗北さえなければ
連戦連勝なんですがねえ。でもやっぱり実力のない人間が
名声だけ得てしまうとろくなことになりませんな。
サッカーの日本代表にも言える。
あのへたれFWのSとNさえいなければまだ進めたのに!
すれ違いsage


世界で始めて空母機動艦隊を指揮したんだから
失敗はあるだろうなあ。


76 :名無し三等兵 2005/06/14(火) 13:50:53 ID:???

空母決戦なんて日米英の3か国間でしか起こりえない。
大戦以降こんなことありえない。


29 :名無し三等兵 2005/06/10(金) 17:50:01 ID:???

ある本には南雲は水雷屋だから源田とかの意見に
反対することができなかったと書いてあったんだがどうなんだろ


33 :名無し三等兵 2005/06/10(金) 23:44:22 ID:???

>>29源田でしょ?
真珠湾の第二次攻撃を止めさせたのは?


35 :名無し三等兵 2005/06/11(土) 00:00:41 ID:c5SUabZU

>>29
真珠湾攻撃ポイントに来て南雲が源田に放った一言
『私は艦隊をここまで無事に連れてきた。ここからは君の仕事だ。』

なんだよ、その言い草は。


48 :名無し三等兵 2005/06/11(土) 19:42:12 ID:???

>>47
源田氏は自著「真珠湾作戦回顧録」で、再攻撃を進言などしていないし
赤城艦橋でそんな議論もなかった、と言ってるけど。


50 :名無し三等兵 2005/06/11(土) 22:42:47 ID:???

>>47
>雷撃機・突入せよって意味だよな、たぶん。
確か違う。「ト」が突撃は合ってるが。
「ラ」はアルファベットのSの意味でsucceededの頭文字。
で、「突撃成功」って意味だったはず。ソース失念。


65 :名無し三等兵 2005/06/13(月) 23:53:07 ID:2Cm2+P18

攻撃順番が奇襲成功の場合は、雷撃→急降下。で

「ト(ツゲキ)ラ(イゲキ)」

強襲になった場合は、急降下→雷撃。

「ト(ツゲキ)キ(ュウコウカ)」

39 :名無し三等兵 2005/06/11(土) 13:28:33 ID:???

ミッドウエーの敗戦で計画された雲龍型空母15隻建造は
アメリカ以外じゃ無理だと思う


40 :名無し三等兵 2005/06/11(土) 13:32:29 ID:QecapQ8Z

そんなに造ってもパイロットいるかはなはだ疑問


41 :名無し三等兵 2005/06/11(土) 13:40:18 ID:XeN89B41

てか、熟練した機関兵も足りないだろう。
忘れがちだが、大型艦船用機関を運転するのは、
相当技術が必要だぞ。臨時召集の少年兵や老人では・・・故障続出


72 :名無し三等兵 2005/06/14(火) 02:07:58 ID:QJrJlak8

歴史的な海戦で帝国海軍は同じミスをした。
ハワイとミッドウェイ、どこにいるか分からない
米空母の影に幻惑されたということ。
どちらも空母は存在していた。

太平洋戦争以来、空母決戦は無い。
いかに大日本帝国海軍が凄かったか、
負けて強しと米軍は今でも思っているだろうな。


77 :名無し三等兵 2005/06/14(火) 14:59:40 ID:QJrJlak8

>>75 >>76
確かに、それはそうだね。

当時、空母決戦が出来るほど日本海軍は凄かったわけだ、
問題はそういう戦術的先進性を持っていたのに、
生かしきれないもどかしさなんだよなぁ~

それは現代でも共通する病かも知れん。
先進性と潜在能力を持っているのに
官僚主義が、その能力を減殺してしまう。

米国が超大国に成り得たのは、
日本とドイツを取り込んだからだといわれる。
結果として日本の先進性は米国に引き継がれて
活かされたと言えなくもないかな?


78 :名無し三等兵 2005/06/14(火) 16:22:00 ID:???

>>77
凄かったのは組織としての海軍でなく、
一人一人の日本人です。

故坂井三郎氏がこんな言葉を残しています。

「こんなに大きな、資源があり余る国と戦って勝てると、
なんで思ったのか。なぜ、海軍上層部は、『勝てません』と、
はっきり言わなかったのか。戦略、戦術以前の問題…。
あまりにもばかばかしくて…」

海軍にどれほどの利益をもたらしたか解らない優秀な下士官が
海軍兵学校を卒業していないという理由で、
その戦歴に関係なく特務中尉どまりで、
机上の空論ばかりの将校の駒となるのです。

米戦闘機パイロットの多くが将官クラスでした。
米国大統領は実戦を経験した方が多いようです。

現在の米国の強さはそのあたりのシステムにあるのかもしれません。
戦後、参議院議員を務めた故源田実氏は
そこに気づいていたのではないでしょうか。

63 :日本@名無史さん 02/09/07 04:24

アメさんにおいては、海軍士官は基本的に少将止まりで、
職務につくときその職務にあった階級になるそうです。
ちなみに南雲さんにやられたキンメルさんは、
太平洋艦隊指令長官を罷免されたとき少将に戻り、
少将だったニミッツさんが長官になって
その職務の階級である大将になりました。


136 :名無し三等兵 2005/08/17(水) 20:06:18 ID:xvBIDKZ2

南雲忠一の評価はよく解らないけど、
結果だけを見れば必ずしも駄目な将とは言い難い気がする。

ハワイ海戦で第三次攻撃隊を出さなかったとか、
米空母が無傷だったとか言われるけど、
ハワイ海戦の結果だけを見れば大勝である事には間違いがない。
米世論を怒らせたり、米空母を取り逃がす事になったのは
山本の戦略的ミスだと思う。
確かにミッドウェー島沖の戦いでは碌な結果を残さなかったが、
第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦では
マシ(あくまでマシ)な結果を残してる。

軍歴だけ見ると/◎○△×の四段階評価
○ハワイ海戦
○セイロン島沖海戦
×ミッドウェー海戦
△第二次ソロモン海戦
○南太平洋海戦

139 :名無し三等兵 2005/08/20(土) 19:38:02 ID:jNbhADij

以前大和ミュージアムに言った時に、
連合艦隊の模型が展示してあるところで
ご主人が赤城に乗っていたというお婆ちゃんに会いました
そのお婆ちゃんは南雲さんはミッドウェーの後、
左遷されて気の毒だったと言っていました
私はお婆ちゃんの人の良さに複雑な思いでした


140 :名無し三等兵 2005/08/22(月) 16:12:26 ID:???

左遷されてないされてない



141 :名無し三等兵 2005/08/22(月) 17:25:23 ID:???

異動されたのは南太平洋海戦の後だし、左遷でも無い。

56 :日本@名無史さん 02/09/06 19:00

サイパンで料理屋をやっていて最期近くまで一緒にいた
高橋市太郎の伝える南雲の最期。
南雲は岩の上に腰をかけて手帳に鉛筆を走らせて、
部下に与える最後の訓示を・・・。
その後、襟章をむしりとって洞窟内で火をつけた。
戦闘帽も黒線のついていない兵士用をかむり拳銃を構えると
米軍陣地に向かった。「バンザーイ」「ワッショイ、ワッショイ」
「突っ込めー」撃っても撃っても押し寄せるので、
米軍も一時はタナバグの南まで後退した。
万歳突撃が終わったのは7月9日だという。
この場面、映画「大日本帝国」であったね。


116 :日本@名無史さん 02/09/07 19:15

自決していたんですね。

有能無能は別にして、

昔の人は偉いね。

今の「団塊リーダー」じゃ

考えられんな。


引用元 http://mimizun.com/log/2ch/history/1031144960/
      http://mimizun.com/log/2ch/army/1118125813/