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1 :風林火山 ◇ ◆qR1zdW0bl6 03/05/03 09:09

稲目の先見性
馬子の外交術
蝦夷の日本人らしさ
入鹿の無謀人生   
蘇我氏はみんな個性的で最高ですね


88 :日本@名無史さん 03/08/30 00:14

河内石川で周辺の渡来人の力を吸収してきた蘇我氏。
でもすぐ北には物部氏の大勢力があって、それにも限界がある。

稲目は天皇家への接近をはかるために、大和へ進出したかった。
そのために、畝傍山の東南一帯、今の欽明陵古墳あたり(坂合)を
本拠地にしている境部氏の女を妻にした。

摩利勢は葛城系の母をもつ馬子とは異母兄弟。

947 :日本@名無史さん 2008/03/21(金) 14:32:18

乙巳の変が無ければ、

その後の歴史も変わってただろうな

290 :日本@名無史さん 04/12/01 19:57:23

蘇我氏自体は倭人だと思う。
渡来系の子分とくっついていただけだと思う。


291 :日本@名無史さん 04/12/01 20:29:53

そんな当たり前のことを・・・・。
土着の氏族以外は諸蕃に分類されるのだから、
倭人であることは当時からすでに常識。
当人である蘇我氏自身も周りの関係者
(土着系からも渡来系から)も倭人認定。
周りからも何の異議も挙がっていないから、
それが当時の共通認識だろう。

渡来人だと主張している人は
ごく最近になってから出始めたに過ぎず、
信証拠も信憑性がいまいち。


6 : 03/05/03 10:45

馬子、蝦夷、入鹿とか蔑称めいたものが多いな。

当時からこの名称なのか?

あるいは逆族ゆえにこのような名称が後からつけられたものか?


7 :日本@名無史さん 03/05/03 11:35

柿本人麻呂も帝の不興を買って
柿本佐留(さる=猿)に改名されたようだからな。
死後馬だの海老だにされたフシはある。

ちなみに蝦夷は海老で、熊襲は勿論熊、そして隼人は隼。
これは陸海空の鳥獣に当てはめて並び称されていたようだ。
熊襲は文化的にも殆ど隼人と変わらないのに、
わざわざ別な「生物」である事を強調されていたのは、
大和が自分たちを支那人のように、
「数多くの野蛮人に囲まれている文明人」として
自ら演出する為の必要性があったからではないだろうか。
閑話休題


14 :日本@名無史さん 03/05/09 01:23

高校の日本史の授業で、蝦夷、入鹿は
藤原氏によりつけられた蔑称であり、
蝦夷は毛人(読みはえみしだと思う)、
入鹿は鞍作が本名だと聞いた。鞍作は学問的にも優秀だったとも。


10 :日本@名無史さん 03/05/03 18:43

蘇我稲目は二人の娘を欽明天皇の後宮に入れ、
皇子や皇女を産ませて、朝廷の屯倉開発にも携わり、
渡来してきた賢人たちをも自分の派閥に組み入れ、
蘇我氏権力を確固した偉大な人物。

後を継いで大臣となった子の蘇我稲馬子も十ニ位冠制とか
十七条憲法とか作成。
しかし、>>6のいうように、稲目とちがって馬子の名は蔑視的か??


44 :日本@名無史さん 03/07/03 03:03

もう過去に何度もレスし尽くされているが
韓子、高麗、馬子、蝦夷、入鹿
いずれも当時よくある名で蔑称でも何でもない


8 :日本@名無史さん 03/05/03 18:38

蘇我入鹿から3代前の稲目から、
蘇我氏は突如として歴史の表舞台に台頭してくるのですが、
その父の名前は高麗(こま)。そして、高麗とは
「日本書記」ではまさに高句麗を意味する言葉。

蘇我氏周辺の様子は、あまりにも高句麗色に満ちています。
例えば、稲目の子、蘇我馬子が建立した法興寺(飛鳥寺)の
建築様式は高句麗的ですし、それに稲目は、
戦争によって捕虜になった高句麗女性を大伴狭手彦という
武将から奉られています。

仏教に傾倒していたと言われる蘇我氏ですが、
高句麗の国教こそが仏教であるという
事実も見逃すことができません。
自分たちの先祖が仏教徒だから、
蘇我氏は仏教を受け入れやすかった。
そう考えて間違いないと思います。

81 :伊予の介(空蝉の君の旦那) 03/08/25 11:36

蘇我高麗は朝廷の金庫番をしてた訳だが、
裏金でも作って朝臣を買収しまくって基盤を作り、
稲目がその人脈を発展させたんだよね。


19 :日本@名無史さん 03/05/18 07:52

あたしのすきな蘇我日向ちゃんいついてはどうかしら?


29 :日本@名無史さん 03/05/30 03:13

蘇我日向のチクリで蘇我石川麻呂宅に出兵が決まって
それを解決するために
石川麻呂が首をつったって日本史でならったな

日向=チクリ魔


28 :日本@名無史さん 03/05/28 16:46

蘇我日向 is No.1


39 :日本@名無史さん 03/06/15 13:31

蘇我の系図につながる末流って今もいるんですか?


63 :日本@名無史さん 03/07/26 22:47

蘇我満智のお父さんが

武内宿禰ですね。

武内宿禰→蘇我満智→韓子→

高麗→稲目→馬子→蝦夷→入鹿


101 :日本@名無史さん 03/09/16 13:48

天智天皇て、蘇我氏の誰かでない?
聖徳太子て、蘇我の馬子の事でない?


131 :日本@名無史さん 03/12/16 21:30

>>101

聖徳太子=馬子の子

善徳説は聞いた事がある。


146 :日本@名無史さん 04/01/02 23:17

>>131
以前、法隆寺展だったか、展示品の中に
小さな蘇我善徳の像があったぞ。これかな?


957 :日本@名無史さん 2008/10/13(月) 14:44:06

馬子の長男は「善徳」。「蝦夷」とはえらい違いだ。


959 :日本@名無史さん 2008/10/13(月) 18:37:08

>>957
「善徳」は法名。

日本で初めて出家をした善信尼にみられるように
尊語の漢字で法名を定めるのは中国や百済の影響で
日本においても仏教伝来当初から行われていた。
ちなみに、善信尼の出家前の名前は「嶋」。

馬子の長男は庶子であったために仏門に入れられていた。
次男の蝦夷は馬子の正妻であった物部守屋の妹を母とし
馬子の嫡子だった。


128 :日本@名無史さん 03/12/08 01:17

入鹿の血ってほとんど物部!

稲目━━┳馬子  
女子━━┛ ┣━━蝦夷(1/2※)   
尾輿━━┳女子   ┃
女子━━┛      ┣━入鹿(3/4※)  
尾輿━━┳石上贄古┃ 
如波流姫┛ ┣━━鎌媛
尾輿━━┳布都媛
阿佐姫━┛


144 :日本@名無史さん 04/01/02 13:39

>>128
物部氏は、天皇家より由緒古いとも云われる本邦第一の大族だった。
いまいちマイナーな存在、物部氏について語るスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1029739403/l50


142 :日本@名無史さん 04/01/01 17:10

平安朝初頭まで、朝廷に残存していた蘇我氏後裔の石川氏は
何処に消えたんだろ。
藤原氏の他氏排斥暗躍史には、名がでてこないが。


143 :日本@名無史さん 04/01/01 18:24

>>142
奈良時代末期に石川石足が右大弁になったのを最後に
政権中枢には石川氏の名前が見られることはなくなったようですね。
その後「石川」から「宗岳」に改姓しましたが
二度と議政官を出すことはなかったようで、
歴史の中に埋没していったようです。

『今昔物語』のなかに
宗岳氏の娘の不幸な物語があったのではなかったかな


221 :日本@名無史さん 04/05/18 02:16

蘇我氏って奈良時代までは歴史の表舞台に
立ってたんだよな。その後は?
あと、千葉市の蘇我とは関係あんの?

222 :日本@名無史さん 04/05/18 08:17

>>221
>>142-143で既出。

千葉県の蘇我との関係は私も気になってるが。
但し、あそこ埋め立て地だと思うので、
実はそんなに由緒はない地名なのかも知れない(汗


224 :日本@名無史さん 04/05/18 18:42

>>222
前にそのこと質問したことあったけど
関係あるみたいだよ
蘇我神社みたいなのがあるらしいけど
そのあたりは蘇我部だったのだろう


223 :日本@名無史さん 04/05/18 17:50

蘇我の語源は菅で、スガ、スゲ、ソガなど類似の地名は
全国にたくさんあると思われ。中には蘇我氏の部曲の名残りも
あるかも知れないが、ほとんどの場合、別に相互に歴史的な
関係があるわけではないだろうな。


234 :日本@名無史さん 04/06/29 11:33

住友財閥の創始者は蘇我理右衛門。
これは蘇我氏の子孫なの?


236 :日本@名無史さん 04/06/30 23:33

蘇我理右衛門(1572年~1636年)
この頃、蘇我という名字は特別な意味を持っていたの?
つまり古事記・日本書記的な知識はどの程度広まっていたの?


250 :日本@名無史さん 04/08/24 20:34

どうして天皇でもない蝦夷が
「天皇記」「国記」を持っていたか、それが謎だ。


251 :日本@名無史さん 04/08/24 23:08

聖徳太子と蘇我馬子の共著だろう。
多分、執筆中に太子も馬子も恐らく献上するはずだった
推古天皇も死んで宙ぶらりんになっていたのでは?


961 :日本@名無史さん 2008/11/18(火) 21:49:08

蝦夷って目立ってないよね?

まるで偉業を「誰か」に

取られたみたいに。


962 :日本@名無史さん 2008/11/18(火) 23:41:03

偉業なんて、そもそも無いんだろう。
軽皇子も一枚噛んでたみたいだし
外堀を埋められてるのに気がつかなかったのはちょっとね。


964 :日本@名無史さん 2008/11/25(火) 13:13:44

蝦夷も自殺じゃなくてどこかに落ちのびて、
余生を全うすればよかったのにね。
そうすれば聖徳太子と蘇我氏で書いた
歴史書も焼けずにすんだのに。


364 :日本@名無史さん 05/01/03 00:51:12

ところで、聖徳太子の子孫って全く残ってないん?

366 :日本@名無史さん 05/01/03 14:58:27

>>364
厩戸皇子(聖徳太子)の子供は
蘇我入鹿に攻められたときに全員死んだとされていたのでは。
厩戸皇子の弟・麻呂子皇子の子孫と称している
一族がいたようないなかったような。


367 :日本@名無史さん 05/01/03 23:48:31

聖徳太子の兄弟の子孫
当麻皇子(麻呂子皇子) → 当麻真人
→高田氏(大和)・都留氏・功力氏(甲斐)など

来目皇子 → 山村王・登美真人 → 山中氏?

殖栗皇子 → 蜷淵(ミナブチ)真人

聖徳太子の子孫を称する氏族に、猿丸氏が知られる。
太子の孫・弓削王が独り死せずして、難波芦屋に逃れ、
猿丸大夫を号したと云う。猿丸氏はその末裔と。
(姓氏家系大辞典の猿丸条を参照)


345 :日本@名無史さん 04/12/31 21:26:15

>>327
>この有様を見た古人皇子は、一目散に逃げ帰り、
門を閉ざして閉じこもった..

古人大兄が語ったという「韓人が鞍作を殺した」を、
文字通りに読めば中大兄は欽明の曾孫ではなく、
渡来人の一世かその子孫になるのだが。


346 :日本@名無史さん 04/12/31 22:46:42

>>345
確かに気にはなっているが・・・
今風に言えば「外国人が蘇我入鹿を殺した」と言っているわけで。
ただ、事件は外国の使節が貢ぎ物を持ってくるセレモニーの中で
起きたので、違った見方もできるのだが。


347 :日本@名無史さん 04/12/31 22:52:57

当時の出席メンバーに、葛城皇子は含まれていなかった。
また、中臣氏も崇仏論争時に勢力が衰えており、
やはり蚊帳の外だった。

もちろん子麻呂や網田が警備工作をしているとはいえ、
外国使節団に似せた格好でなければ、
殿中に紛れ込めなかったのではないか。


348 :日本@名無史さん 04/12/31 23:25:44

>>347
外国使節団が殺したと受取ったなら、
門を閉ざして閉じこもる反応は取らないだろう。

自派の者へ、犯人の外国使節団の捕縛や
殺害を命じるはずではないか。宮廷内クーデターと理解し、
己への危害も懸念されたわけで、
入鹿殺害の首謀者を非入鹿派の勢力と理解した。

蘇我氏近縁で次の皇位有力候補の古人大兄が、
自派の対抗政治勢力に無智だったわけはない。

身分は離れていても廷内に入りうる
殺害実行犯には面識があったろうし誰の息のかかった者かも
普段の行動から察しがついた上での篭居と発言だろう。


352 :日本@名無史さん 05/01/01 00:23:22

>>347
>出席メンバーに、葛城皇子は含まれていなかった...
否、中大兄は怖気づく佐伯連子麻呂らを叱咤して、
共に入鹿に斬りつけたのでなかったか。
中大兄皇子 626~671 

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/tennji.html


353 :日本@名無史さん 05/01/01 00:56:41

>>352
伝えるところによれば、陰に潜んで襲うタイミングを見計らっていた。
つまり、本来の出席者には含まれていない。


349 :日本@名無史さん 04/12/31 23:33:52

>>348
それはもっともだが、
実行犯は外国人で黒幕は「やつら」と解釈したのでは
という解釈だった。確かに、あなたの解釈の方が辻褄が合っている。


854 :日本@名無史さん 2007/06/18(月) 09:26:39

法隆寺の夢違観音像のモデルで在られる崇峻帝の暗殺、による
日本国家の再生、確立つまりキリストの磔と復活に蘇我馬子は、
なぞらえて、仏教景教の導入により、日本国家を鎭護せしめた。


855 :日本@名無史さん 2007/06/18(月) 09:30:41

そんな寺で暗殺計画練ってたら、
蘇我に情報が漏れまくりだと思うが成功してる。
不思議だ。


856 :日本@名無史さん 2007/06/18(月) 09:31:15

仏教伝来のときに大臣であり、
仏教導入を最初に進めたのは、馬子の父稲目のはずだが。
キリストなんぞ、関係なし。


857 :日本@名無史さん 2007/06/18(月) 09:35:20

計画を練ったのは、多武峰の談山神社。


858 :日本@名無史さん 2007/06/18(月) 09:37:56

暗殺計画ねってたのは、不比等の所領(今の談山神社)だろう。
飛鳥の地を出た、山の中だよ。

飛鳥寺でねってたなんていう史料が、あった?
入鹿暗殺後、中大兄皇子がすぐさま兵を率いて
飛鳥寺に入ったのは事実だが、
母皇極天皇がいる板葺宮を戦場にしてはならない以上、
当時の飛鳥で、王宮でも蘇我氏の屋敷でもなくて、
立てこもれる建物といったら、あそこぐらいだろうが。


861 :日本@名無史さん 2007/06/18(月) 18:58:45

談山神社は大化の改新の時代には存在しないのでは?


862 :日本@名無史さん 2007/06/18(月) 19:17:01

>861
多武峰のあたりに、鎌足の所領があった。
そこに行って、密談していたんだよ。
当時はまだ、神社はなかったがね。
山中なら、大丈夫。飛鳥からは結構険しい道のりだが。
鎌足の長男が、のちに父の所領に寺を建てたのが、
のちに談山神社となる(明治になるまでは神仏習合だった)


865 :日本@名無史さん 2007/06/18(月) 21:14:06

寺は軍事要塞だからね
中臣などの神祇氏族が寺を建てるのも、
財政、軍事、学問上の必要があってのこと
山背大兄王の斑鳩寺も軍事基地だったし


867 :日本@名無史さん 2007/06/19(火) 09:08:35

寺が武装するのはもっと後の時代だから、
蘇我氏といえども、氏寺に兵はおいてなかったんじゃないか?
飛鳥寺は、蘇我氏と縁の深かった天皇家の庇護も受けていたし、
蘇我氏という一豪族の私有物というよりも、
あたかも公共の建物のような位置づけだったと思うのだが。


85 :日本@名無史さん 03/08/27 09:15

テロで政権を奪取した中大兄皇子は卑劣な奴だな。
その治績には見るべきものはない。
ただ混乱をもたらしただけ。
蘇我時代の絢爛たる文化はいまも日本人の心のふるさとだが。


921 :日本@名無史さん 2008/02/28(木) 23:58:24

皇族などの殺害を

繰り返していたのは蘇我氏。

その蘇我氏の征伐がテロ行為かい。


922 :日本@名無史さん 2008/03/01(土) 05:49:53

皇族って誰のことなのか詳しく聞きたいな


923 :日本@名無史さん 2008/03/01(土) 16:41:46

蘇我氏の皇族殺害

(今、思いついたものだけ)

崇峻天皇殺害

穴穂部皇子殺害

山背大兄王殺害

宅部皇子殺害

924 :日本@名無史さん 2008/03/01(土) 17:18:25

崇峻天皇については暗殺だわな

だけどそれ以外はすべて戦をして攻め滅ぼしている
つまり皇子の側が弱すぎて蘇我氏に負けたわけだ
蘇我氏が物部氏を滅ぼしたのと同じテロなわけがない


925 :日本@名無史さん 2008/03/01(土) 17:23:04

おそらく中大兄皇子や中臣鎌子が
蘇我蝦夷、入鹿親子と対等に戦をしていたら負けていただろう
そこで思いついたのがテロ(暗殺)
武器を持たず一人になったところを見計らって殺すやり方
蘇我氏は意外に正当なやり方で敵を滅ぼしているよ
入鹿殺害のことは皇極天皇すら知らず
天皇はショックで位を去っているしな


926 :日本@名無史さん 2008/03/01(土) 18:37:54

入鹿暗殺は新羅の金春秋の話の改変らしいから
実際は古人大兄のいうように韓人による
大義名分のない卑劣なテロでいいと思う


927 :日本@名無史さん 2008/03/01(土) 21:45:09

蘇我氏による数々の皇族殺害は事実。
それを否定するのは
「本能寺の変で明智光秀は織田信長を殺害していない!」
「正当な戦闘で戦死させたのだ!」
というようなもの。 


991 :日本@名無史さん 2009/02/14(土) 20:41:07

崇峻天皇暗殺に関して
馬子が何ら処罰を受けていないのはどういう事?


992 :日本@名無史さん 2009/02/14(土) 21:31:46

>>991
実は裏で大后炊屋媛(のちの推古天皇)が糸を引いていたから。
日本書紀では蘇我氏の悪事の一つに宣伝しすぎだけど、
結局は天皇家内部の政権争いにすぎないよ。


993 :日本@名無史さん 2009/02/14(土) 21:36:44

>>992
むしろ、馬子が推古帝の糸を引いていたからという方が
現実に近くはあるまいか


434 :日本@名無史さん 2005/09/16(金) 19:08:15

稲目の曾曾曾孫が

蘇我宗家滅ぼしちゃったってのも

皮肉な話だね…。


466 :日本@名無史さん 2005/11/21(月) 09:37:27

天皇家を凌ぐ豪族が入鹿を殺されただけで滅亡というのもなぁ。


555 :日本@名無しさん 2006/03/21(火) 00:54:25

遠山の主張する「王権あっての蘇我氏」に対して、
「蘇我氏あっての王権」を主張している。
「大化改新は蘇我氏のやろうとしたことを
中大兄皇子らが横取りしたもの」という
松本清張の主張を新たな視点から跡付けた。
なかなか説得的。


566 :日本@名無しさん 2006/03/23(木) 01:24:24

水谷千秋も引用してる推古の言葉、「朕は蘇我より出でたり。」
まさに「蘇我氏あっての王権」だったんだ。


617 :日本@名無史さん 2006/03/29(水) 14:26:44

継体、安閑、宣化、欽明は、蘇我氏と関わりが深い天皇
とくに欽明天皇に対して、蘇我稲目は娘を二人も嫁がせており
稲目の娘達が産んだ皇子・皇女が、用明、崇峻、推古天皇と
3人も天皇になっている事から、蘇我氏を語る上では
継体、安閑(架空)、宣化(架空)、欽明を語る事は非常に重要である
そして蘇我系天皇が3人も続いて出た事が、
蘇我氏の繁栄の基となったと考えられる


644 :日本@名無史さん 2006/04/03(月) 01:04:54

蘇我蝦夷が山背大兄王を天皇に即位させていれば
蘇我宗家、蘇我上宮王家、蘇我境部家、蘇我倉山田家が
対立し滅びる事もなかった

蘇我稲目や馬子と比べると、蝦夷と入鹿は思慮が足りない馬鹿者達


791 :日本@名無史さん 2007/02/06(火) 09:48:59

蘇我系王族集団である上宮王家を滅ぼした時点で
蘇我本宗家の滅亡は必然だったろう
まあ本宗家滅亡に手を貸した蘇我倉山田家も
滅亡してしまったがな

蘇我上宮王家滅亡
蘇我本宗家滅亡
蘇我倉山田家滅亡

これで用明系王統は完全に王位から見放され
蘇我氏も衰退して敏達系王統と藤原氏の天下になった


928 :日本@名無史さん 2008/03/01(土) 22:03:13

蘇我氏が気に入らない相手を誰でも暗殺など用いなくても
殺せる状況にあったことが蘇我氏専横の証。
強大な力を握り専横の限りを尽くす蘇我氏を排除する
には暗殺という手段しかないのはむしろ当然といえる。


372 :日本@名無史さん 05/01/05 23:52:38

蘇我氏が衰退し、歴史の流れに消えていったのはたぶん必然だろう。
あれほど内部抗争が激しくては権力を維持し続けるのは無理だ。
しかし、入鹿が暗殺を巧妙にくぐりぬけるか、
蝦夷があっさりあきらめなければ
蘇我王朝が誕生した可能性はあると思われ。
その場合、日本史は全く違うもの、つまり王朝が交代するのが
当然の国になっていただろう


引用元 http://mimizun.com/log/2ch/history/1051920599/