ブログ用52

1 :本当にえらっかた!! 2001/03/07(水) 15:58

木戸幸一などの例外を除き明治を作った元勲たちは
政治権力の世襲を行いませんでした。


2 :日本@名無史さん 2001/03/07(水) 16:00

何で木戸幸一が例外なの?


4 :日本@名無史さん 2001/03/07(水) 16:09

木戸幸一は、木戸孝允の孫だからでは?
他の元勲の子孫は、政治の中枢には関わらなかったからね。


6 :日本@名無史さん 2001/03/07(水) 16:15

世襲の弊害を知っていたのかね。
しかし、藩閥系に対抗していた筈の政党勢力が、
結局世襲的になってしまったのは皮肉だね。
5 :世界@名無史さん 2001/03/07(水) 16:11
 

木戸幸一は桂小五郎の孫(養子の子だけど)だから
権力の世襲だ、と言いたいんじゃないかな、たぶん。

でも牧野伸顕だって大久保利通の子供だったりするんだが。
これも権力の世襲では・・・。あ、「など」に入るのか?

7 :  2001/03/07(水) 16:27

山縣有朋は何故に権力の世襲を行わなかったと訊かれ、

「自分たちはそういう世の中(江戸時代)を否定したかった」

と答え

「自分たちが、また、その様なことをするとしめしがつかなくなる」

と言ってたらしいのです。
これが事実であることを望みたいものです。
確かに、伊藤や山縣の子孫は?と問われても
全く頭に思い浮かばない。

9 :日本@名無史さん 2001/03/07(水) 16:51

>>7
でも維新の勝ち組みって、軒並み華族で
大富豪になってたんじゃないの?


11 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 04:49

>9
言われてみればそうだな 
元勲の直系は世が世ならば華族・貴族院議員様だ

10 : そがのうまこ 2001/03/07(水) 17:01

大富豪なったから精神的に余裕がでたのだろう。
政治権力を今みたいに独占してない、
それはそれで確かに潔いと思います。       


68 :日本@名無史さん 2001/03/16(金) 12:38

元勲たちは権力の世襲を完全に否定したわけではない。
つまり華族制度をつくって
自分達の子孫を世襲の特権階級に置いた。

四民平等とかいっておきながら、
これは明かにそれに矛盾した新しい身分制度だ。
そしてその華族達が貴族院で議席を持っていた以上、
権力とも無縁だったわけではない。


8 :日本@名無史さん 2001/03/07(水) 16:28

司馬史観のドキュンだな。
日本とアジアを戦乱に叩きこんだ明治の指導者が
「偉い」わけないだろ。


12 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 04:54

>>8
当時のアジアは平和だったと?
当時は植民地主義の全盛期。まさに食うか食われるかだった。
富国強兵もいわば必要悪だった。


13 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 05:05

>>12
戦前の世界は協調の方向に向かっていました。
その協調を揺るがしたのは日本の帝国主義であることは、
学会でも通説です。


15 :12 2001/03/08(木) 05:31

>>13
当時の帝政ロシアが協調的だったとは到底いえない。


17 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 06:34

>>13

よくそんな嘘を公然とつけるな。
協調といっても単なる持てる国の既得権益維持だろ。


19 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 09:29

>>13

白人同士で

仲良くしようよって話だよ。

特に欧州王室同士でね。
         

18 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 06:58

そのへんはちょっと微妙で、
第一次大戦でヨーロッパ人はちょっとショックを受けていて、
鬼畜らしからぬ「ほとけごころ」みたいな気分があったことは事実。

日本と合衆国は、そんなテメーラの事情なんか知らないわけで、
おかまいなしに帝国主義に邁進してて、
ちょっと顰蹙だったかも知れない。

このへんは情勢認識がちがったってだけで
日本が悪いわけではないが
ヨーロッパを責めるわけにもいかない。
帝国主義の時代といってもいろいろ推移変遷あるわけだから。


21 :世界@名無史さん 2001/03/08(木) 09:37

おいおい、元勲達が活躍したのはせいぜい日露までだろ。
そのころは全く協調主義のカケラもなかったぞ。
「戦前」をいっしょくたにするな。

「協調主義」も結局青臭い理想でしかなかったことは歴史が
証明してしまった。残念ながらな。それと、民族自決と言えば
聞こえはいいが、実は緩衝国として道具扱いされた東欧諸国は
いい迷惑だったと思うぞ。

13はバカサヨってことでさらしあげ。




22 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 09:50






>13

貴様!歯をくいしばれー!


31 :しろうと 2001/03/08(木) 12:46

「元勲」って、どのへんまでを言うの?


32 :世界@名無史さん 2001/03/08(木) 12:51

西郷・大久保・桂をカシラに西園寺公望まで。


35 :31 2001/03/08(木) 13:08

>>32
ありがとー。


33 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 13:01

元勲は天皇を敬っていたから偉かったんだよ。


37 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 14:07

>>33
「伊藤(博文)の大胆な放言には自分も驚かされた。
半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤曰く

『皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。
生まれるが早いか、至るところで礼式の鎖でしばられ、
大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない』と。

そう言いながら伊藤は、操り人形を
糸で躍らせるような身振りをして見せたのである」
  ―ベルツの日記より―


38 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 14:17

>>37
明治の元勲たちは「天皇」を造ったという自負があったんだろうな。
かといってそれが不敬かといえばそうでもなし。


40 :日本@名無史さん 2001/03/09(金) 00:46

元○○○○卿邸 元○○○○公爵邸ってな広大な土地・建物がよくあるな


> 彼らは自分たちの成功を目に見えるかたちで
受け取りたかったんでしょうな。

今でもノーパンしゃぶしゃぶとか公金横領とかザラだし、
昔はもっと無茶苦茶やっていただろう 
どれほど極悪非道なことをやっていたのか知りたいものだ
(昔の基準では正当な行為であったものも含めて)

44 :日本@名無史さん 2001/03/09(金) 19:34

>>40
そりゃーいちばん有名なのは
黒田清隆の奥さん切り殺した事件だよ。
大久保もその事件の対処に絡んで殺されたんだしな。


42 :日本@名無史さん 2001/03/09(金) 09:17

>>40
調べれば? 伊藤博文の初物食いのくせとか・・・

45 :日本@名無史さん 2001/03/09(金) 20:36

「夢は一代で完結するもの」
これが長州藩士の基本理念です。
現在もその理念は受け継がれており、
萩の明○小学校ではそのような教育がなされています。


46 :日本@名無史さん 2001/03/09(金) 20:49

元勲はほとんどが元長州藩士
偉大なり長州人!!


47 :日本@名無史さん 2001/03/10(土) 11:48

権力欲が強いだけだろ?


49 :日本@名無史さん 2001/03/10(土) 14:53

そういや、明治政府高官の誰だか忘れたが、
米国の政府関係者に

「ワシントン殿のご子孫はお元気ですか」

と尋ねると、

「ワシントンの子孫が、今どこで何をしているのか、私は知らない」

と答えたという。有名なエピソードだけど。


50 :日本@名無史さん 2001/03/10(土) 15:06

明治政府の高官では無くて、訪米した福沢諭吉が尋ねたんです。


52 :名無しさん@ご利用は計画的に 2001/03/10(土) 15:16

明治の元勲って言っても、若い頃は新撰組とかと
切った張ったやってた連中だからね。
修羅場くぐってきただけに、
肝っ玉はすわってただろうね。

59 :日本@名無史さん 2001/03/16(金) 02:15

今の教育は明治期の日本の肯定を避けたがってる
やっぱ清・ロスケに勝ったのがバカサヨはいやなんだな

62 :日本@名無史さん 2001/03/16(金) 03:18

つうか、伊藤や井上、松方ら明治期のA級元老は、
軍拡や領土拡張には消極的だったんだがな。
元老を称えれば、現実の明治国家の政策をけなすことになるぞ。
どうせ59は、この程度のこともわかっていないテイノウなんだろう。


67 :太政大臣 2001/03/16(金) 11:09

>>62
無事是名馬。「元勲」とは、
生き残ったことに対する賞賛と褒賞なのです。


74 :名無しさんの主張 2001/03/18(日) 14:56

質問です!!
伊藤や山縣たちが若かかりしころ、
毛利家や島津家の人たちは藩主の地位をあたりまえの様に
世襲で独占していたのを間近で見ていたと思うのですが、
自分たちが権力を握り実権を得ても、
どうして政治的権力を「我らが子孫に」という
気にならなかったのですか?

公爵や貴族院議員の地位の世襲ぐらいで
甘んじれたのでしょうか、それくらいにこれらの
地位は魅力的なものだったのでしょうか?
(個人的には司馬遼太郎さんに聞いてみたかったのですが!)  


75 :日本@名無史さん 2001/03/18(日) 15:00

>>74
そりゃあ海外へ行った経験が大きかったんじゃないの?
特に伊藤なんかは…


76 :日本@名無史さん 2001/03/18(日) 15:10

>>74
新政府の方針は人材登用が主軸で
功労華族維持は二の次、三の次。

地盤看板を受け継げる現在の二世議員の存在は
後援会首脳の擬似封建的発想の産物でしょう。


77 :日本@名無史さん 2001/03/18(日) 15:31

連中が権力の世襲を否定したというならば、
天皇制はどうして否定しなかったの?
素朴な疑問。


79 :日本@名無史さん 2001/03/18(日) 15:35

>>78

天皇は権力者ではないから。
一君万民


23 :日本@名無史さん 2001/03/08(木) 10:25

いいから、元勲の話しよう。
大久保利通は、自分の給料を国家予算につぎこんでたから
死んだとき金がなかったんだっけ?

なんか、それなら初めから参議や卿の給料安くして
予算組んだらいいのに…とか思うんだけど、
当時はそうもいかなかったのかな?


24 :世界@名無史さん 2001/03/08(木) 10:33

元勲達は、権力の世襲を行なわなかったのは確かですが、
彼ら個人としては充分以上に贅沢をしていました。

自分のことを「御前」と呼ばせ、まあ殿様気取りで遊び放題。
昨日までの下級武士や郷士たちが力持ったもんだから
身につかぬ贅沢をしてしまったのでしょう。

彼らは自分たちの成功を目に見えるかたちで
受け取りたかったんでしょうな。だから給料は高かった。
大久保は例外。むしろ汚職の限りを尽くす連中が
多かったのは事実ですね。仕事はしたけど。

41 :無知な市民 2001/03/09(金) 00:48

大久保卿サイコー!!

引用元 http://mimizun.com/log/2ch/history/983948284/