ブログ用55

1 :NBV 01/10/20 21:10 ID:2aahJU3m

 
まあ日中戦争のころだけど 
うちのじいちゃんは支那軍は弱かったと言ってたけど 
どうなのかなあ


3 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/20 21:11 ID:fgmgu6Uj

まぁ、中国軍は、テロで応戦しただけだらか。
正面きっての軍事作戦は殆ど負けてた。


5 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/20 21:45 ID:j0FBk8mr

遺憾ながら、

まったくもって弱かった。
2 :名無しさん 01/10/20 21:11 ID:smHPp3FD

中国軍はめちゃくちゃ強かった。
日本軍はぼろぼろに負けたのだよ。
中国が戦勝国だっての忘れてない?


4 :??? 01/10/20 21:14 ID:G1wj3NuA

>>2
強くはねーべ。国民党軍は逃げまくって、
日本軍はそれを追い回していたのさ。
まあ、見方を変えれば「ひきずりこまれた」ってことかもしれないが。


7 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/20 22:15 ID:A4YIzZyD

>>2
国民党軍が強かったのは支那人民に対してだけ。
日本軍に対してはボロ負けしてたのだよ。

共産匪はゲリラ戦が強かったらしいけどな。
正規軍がゲリラ戦に不得手なのはヴェトナム戦争見たらよくわかる。


6 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/20 22:12 ID:G/vKy340

>>5
その後、現在の人民軍に台湾に追い出されるんだもんなあ・・。


8 :   01/10/20 23:08 ID:3v6hIR7C


なにを言うか!
百団攻勢で北支の実権は完全に共産党軍に奪われ、
日本人は都市の中でおびえていたのだ!
点と線しか占領できなかった...て聞いたことない?

そもそも、中国で点(町)と線(鉄道)以外占領する
価値のあるとこなんてあまりないぞ!
.....というツッコミは勘弁してくれ。

中国は戦勝国  .....らしい


11 :
  01/10/21 05:05 ID:DAUpZzlA


ちゃんとした正規軍じゃなかったんでしょ
筋金入りの皇軍には勝てるわきゃないわな


10 :  01/10/20 23:48 ID:BJleW4Y8

便衣隊か。。。


13 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/21 05:17 ID:0kD8uyVF

ろくでもない軍隊だったのは間違いない。


17 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/21 06:55 ID:SJDXKesr

確か交換比率が
日本軍1個師団に対して中国15個師団とかいう話。

話は変わるんだけど、中国人は明治以前の日本を
ろくに知らんらしく西洋文明が伝えられてから
わずか数十年でロシアをぶちのめし、中国もぶちのめした。
と思ってるらしい。

しかも上記の交換比率だから日本人は戦争キチガイなんだと。
おまけに戦後は日本製品が世界を席巻し
アメリカにも少なからぬ影響を持った日本を
ますますキチガイ扱い。

なんだかなあ。


19 :??? 01/10/21 07:03 ID:E8TapfJ7

>>17
日本人が15倍強いなんて誤解されたら萎えるな(;´Д`)
ああいう広い国だと、負けても後退する余地がいくらでも
あるんで、国民党軍は逃げ腰だったんじゃないかなー。


20 :17 01/10/21 07:22 ID:SJDXKesr

>>19
そのつもりだけど?
別に個人レベルの能力としていってるんじゃなくて、
組織レベルでの作戦遂行力の話。

15倍の人数がいても作戦が遂行できないから、
どんどん日本に進出されちゃったわけでしょ?


21 :_ 01/10/21 08:04 ID:QA/jE+EO

中国軍は武器や戦術の面でいえば弱いといってよい。
しかし最大の強みはいくらでも人命を軽視できるところである。

朝鮮戦争では米軍の20倍の戦死者を出しながらついに
負けはしなかった。たしか硫黄島での日米の戦死者の差でも
3倍くらいだったと思うので、普通20倍の犠牲者をだしたら
壊滅的大惨敗のはずだが・・

中国も台湾をめぐってアメリカと戦うことになっても
「負ける」とは思っていないのではないか?
つまり中国は「祖国の統一」という「崇高な使命」のためなら
百万の犠牲を出してもいいが
米軍は5000人くらい戦死者がでたら怖気づくだろう、とね。


39 :  01/10/21 18:56 ID:hc1/uA84

弱かったでしょ。
アメリカの武器を使用するようになって
日本軍は苦戦するようになったが、
それまでは10倍の兵力差があっても勝てなかったよ。
っていうか、敵を奥深くにひきずりこんで、
米軍との戦いでの日本軍の半数を幽兵化させたと言う意味では、
戦略的に勝利したともいえるが。

すくなくともそう思ってそうした訳ではなく結果的に、だと思うけど。


22 :七資産 01/10/21 10:27 ID:b4/ATgHT

項羽と劉邦の時代から、中国の戦い方は

「わざと撤退してみせて、相手を油断させ、
 死地に誘い込み、後方の補給路を遮断する。」です。

大戦後半に、日本軍の餓死者が多かったのも、
中国軍のこういった戦法が原因の一つだと思うのですが・・・
どうよ?


24 :資産家 01/10/21 17:12 ID:zWYGa+wd

>>22
餓死者が多かったのは太平洋の南方戦線
これは米軍の飛び石戦術によって補給路の寸断によるもの。

大陸方面では日本軍は終戦時でも健在、
餓死とは無縁の世界におり将兵たちは

「自分たちは圧倒的に勝っているのになぜ負けるのか!」と

武装解除に最後の最後まで不満だった。


26 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/21 17:27 ID:I5C6NL8s

朝鮮戦争のとき、米軍の機関銃にバタバタとた倒れながら
いくら殺しても、死んでも死んでも新たな大軍がどっと
押し寄せてくる、、まるで率先して死ぬように。

そのときの米兵は非常な恐怖を感じたと言っていた。
日清戦争や日中戦争や中越戦争と様相は違うだろうが、
中国軍にはこんな側面もある。
軽んずべからず、中国軍おそるべし。


23 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/21 17:02 ID:BfrHLQDQ

日中戦争でのゲリラ戦を引き合いに出して
中国軍が弱いと言うなら、
ベトナム戦争時の北ベトナム軍も弱いということになるな。

その弱い北ベトナム軍に、
何で世界最強のアメリカ軍が敗れたんだ?
ついでに言うと、アメリカ軍は朝鮮戦争でも中国軍に敗れたぞ。


25 :バカデスカ~? 01/10/21 17:23 ID:TU0SScUu

>>23
確かに北ベトナム軍は粘り強く戦ったが、
アメリカ国内で強烈な反戦運動も無く
アメリカ軍が【本気で】戦ったら北ベトナム軍なぞ
完全消滅したろうよ、それこそ核でも何でも。

>ついでに言うと、アメリカ軍は朝鮮戦争でも中国軍に敗れたぞ。
アメリカ軍は後期の反攻作戦で
雲霞の如き中国軍を一気に押し戻してますが、何か?


82 :八路。      01/10/22 23:14 ID:bVecmhbK

うちの祖父も中国戦線にいたのだが、
八路軍はめちゃくちゃ弱かったらしい。
ゲリラ戦と言っても大したことはなかったそうだ。
国民党軍はそれなりに強かったらしいよ。まあ強いと言っても
やはり当時の日本軍には大したことなかったそうだ。

ってかみんなは戦争の話、祖父とかから聞かないのか?


87 :名無しさん 01/10/22 23:39 ID:jN6memHq

こっちから聞くまでは何もしゃべらんかったな。
中国戦線で負傷、とっとこ帰ってきましたが。兵長でした。


84 :Ham 01/10/22 23:33 ID:WmFvly23

爺さん当りの話しはいいけど、父の世代になってくると
本田勝一みたいのがインテリの証拠みたい。
「戦場の村」で韓国兵は優秀でやさしいなんて書いていたけど
今になってごろごろ虐殺事件が判明してる。
事実関係において世代が断絶してるんだよ。


47 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/21 21:32 ID:jZo6kKaL

「国民党は、あまり強くなく戦闘前夜ものんびりしていたが、
共産党軍との戦闘前夜は、戦死の覚悟をして緊張した。」

と聞いている。
獣医科の少尉で中国を転戦した上司の言葉です。
国民党の陣地に突撃すると直ぐ逃げるが、
紅軍は、向こうから突撃してきて陣地の間で肉弾戦だったそうな。

「相手のくさい息をかぎながらの激闘は、壮絶だった。
あいつらは綿入りの服を着ているから軍刀できっても切れず、
刺すしか効かなかった。」

獣医の将校だから戦闘に参加しなくても良かったのでは?と聞くと

「部隊が戦線突破されたら全滅だぞ。ボーっと見てられるか?
何が怖いって、肉弾戦ほど怖いもの者は無いよ。」

と答えてました。
そして、あの強かった共産軍の孫子が汚職をするなら、
あいつら何の為に俺らと戦ったんだ?と
中国の拝金的現状に首を振ってました。
 
ちなみに、私の郷土の師団は、
攻めたら日本最強を誇っていました。やっぱ、強かったのでは?  


64 :名無しさん 01/10/22 11:27 ID:K/Fc5RDw

中国軍は強かった。
正規軍に対して為すすべを持たなかった日本軍は、
その矛先を罪のない人民に向けたのだ。
通州事件で1万人、南京大虐殺で100万人を殺したのだ。


65 :NBV 01/10/22 11:32 ID:/kmZoRnu

>64 

歪曲はやめろよ!!ばか!!


66 :  01/10/22 11:36 ID:Irr1B8rS

>>64
台湾の人々に犬が去って豚が来たと呼ばれた軍隊が?
規律もへったくれもない、だらけた軍隊だったくせに。

国際派日本人養成講座 地球史探訪:台湾史に見る近代化の条件
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog062.html


48 :Ham 01/10/21 22:17 ID:YfbPNdR+

戦史上では日本軍が54勝1負1分になっています。
「毛沢東の私生活」に書いてありますが、
日本軍が国民党と戦ったので
共産党が中国において政権を取れたと言うのは納得できます。

現在ベトナムにいますが、中越戦争(79年)で戦った人の話しでは
(その当時米国軍にソ連の武器が多量に越南にありました)
攻めてくる中国兵は殆ど素手同然だったそうです。
それを機関銃で撃っても撃っても屍を乗り越えてやってくる状態で、
最後には弾がなくなり撤退したとのことです。
二日ぐらいの戦闘で6万人ぐらい
中国側は戦死しているはずです。

中国があせったのは、
湾岸戦争以後、ピンポイント攻撃が可能になってからです。
以前は接近戦での地上戦において
空からの援護射撃(戦闘機)は誤爆の危険性がかなりあり
有効ではなかったのですが、
最終的にはゲリラ戦しか念頭になかった中国軍に
危機意識を持たせたそうです。

おまけに、その部品が日本製。
現在の中国としては腹立たしいでしょうね。


49 :   01/10/21 22:32 ID:eXnMsCMA

>>48
54勝1敗1分けで何で負けたんだろ・。
アメリカが支援しなかったらまず日本の勝ちだったろね。
とりあえずわしゃ南京事件の死者は
軍人民間人合わせて1~2万ぐらいと思う。30万なんて大嘘。


53 :  01/10/21 23:33 ID:NTWHLcgg

>>48
共産党が勝てたのは日本が満州で残していった
豊富な歩兵銃や戦車などをソ連からもらっていたから。


51 : 01/10/21 23:17 ID:hvN7GyRh

54勝1敗1分け・・・・それでか、
南方戦線にいった人たちは口をそろえて

「戦争は悲惨・・・」

といい、中国に行った人たちは

「何で負けになるんじゃ・・・・」

という。
うちのじいちゃん、中国にいってたのに、
かなーりのんきなこといってたから不思議だったんだっよね。


54 :  01/10/22 00:00 ID:vVBWpE9b

54勝1敗1分けか…
悔しいことだが、
翻ってみればいくら局地的な戦術的勝利を積み重ねても、
根本の戦略の過ちを覆すことはできないという
好例なのかもしれない。


69 :名無しさん@お腹いっぱい。 01/10/22 12:25 ID:k6PIcd5p

54勝1敗1分…。
日本「軍」は支那軍に対して圧倒的に強かったのは確実。
でも、大東亞戦争の指導其の物が
ぽしゃってたので負けたのだろうな。

大体国力のない国が多正面戦争すること自体無謀なのだよね。
日本にビスマルクと大モルトケがいれば
こんな事にはならなかっただろうよ…。


70 :Ham 01/10/22 13:23 ID:kOGfUYfe

数字が間違っていたので訂正
55戦51勝1敗3引き分けでした。
訂正します。すみません。

118 :名無し 01/10/24 18:30 ID:ZWkLYRIq

やはり中国軍が最も恐れたのは
久留米の第18師団(菊兵団)だろう。
中国軍は自分達の前面に「菊」が来ていると
聞いたとたんに戦意喪失、逃げ出していたという。

編成連隊は小倉第114連隊(炭鉱地帯を含む)、
福岡124連隊他、倭寇の末裔松浦を含む佐賀、長崎の連隊。
ムチャクチャ乱暴な人間が集まってきた。
菊兵団が通過したあとは両翼4キロ、
無人になると中国兵が言っていたと記録にある。

中国戦線、シンガポール作戦、ビルマ平定、ビルマ防衛戦と転戦し、
最後は北ビルマで10倍の米支軍に抵抗、
フーコン河谷で消耗しつつも、シッタン河渡河作戦で最後の奮戦。 

泥沼のビルマ戦線、負傷兵が野戦病院から出たがらないほどの
悲惨な戦場で、「菊」の兵士だけは、軍医が止めるのも聞かず、
松葉杖にすがり着きながら前線に戻っていったと軍医の戦記にある。
蒋介石の逆感状の伝説がある拉孟、謄越守備隊は
同じ師団区の兄弟師団。

自衛隊第4師団の中にある戦史資料館に、
蒋介石の逆感状の原文を展示してある。


96 :名無しさん 01/10/23 00:23 ID:QCuJtoXJ

基本的に帝国陸軍はただの一度も
支那とまじめに戦争などしてはいない。

実際、大東亜戦争開戦時でも全54個師団中、
支那に派遣されていたのはその半分以下の20個師団だけ。

結局、対ソ戦争用に関東軍の装備の戦時予算を
政府に要求して充実させるための口実にするためだけに
だらだら戦争を引き伸ばしていただけ・・・。

その証拠にシナ事変中の10年間で
帝国陸海軍は共に急速に軍備を充実させている。

本気になればいつでも重慶等の攻略も可能だったようで、
1942年には南方戦線でも米英軍と交戦中にも関わらず
重慶方面の攻略作戦が準備されている
(ミッドウェイの敗北等で順延)。

宮崎将軍の師団を中心に兵員が編成されており、
この作戦が予定通りに実行されていれば
中華民国政府は息の根を止められることになっていただろう。

西安に関してはあまり重要視されていなかったので
無視されていただけ。大陸打通作戦時にも
作戦案としては提出されているものの
あまり意味がないからという理由で却下されている。

片手間に適当に相手してたにもかかわらず、
15年間終始逃げ回ることしかできず
それどころか自国民を虐殺し略奪してまわり、
それを日本軍の仕業と責任転嫁することしかできなかったシナ軍・・・。
それを必死に美化しようとしてる人がいるけど
なんだかとっても哀れ・・・。


引用元 http://mimizun.com/log/2ch/asia/1003579817/