ブログ用86

1: 世界@名無史さん 2010/02/17(水) 12:11:00 0

近代の公民権運動などより遙か前、
1500~1800年代前半までの、
黒人奴隷の抵抗の歴史を語りましょう。
逃亡や抵抗組織の構築など。
2: 世界@名無史さん 2010/02/17(水) 17:38:34 0

>>1

北米の黒人奴隷だけ?
中南米は?

13: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 11:09:17 0

>>10

中米・カリブ海地域へ500万人、
南米に500万人ぐらいだと思う。
カリブ海の島々はスペイン領だけではなく、
イギリス・フランス・オランダ・デンマークが
植民地を所有していた。

>>11
その他にさとうきびプランテーションなど。

>>1
新大陸における、記録に残る最初の奴隷反乱は、
1522年にエスパニョーラ島で起こった。
(武力による鎮圧)

1537年には、メキシコ市で奴隷の一団が
多くのスペイン人を殺害し、自由を宣言した。
頭領を選出した彼らは、
ひきつづきスペインとの戦闘に
入る準備を進めたが、事前にその計画は漏れ、
失敗に終わった。

その他、ジャマイカ・バルバドス・アンティグア・
ニューヨーク・サウスカロライナでも
奴隷反乱が起きている。
唯一奴隷反乱が成功したのが、
カリブ海のハイチ共和国。

20: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 21:33:06 O

ハイチってのもすごい歴史の国だよな。
フランス革命の混乱にまぎれて奴隷が建国。
ハイチではナポレオンは嫌われているのだろうか。

15: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 11:47:53 0

>>13

すごい。詳しい資料はどこで見れますか?

25: 世界@名無史さん 2010/02/20(土) 11:51:17 0

>>15

中南米・カリブ海地域に関する本を
片っ端から読むといいよ。

>>22>>24
そういう話は
人種問題に関するスレを立ててやってくれ。

4: 世界@名無史さん 2010/02/17(水) 18:24:40 0

アメリカとブラジルはどっちが
黒人奴隷の輸入が多かったの?

5: 世界@名無史さん 2010/02/17(水) 19:12:30 0

>>4

ブラジルに送られた黒人奴隷は約360万人。
アメリカ合衆国は約50万人。

10: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 10:26:55 O

>>5

日本では合衆国に送られた奴隷の話が
メジャーだしイメージが大きいけど、
実際には中南米のほうがはるかに多いということ?

11: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 10:30:05 0

>>10

ポトシ銀山などの
鉱山開発に大量移入したのかもね

6: 世界@名無史さん 2010/02/17(水) 21:07:40 O

多いんだな。
その多くは悲惨な運命だっただろう。

7: 世界@名無史さん 2010/02/17(水) 21:56:27 0

中南米・カリブ海地域の黒人奴隷は
疫病や苛酷な労働の犠牲となった。

北米大陸のスペイン領フロリダから
北方の地域では、黒人奴隷は
肉体労働者だけでなく、
エキゾティックな家の飾り物としても利用された。

この地域では黒人奴隷の人口が自然に増加して、
1860年には400万人へと増加した。

40: 世界@名無史さん 2010/02/28(日) 02:22:07 0

特に重要なのは、やはりブラジルである。
今でもポルトガル語で「黒いローマ」と称される
北東部のサルヴァドール・ダ・バイーアは、
植民地時代を通して奴隷の受入口であり、
独立後も奴隷労働力を使った
サトウキビ・プランテーションの
中心地であり続けたが、このバイーアで起きた
マレーの反乱(ナゴの反乱)は、
世界史に於いても今でも特筆すべき価値がある。

1835年に起きたこの反乱は、
西アフリカの現在で言えば
ナイジェリアから連行された
イスラームを奉ずる奴隷が起こしたものだったが、
信じ難いことに「ジハード」が宣言され、
イスラーム国家をブラジル北東部に樹立することが、
反乱の目的とされたのである。

人口の8割以上が文盲のブラジル帝国にて、
アラビア語で書かれた
黒人奴隷の反乱文書を解読するのは
容易ではなかったことが当時の資料からも伺えるが、
仮にパルマーレスのキロンボのような成功を収め、
オスマン帝国と連絡を取ることに成功していたら
どうなっていたのか、興味は尽きない。

この反乱が鎮圧された後、
ムスリム黒人達はアフリカへの帰還が認められた。

奴隷解放後も20世紀前後まで
ブラジル北東部と西アフリカの連絡は続き、
ナイジェリアのラゴスやベナンのポルト・ノーヴォには
ブラジルで解放された黒人のコミュニティが
現在も存在するという。

44: 世界@名無史さん 2010/03/01(月) 02:03:47 P

>>40

ブラジルはともかく、本国のポルトガルは、
全土がモール人の植民地で、
700年間くらいアラビア語が公用語だったのにな、
その時代には完全に忘れていただか。

85: 世界@名無史さん 2010/06/08(火) 20:28:20 0

そういえば黒人奴隷が
奴隷船を乗っ取ったっていう筋の映画があったな。
実話に基づいているらしかったが。

87: 世界@名無史さん 2010/06/08(火) 21:24:49 0

>>85

スピルバーグの「アミスタッド」?

ギヴィス・アス・フリー!

12: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 10:33:18 0

奴隷貿易
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%93

約3世紀に及ぶ奴隷貿易で
大西洋をわたったアフリカ原住民は
1,500万人以上と一般にはいわれているが、
学界では900万人-1100万人という、
1969年のフィリップ・D・カーティンの説を
基にした数字が有力である。

8: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 09:37:12 0

マルーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%9E%E3%AB%E3%BC%E3%B3

マルーン(Maroon)は西インド諸島、
中央アメリカ、南アメリカ、北アメリカの
逃亡奴隷である。

マルーンの居住地は南はアマゾン川流域から
北はアメリカ合衆国のフロリダ州と
ノース・カロライナ州まで、
西半球の広範囲にわたる。

21: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 22:52:52 0

>>8

マルーンのほかに
シマネーロスという呼び方もあるね。

アフリカ西部の黒人はイスラーム化して
それなりの教養を持ち、
中には組織管理能力に秀でた者もいたので、
逃亡して追手が入り込むのが
困難な森林奥地に秘密の集落を形成していた。

中米では早くも1510年ごろ、
ダリエン内域にいくつかの
逃亡奴隷集落が生まれている。
彼らは統制力をもって、
常に臨戦下にある自活組織を維持していた。
しだいに戦闘力をたくわえたアフリカ人は、
そこを拠点としてスペイン人への報復・襲撃行為を
開始した。地峡の大きな逃避集落には
2000人余の武装した黒人がいたという。

51: 世界@名無史さん 2010/03/04(木) 18:49:11 0

>>21

シマ「ローネ」ス(cimarrones)な

セミノール・インディアンは
シマロンと連合して白人に抵抗したんだな

29: 世界@名無史さん 2010/02/21(日) 11:09:12 O

マルーンてのはすごいな。

9: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 09:42:51 0

グラニー・ナニー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%B0%E3%A9%E3%8B%E3%BC%E3%BB%E3%8A%E3%8B%E3%BC

グラニー・ナニー
(Grandy Nanny, またはGranny Nanny)は、
ジャマイカのマルーン(逃亡奴隷)の
有名なリーダーで、
同国で英雄視されている人物である。

反乱の指導者として、彼女はいくつかの戦いで、
イギリス陸軍への勝利に貢献した。

28: 世界@名無史さん 2010/02/21(日) 09:02:59 0

30: 世界@名無史さん 2010/02/21(日) 21:45:24 0

>>28

うう・・・かっけえ・・・
小説とか映画の題材にもなりそうだが。
伝記とかないのかなあ

32: 世界@名無史さん 2010/02/21(日) 21:56:56 0

16: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 17:45:08 0

黒人=被害者、のノリであるが

黒人も昔から黒人を奴隷にしていた

17: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 18:34:41 O

黒人が白人に奴隷を売っぱらったというよな。
それでも白人はやりすぎた。

18: 世界@名無史さん 2010/02/18(木) 18:49:53 0

ダホメ王国やオヨ王国は捕虜を奴隷として
ヨーロッパ人に売り、王国の収入源にしていた。

24: 世界@名無史さん 2010/02/19(金) 12:06:54 0

バクリー
「黒人たちは人間よりも動物に近く、
彼らはもっぱら物欲に興味を持ち、
しばしば食人を行い、
ほとんど羞恥心を持たない」

イドリースィー
「黒人たちは最も堕落した人々であるが、
子供を生む能力は最もすぐれている人々である。
彼らの生活はまるで動物のようで、
彼らは物と女以外の欲求以外に
なんの関心もしめさない」

イブン・バットゥータ
「彼らの教養の無さや白人に対する
無礼な態度をみて、つくづくこんなところまで
来てしまったことを後悔した」

イブン・ハルドゥーン
「黒人の大半は洞穴や密林に住み、草を食い、
野蛮のままで社会的集団生活をせず、
たがいに殺して食べる。黒人は一般に
軽率で興奮しやすく、非常に情緒的な性格で、
メロディを聞けばいつでも踊りたがり、
また、黒人はどこにおいても愚か者とされている」

26: 世界@名無史さん 2010/02/20(土) 12:30:19 0

それ以前に捏造してるよ。
バットゥータは一方で東南に住む黒人を

「ウソを決してつかず、
またそのような輩を最大限に嫌う」

と記述している。
これは恐らくキチガイの白人が
人種差別の歴史をイスラムに着せようと
画策した情報操作のタグイでしょう。

39: 世界@名無史さん 2010/02/28(日) 02:13:05 0

スレタイに戻って16c-19cまでの奴隷の反抗に、
ポルトガル語世界の視点から注目するならば、
コンゴ王アフォンソ1世が
ポルトガル王ジョアン3世に送った
奴隷貿易の停止を求める書簡と、
コンゴ王国の衰退後、アンゴラに進出した
ポルトガルに抵抗したンドンゴ王国の
ンジンガ女王アナ・デ・ソウザの抵抗は
メルクマールと見ることが出来るかもしれない。

前者はポルトガル王と対等の立場とされた
コンゴ王からの平和的請願、後者はそうした要請を
無視するポルトガル人との武力闘争と、
抵抗の形は異なるものの、
よくいわれるような

「奴隷貿易はアフリカ人自身が
アフリカ人を奴隷として売り払った」

という言説への
─もちろん西アフリカのダホメやアシャンテイ、
東アフリカのザンジバルなどで見られたように、
この言説には一定の真実が含まれているものの─
重要な反証となりうるからである。

つまり、西欧や南北アメリカの人種主義者が
今でも言うように、アフリカ人は奴隷貿易を
黙認/援助してただけでは決してなかった。

植民地時代のアメリカ=アフリカ間に
どれだけの連絡があったかは定かではないが、
アメリカからアフリカに対する
思慕の思いがあったことは
ジョルジ・ベンを聴けば明らかである。

問題は、アフリカからアメリカの黒人に対して
どれだけ理解があったかであり、
これは今後の研究の進展を待つ他ないだろう。

50: 世界@名無史さん 2010/03/04(木) 16:43:25 0

>>39

>コンゴ王アフォンソ1世が
ポルトガル王ジョアン3世に
送った奴隷貿易の停止を求める書簡

それで思い出したのが、
ボルム帝国の王アブー・アムル・ウスマーンが、
マムルーク朝スルタン、ザーヒル・バルクークに
送った書簡。

この書簡の中でボルヌ帝国の王は、
力ずくで黒人をとらえて奴隷にし、抵抗する者は
殺害するアラブ人(ジュザーム族)の
暴虐ぶりを訴え、彼らはムスリムであるゆえ、
彼らを解放してほしいと訴えている。

46: 世界@名無史さん 2010/03/01(月) 10:12:28 0

>>39

ンジンガ女王アナ・デ・ソウザというと、
歴史こぼれ話みたいな本に
武則天やエリザベート・バートリなんかと共に
「悪女」として紹介されている女王だな

もっとも、アンゴラやポルトガルの方では、
美しく気高い女王で、ポルトガルと戦い、
一歩も引かなかった、と記録されているが

58: 世界@名無史さん 2010/03/09(火) 21:21:57 O

>>46

残虐非道なサディスト女王として
よく書かれているよな。
ポルトガルの誇張だったのか。

59: 世界@名無史さん 2010/03/11(木) 22:40:29 0

>>58

なんでも、ポルトガルとの交渉のとき、
ポルトガル側は椅子に座り、女王にはござに、
つまり目下に座らせようとした

そこで、女王は家来に
四つんばいになることを命じて、
その上に座り、対等に話をしようとした

家来も交渉の間じっと耐えて女王を支えたそうだ

60: 世界@名無史さん 2010/03/12(金) 00:32:41 O

>>59

それは耐えて支えるよな。
自分の国の女王が侮辱されたらたまらん。

62: 世界@名無史さん 2010/03/24(水) 00:52:02 0

>>59

単に

「われわれは対等である。
私に椅子を出さないなら交渉しない」

みたいに拒否して押していけばよかったのでは?
人を椅子にしてたら白人以外の
アジア人や日本人だって引くと思うぞ。

確か日米和親条約だかの調印では
椅子では「われわれの作法と違う」として
日本側は畳を積み上げて
その上に正座して署名したんじゃなかったかな。

63: 世界@名無史さん 2010/03/26(金) 20:59:57 0

>>62

だったら、交渉決裂になるだけでしょう
日米和親条約のときは、
アメリカは日本側を
侮辱するつもりはなかったわけだし

64: 世界@名無史さん 2010/04/02(金) 23:42:40 0

>人を椅子にしてたら
白人以外のアジア人や日本人だって引くと思うぞ。

おそらく・・・女王としては、
それが目的だったんじゃないの?

普通の外交上の交渉と違い、
侵略者を追い払うことが
出来るかどうかと言う交渉だから、
最初から相手に対して一歩も引くことは出来ない
女王としては、家来を椅子として扱うことで、

「この国の民は、この者を見ればわかるように、
余の命令にはどんな理不尽な
命令にも従う者達である。
余がポルトガルの奴隷になるぐらいなら、
戦って死ねと命じたら、
女も子供も年寄りもそうするであろう。

それでは、お前達も目的が果たせないし、
いくらお前達が優れた武器を持っていたところで、
それなりの被害がでるであろう。

それは、お前達にとって、
骨折り損のくたびれもうけと言うものだ。
わかったら、ここから立ち去れ」

と言いたかったのではないか?

73: 世界@名無史さん 2010/06/08(火) 11:13:25 0

黄禍論や黒禍論について調べていると、
白人は、有色人種に復讐されるのでは
ないかという不安を抱いているのがよくわかる。

74: 世界@名無史さん 2010/06/08(火) 11:57:38 0

>>73

「ボーリング・フォー・コロンバイン」の結論もそうだったね
なぜ、アメリカ社会は銃を捨てることができないのか

69: 世界@名無史さん 2010/05/22(土) 20:09:29 0

もっとも多くの奴隷たちが抵抗した形態は、
反乱でも逃亡でもなく、面従腹背であったと考えられる。

面従腹背する奴隷たちの最大の関心は、

「できるだけ仕事をしないこと」

「できるだけ鞭で打たれないこと」

であった。そのために、
奴隷たちは自らを無知に見せかけ、
仕事ができないと主人に信じ込ませ、
割り当てられる仕事を少なくしようとした。

また奴隷の中には、タフィアやラム酒といった
アルコールに溺れる者もいた。
アルコールに溺れた奴隷たちは、
割り当てられ期待された仕事量をこなすことができずに、
サボタージュが横行した。
アルコールが抵抗の手段になりえたのである。

130: 世界@名無史さん 2010/08/25(水) 19:29:41 0
レイシズムは、
後天的に努力して獲得したものが無い
無能が逃げ込む拠り所

引用元 http://mimizun.com/log/2ch/whis/1266376260/