ブログ用788

1: 日本@名無史さん 06/21 00:41

 
天才参謀かそれとも宗教がかった単なるトンデモ妄想家か。
評価が分かれる旧日本陸軍の石原莞爾だが…。
いずれにせよ、日本陸軍にとっては
ほぼ最高の頭脳には違いなかったのだろう、が…

7: 日本@名無史さん 07/07 01:02

石原は天才。石原の言うとおりやっていれば、
対米戦争に至らず、最終戦争論で予言したとおり、
最終兵器の核爆弾で平和が訪れて…。ホンマカイナ…。

8: 日本@名無史さん 07/13 09:17

石原に先見の明があったのは確かだよ。
でも、どっちかっていうと軍部の中で戦略的なことに携わることが
多くて、そんなに表舞台に立てなかったことが惜しまれるねぇ。
9: 日本@名無史さん 07/13 16:33

石原莞爾って結構マイナーなのかな~?

10: 日本@名無史さん 07/13 16:47

虹色のトロツキーではやたら魅力的な男に描かれてるな。

11: 日本@名無史さん 07/13 23:45

ジパングでも鍵になる人物ですね。

13: 日本@名無史さん 07/14 16:53

石原莞爾はさ、指揮者の石原征爾?(漢字に自信なし)の血縁。
ということは、小沢健二とも血の繋がりがあるって事だよね?
その辺の関係情報キボン。

14: 長岡藩士 07/14 17:02

>>13

それって小沢征爾じゃないの?
小沢の父が石原と板垣征四郎と交友があり、
両方の名をあわせて名付けたんじゃないのか?

15: 日本@名無史さん 07/14 20:29

>>14
氏に補足しておきますね。
小沢征爾 『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫)より抜粋。

「ぼくは昭和十年九月一日、満州国の奉天で生まれた。
ぼくのおやじの開作さんは、ぼくが生まれる何年か前まで
長春で歯医者をしていたが、満州事変の勃発とともに医者をやめて、
協和会の創立委員として奉天に移り住んでいた。

そしてそのころ親交のあった板垣征四郎の征、石原莞爾の爾をもらって
三番目に生まれた赤ん坊に征爾という名をつけたのだそうだ。」

140: 辻ーん ◆B4YokGL1uk 12/06 08:59

石原完爾を主人公に誰か漫画書いてくんねーかな、、

141: 日本@名無史さん 12/06 16:43

>>140

虹色のトロツキーじゃだめか?(w

142: 辻ーん ◆B4YokGL1uk 12/07 01:27

虹トロ、読みましたね、、あの漫画の石原タソは好きですね、
でも、東条上等兵に左遷されちゃって、、、・゚・(ノД`)・゚・

もっと満州事変について詳しくしりたいでつ。
そういえば、歴史街道の満州事変特集があったな、、

いずれにしろ辻は電波扱いですがね、、(わ

143: 萌国主義者 ◆Orwl8kHb4M 12/07 11:35

>>142

乱読汁。満州事変は通史本で把握したら、
後は乱読しましょう。

旧字(正字)も勉強すると戦前の資料も読めるから
当時の雰囲気を知ることもできる。
古書市などで彼の主宰した
東亜連盟の雑誌とか売っていることもあるよ。

辻ーんの著作は完全に電波本として読むのが吉だが、
独特の辻節とでもいうのに巻き込まれて一気に読んでしまったよ。
今は絶版なのでヤフオクなどで出るのを待つべし。

漏れは鶴岡の図書館で辻ーん自らのサインの入ったのを読んだよ。(w

144: 日本@名無史さん 12/07 20:28

>>143

辻タンは流行作家だからねぇ。
ある年なんか、ベスト10に2冊も入っているし。
一気に読ませるだけの筆力(?)はあるんだろうなぁ。

24: 日本@名無史さん 08/03 10:57

最終戦論て面白い?

29: 日本@名無史さん 08/04 07:08

>>24

まあまあ面白いし、石原莞爾が頭いいこともわかる。
が、この程度の人間が画策したら、そりゃダメだ、と、オレは思った。

学校インテリの中では異色と言われるだろう答案だが、
頭の中だけで考えていて、生活実感が欠片もない。

26:   08/03 16:22

>24
面白いって言うよりは、びびる。


27: 日本@名無史さん 08/03 16:44

「最終戦争論」読みたけりゃ、
アマゾンで取り寄せできるよ。600円未満で

28: 26 08/03 16:46

青空文庫でDLできるよ

35: 日本@名無史さん  08/18 14:12

なんで、石原は盧溝橋事件の後、あんなに領土を拡大したの?
満州国を作れる正当な理由は?
そもそも帝国主義だったから領土拡大は、必然だった?

37: 日本@名無史さん 08/18 17:15

>>35

正当な理由はありません。
清国の国情が不安定だったから、
突け込む唯一無二のチャンスを
みすみす見過ごすのはもったいない、と、
戦術的に考えたので実行しました。

政府の反対を無視して。

67: 日本@名無史さん 09/08 22:05

近代戦争に飛行機が必要と唱えて金城に自ら飛んだのは
たしかにすごい!しかし、若手の暴走を止められなかったのは・・

70: 日本@名無史さん 09/09 06:41

>若手の暴走を止められなかったのは・・

テメーが暴走してるんだから、他者を諌められるわけがない!

支那事変の拡大を阻止しようと石原部長が
長距離電話で現地軍に不拡大の細部を指示すると、
その電話がきれるかきれぬうちに、別の電話機では
部下が正反対の指示を与えているのでは組織として機能していない。

これに激怒した石原に部下の武藤章は
「あなたが満州でやったことを手本にしたまで。
誉められて当たり前なのに、それが怪しからんとは
納得まいりませんな」と反論され、返す言葉がなかったという。

38: 日本@名無史さん 08/18 17:58

盧溝橋事件事件は昭和12年7月7日、この時期、
石原は参謀本部第一部長で事件不拡大を強く主張した。

これに対し、第三課長の武藤章大佐、
陸軍省の田中新一大佐ら強硬派が主導権を握り、
派兵増強を主張、政府の決定に持ち込んだ。

後に石原は更迭される。

42: 日本@名無史さん  08/18 20:41

柳条湖事件も盧溝橋事件も日本の陰謀なん?

43: 日本@名無史さん 08/18 20:46

柳条湖事件は関東軍の謀略が確定している。
首謀者、実行者の氏名階級分かってる

45: 日本@名無史さん 08/18 20:55

盧溝橋事件には諸説あるが、どれも確認されていないので・・・。

39: 日本@名無史さん  08/18 18:42

やっぱり陸軍の暴走以外の何物でもないのか。
しかし、その後、欧米もソ連のモンゴル成立を支持したのだから、
日本だけが悪いとは言い切れんよな。

16: 日本@名無史さん 07/16 21:40

石原莞爾と東条の確執って結局キッカケはなんだったんだろう?

ブログ用787













19: 日本@名無史さん 07/25 16:02

>>16
北進と南進の違いじゃないの?

20: 日本@名無史さん 07/25 16:48

東条は出世コースに完全に乗った
石原は…

21: 日本@名無史さん 07/30 21:45

石原は満州事変の時に既に東条とぶつかっている。
規律を重んじる東条。性粗野にして無頓着な石原。
満州事変の最中、この2人がぶつからない方が不思議だ。

だけど例えば石原のほうが上司だったら、
この2人はぶつかっていたのかな?

22: 日本@名無史さん 08/03 08:17

>>21

東条も石原もある意味天才だったわけで、
ぶつかることは必然的だったろうね。

ただ、石原の方が上司だったら
もう少しいい方向にいっていたんじゃないかな?

40: 日本@名無史さん 08/18 19:58

>東条も石原もある意味天才だったわけで

石原はわかるけど、東条ってどういう風に天才なんだ?
試験の点数がよかったとかそういう天才ですか?

「生きて捕虜の辱めをうけず・・・」
ってやっぱアフォとしか思えん>w

72: 日本@名無史さん 09/09 18:23

東条は、自分が頭が悪いことを自覚していたので
無類の勉強家になり、任官後も欠かさなかった。

それで、軍人としての知識には精通したが、
大局を見、時流を洞察する能力には欠けていた。
こうした、東条に対し石原は露骨に軽蔑の態度をとり、
「東条上等兵」とか「副官」と呼んだ。

関東軍司令部に大川周明が訪れ
石原に挨拶後、東条さんの部屋はどこですか?と尋ねると、
「ああ、東条上等兵の部屋ですか、この廊下を・・・」
とニコリともせず教えたという。

41: 日本@名無史さん 08/18 20:03

試験の成績がよい人は普通、秀才(学校)と言います。
天才とは違うはず

52: 日本@名無史さん 08/18 22:58

石原莞爾タンは本人は陸大受験の意志がなく
ただ今まで陸大合格者のなかった所属連隊の名誉のために
受験させられて受かっちゃった稀有な例らしいね。
もちろんそのための勉強も全然してない。

辻タンは逆に力技で隊務と受験勉強を両立させた例。
普通は隊務をおろそかにして受験勉強に専念しないと
陸大なんて受かるもんじゃなかったそうだね。
両名おそろしや。

53: 日本@名無史さん 08/18 23:59

陸士なんて、今の東大の比じゃないのに凄いな(w

78: 日本@名無史さん 09/10 09:27

昭和17年12月、甘粕正彦が石原を訪ねて来て

「東条さんがぜひお会いして、
ご意見をお聴きしたいと言っておられる。まげて、ご了承ください」

一応、彼は上京して東条と会い、
戦争指導などについて聞かれ
「あなたが引退する以外ないでしょう」と答えたが、
東条は実行しなかった。

甘粕は石原が2度目の関東軍勤務のとき、
協和会の実権を握り、石原を追い落とした人物。

80: 日本@名無史さん 09/11 20:56

石原が二度目の関東軍勤務の時、
東条は石原の官舎の周辺に憲兵を張り込ませて
訪問者の名前を報告させた.

参謀長が補佐役の参謀副長の私生活をスパイさせるなど、
常識では考えられぬことだが、東条にはそれを
異常と思う感覚が鈍っていたという。

また、石原が人に出した手紙がしばしば1月以上もかかり、
会議の席で石原が

「僕が本庄閣下に差し上げた手紙が40日以上もかかりましたよ、
新京から東京までそんなにかかるのは常識では考えられぬ
どこか途中で、引っかかっているのでは?」

というと、東条は黙って返事もしなかった。

66: 日本@名無史さん 09/08 20:56

石原は日本の将来のことを考えたときに、
当時の陸軍首脳及び政府首脳の考え方ではいかんと思った。
だからあえて変革しようとした。

確かに満蒙は地理的にもその資源も当時の日本に必要だった。
しかも当時のアメリカやソ連その他
やかましそうな国が外交的に余裕のない時期が来たから
見切り発車で満州事変を起こさなくてはならないと考えた。

ただ、その後陸軍中央を追われ、結果として
大日本帝国の崩壊を防げなかった点に関しては失敗だった。

つまりは自分の地位的基盤と
行動の結果の予測を誤ったんでしょうが
その点を除けばやはり、当時の日本に何が必要かを
判断できなっかたトップの方々よりは
かなり明晰な頭脳を持っていたのではないでしょうか。

69: 日本@名無史さん 09/08 23:36

>>66

いくら頭がよくっても、権限のないやつが
正当性のないことをするのは、政治的自殺。

日本を政治的自殺させた石原莞爾は、
個人レベルでは優秀だったり理想家だったりするかもしれないが、
結果責任原則の政治的に見ると、最大級の国家犯罪者です。

70年代にベイルートだかでテロ起こした
日本赤軍の奥平剛士は個人レベルでは
けっこう優秀で理想家だったが、
政治的にどれほど評価できるかというと、
ただの犯罪者だということと、よく似ている。

73: 日本@名無史さん 09/09 19:16

石原が軍界から追放されたのも、
自らの言動が原因の大半を占めているが、
彼には、自分の出世や地位の安泰よりも、
日本が破滅へ追い込まれていくのを
座視できない焦燥があったという。

軍人として最後のポストである京都16師団長時代
京大の公開講演会に招かれて、こう語った

「敵は中国人ではない、日本人である。
自己の野心と功名心に駆り立てられて、
武器を取った東条、梅津の輩こそ、日本の敵である。
彼等こそ銃殺されるべき人物である」

聴衆からは嵐のような拍手が・・・。

臨席していた京都府知事が、慌てて演壇に上がり
「ただ今のお話し、はこの場限りのお話として
伺っておきたいと思いますので、諸君もご承知置き下さい」

と言ったが、・・・。

93: 日本@名無史さん 09/27 10:19

石原莞爾って爵位を貰ったんだよね?

99: 日本@名無史さん 10/01 06:36

>93
爵位を貰ったのは、満州事変時の関東軍司令官・本庄繁。
これが、野心家の軍人どもの功名心を煽り、
支那事変拡大の原動力になったとも。

179: 日本@名無史さん 02/01 19:33

日本人のレベル、石原が生きてた頃と変わっちゃいないな!
あれしきの男、あの程度の理論が・・・・・・・・・・・とは。

180: 日本@名無史さん 02/05 20:35

それが近代日本の特徴だよ。
英雄を生み出さない代わりに、幾百の秀才が国を率いる。
功罪半ばだがね。

122: 日本@名無史さん 12/01 15:09

石原こそ最大の戦犯なのに、なんで起訴されなかったの?

127: 日本@名無史さん 12/02 01:42

>>122

えっ、石原って戦犯に起訴されてないの?

126: 辻ーん ◆B4YokGL1uk 12/02 01:33

日本国民自身が裁くのは難しいんじゃないかな、、
対米英開戦は、まぁ宿命だったんじゃないかな、
なんて書くとロマンチズムとか電波とか言われそうだけどな。w

石原タソは、でも、
日本に戦争責任を求めるならペリーを連れてこい、
とか言ってたんでしょ?

129: 萌国主義者 ◆Orwl8kHb4M 12/03 00:31

>>126

それは有名な話だね。
漏れが最近興味があるのは、石原が東京の病院に居たときに
はじめに訪ねた失礼なアメリカ軍将校はだれか?
そのあと訪れた将校との話がこのペリーの話である。
同席した朝日新聞の記者が文章にしたものが今に伝わっている。

GHQがどのようにどういう順番で
戦犯を決めたかの一端を見たような気がします。
石原に関してはこの探りを持ってやばいと判断したんだと思うよ。

130: 辻ーん ◆B4YokGL1uk 12/03 15:26

口先だけで、生きたり死んだりするんですね、おそろしや、、、
まぁ、辻タソなんかまんまそうだな、(そのときはまだ逃亡中かw)

131: 萌国主義者 ◆Orwl8kHb4M 12/05 22:04

>>130

辻ーんと石原莞爾将軍が被告となった
東京裁判が見てみたかったね。(w
強烈な応酬合戦となり、全員無罪のヨカーン。(w

132: 日本@名無史さん 12/05 23:14

>>131

どっちも満州事変とノモンハンで
おもっきり統帥権を干犯してるからな

148: 日本史@名無史さん 12/09 20:56

石原莞爾は反東条、反対米英戦で得したね。
そうでなければ東京裁判でA級戦犯は間違いなかった。

149: 日本@名無史さん 02/12/09 21:04

>>148

世界最終戦論は?

151: 日本史@名無史さん 12/09 21:12

>>149

タイミングのラッキーさがある。
世界最終戦にもっていくには対露戦で勝利しなければならない。
そのためにはこの開戦時に対米戦をしてはならないという
主張が出来たことが石原に幸運をもたらした。

しかしまぁ終戦から2~3年しか生きていないんだから
死者を鞭打つことも無かろう。

107: 日本@名無史さん 11/12 12:21

石原には、霊感を信じ、超自然の存在を
認めるようなところがあった、という。

彼の最終戦争論の発想が法華経の諸説を拠り所にしている。
日常でも時々通常人の感覚を超えた
世界のことを口にして人々を驚かすことが・・・。

こうした迷信じみた言動に、ウサン臭さを感じて、
近づこうとしない人も少なくなかった。
近づいても離れていく者も・・・。

だから、近代的な合理主義教育をまともに受けた、
いわゆる知識階級の者を引き留めておく力は、
石原には乏しかった(杉森久英=夕陽将軍より)

102: 日本@名無史さん 10/14 22:46

石原の最後近く、付ききりで治療に当ったのは
部下だった元軍医の宮本忠孝や菅原常雄という人たち。

石原が寝入ったすきにそっと立とうとすると、
病人はふと目を覚まして

「もう帰るのか、もう一晩ぐらいいいじゃないか」

というので

「では、もう一晩泊まらせていただきます」

となり、

便所に立っても

「もう帰るのか」

他にも菅原道大ら陸士、陸大の同期の軍人は
「もう一晩ぐらい」と引きとめられたとか。
やっぱ、石原も人の子だった。

203: 萌国主義者 ◆Orwl8kHb4M 03/05 22:08

鶴岡の人に聞いたのだが、「かんちゃ」になるみたいですね。

山形には彼の思想に共感し、
共同体の生活を選んだ人も多かったようです。
その一人のお爺さんが、「私は転向しましたが・・・」
と言っていたのが印象的だった。

その後の高度成長時代を前に共同体も自然に
一人抜け、二人抜けという風になっていったようです。
昭和24年といえばまだ戦後の混乱期、しかし少し落ち着き始めた頃。
石原莞爾には吹浦の暑い最期の夏がどう見えたのだろうか。

引用元 http://mimizun.com/log/2ch/history/1024587716/