b41

1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/05 22:37:58 ID:ELjCTMux0

バイト先の留学中国人が言ってたんだけど、
中国では小野田寛郎は戦後直後ずっとフィリピンで
人殺しまくってたって言ってたんだけど事実なの?

ぐぐったりしたけど、そのことについてもあまり記載されてないし、
日本語の記事そんな多くないし。。。
もし事実なら日本はこのことを隠してるということなの?それとも中国のデマ?

2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/05 22:50:52 ID:IldWePZO0

そりゃ、ゲリラ活動を行っていたのだから、それなりのコトやっているよ。

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/08 02:48:49 ID:bAytldD60

別に隠してないし、ウィキペディアにも書いてあるだろう。
もともと小野田は諜報員で敵地での工作活動ができるように訓練されていた。
7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/16 06:59:47 ID:0/wBwbvT0

諜報員なのに、日本が降伏したという現実を何十年も理解できなかったのは
致命的欠陥だよな。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/23 16:24:10 ID:a2zF/sU90

>>7

これはちょっと面白い反論。
30年も戦闘を継続していたと言うのは軍人としては凄い根性かもしれないが
諜報員としては確かに問題があるよな。

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/30 07:48:28 ID:TVqItTva0

>>7

降伏しても再び戦うからいろって指示されたのしらんのか

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/08/28 21:34:37 ID:4m9/Iu2X0

>>7
それは知っていたらしいよ。新聞やラジオで情報は得ていた。
しかしアメリカの傀儡政権に屈するわけがなく、
いつか反撃ののろしがあがるときを信じておもい潜伏していたらしい。

単純に日本が敗戦、投降=元の生活に戻れる
といいう発想自体、情報が発達した平和ボケした思考。

敗戦=死だからな。投降すれば生き延びられるかもなんていいうのは、
今だから考えられるようなことだろ。

それからよい意味でも、悪い意味でも
日本魂と小野田さんの気質も大きかったろう。

>>14

小野田さんは馬鹿じゃない。むしろおれらよりもずっと頭切れる。
単純に終戦していないから戦い続けないとということでもなかったらしい。
日本政府が探しにきたときにでてこなかった理由とか聞くと深いと思う。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27 01:16:06 ID:CLbcBghT0

実際は現地人殺しまくったから投降できなかっただけじゃないの

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/24 06:23:14 ID:v6P4HJ1RO

>>17

ははは・・・

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27 20:52:28 ID:NWPsutFxO

その可能性もあるけど、陸軍中野学校では「生きて虜囚の辱めを受けず」ではなく
「どんな事があっても生き延びろ」と教えられてたって、ソースは2ちゃん。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/28 01:14:07 ID:/yBEkSMJ0

>>18

それは実際に本人も言ってる

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/30 13:44:32 ID:33amL2oS0

>>18

しかし爆弾の音さえ聞こえないのに30年も隠れてるのは
よっぽどバカだよな。それとも戦前教育が悪かったのか?

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/30 14:31:53 ID:faPNPr+G0

>>24

組織的戦闘の終結後も生き残っていたらゲリラ戦で敵後方を脅かし、
情報収集や撹乱をせよ、というのはどの国の兵士でも教育される事。

特に小野田少尉には3人の部下がいたから、
将校として職務を果たすしかないだろ。
フィリピンでは投降したら殺される可能性が非常に高かったし。

ただ現実としてジャングルで孤立して生きて行くのは非常に厳しいから
ほとんどの兵士は投降するか、戦死・餓死・病死してしまう。
特に雨期を生き残るのは非常に困難。
生き残ったのは本当にすごい事。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/10 16:14:34 ID:RZEWRBNM0

電気・水道・食料の補給なしに島で30年生き延びるのは常人には無理
大抵病気にやられて死ぬ

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/30 02:12:44 ID:1y3DlMoG0

新聞読んで、天皇が生きてて、
皇太子(今の天皇)の結婚式があったり
(負けてれば天皇家はなくなってるはず)、
朝鮮戦争・ベトナム戦争で米軍機がいっぱい飛んでるのをみて
「大陸の日本軍が攻勢に出た」って思っちゃったらしい。

なんかで読んだ。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/01 02:50:54 ID:COdJuYxN0

wikiにそのまま書いてあるがな

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/15 21:48:48 ID:1N7ea0J10

ウィキにはルバング島で過去30年間で
30名の軍・警察関係者が行方不明になったと記述されているが

あの島の狭さを考えると異常な数字だそうな。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/02 01:51:35 ID:QapAO+2ZO

一億円近くかけて探し出した人間だからな
『英雄』って事にしとかないと差し障りがあったんだろうよ

小野田さんは帰国直後の身辺も精神も落ち着かないうちから
かつぎあげられてしまったから慣れない事に舞い上がったり
自分にも周りにも強がりや無理をしてしまったようで
捜索に協力してくれた元戦友たちや一緒に島に残った島田、
小塚の遺族にも嫌われる羽目になったそうだし
ちょっとかわいそうだとは思う

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/11 12:18:25 ID:qjp+cN9dO

>>28

谷口元少佐にも嫌われたの?

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/02 16:22:23 ID:qBg2sLL9O

個人的には小塚さんが一番かわいそうだと思う
1960年代くらいに小塚さんは小野田さんに
「そろそろ投降した方がいいんじゃないか」と言ってたらしいし

さすがに高度成長した日本を知れば
日本は敗戦したと気づくし
小野田さんは職業軍人だから
任務遂行したかったんだろうが

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/02 21:36:50 ID:QapAO+2ZO

>>29

確かに小野田さんの部下三人も
二人は亡くなったし、かわいそうだよな
ただ、途中で投降した赤津さんの証言によると
どうも最初、小野田さんは他の班はみんな投降してしまったし
残されていた終戦を告げる手紙やビラも気になるから
投降するかは別としても様子を確かめに行きたいと言ってたらしい
それを島田さんや小塚さんが止めたのだとか
(赤津さんは二人がいない時に小野田さんがブツブツ言ってるのも聞いたらしい)

その後は投降は禁句というか何となくみんな牽制しあう感じで
言えない雰囲気になってしまったそうだ
その時点では、まさか誰もあんなに長くジャングル生活を
する事になるなんて思ってなかったろうけど、
亡くなった二人が小野田さんの命令で残らされた完全な被害者ってわけでもなさそう

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/02 20:48:20 ID:aMQS7ETq0

小野田さんが最後の日本兵というのは間違い。

実際は、ベトミンやベトコンに参加してフランスやアメリカとの戦争を継続した
日本兵は少なからず存在してる。インドネシア、ビルマ軍、国民党軍、八路軍に
参加した日本兵もいる。彼らは大東亜戦争を継続していたわけだ。

小野田さんのブラジル以降の生き方は尊敬に値するが、
ルバング島に関する事は謎が多くて何とも言えない。

中野学校だから戦後30年残ったという人がいるが、普通は逆だろう。

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/22 08:48:12 ID:406fnLHI0

諜報部員だもんな。
戦争終わりました、はい、帰りますってわけにはいかんだろ。
そういうのが多かったとしたら、それのほうが問題あるような…。
だから、小野田さんを旧日本兵っていうのはよくない。
スパイって言わなきゃな。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/22 15:17:09 ID:DnR5/bDOO

投降しなかった理由については
中野学校の教育やスパイとしての任務がどうたら
上官の命令がなかっただのと言われてるけど、
普通に戦中教育受けてりゃ、素直に出ていかなくても不思議はなかったのかも。

アナタハン島に敗戦を信じずに戦後も篭ってた男約30人(女1人)とか、
兵士じゃない奴らもいたそうだし。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/28 09:10:13 ID:dqaeCH9u0

決定的に違うのは
小野田少尉は戦時中は仮想的でなく現実的と実際に戦っていたこと。

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/05 15:45:16 ID:sVH6YedjO

皇軍の鑑

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/19 00:26:58 ID:AYGiO++1O

↑って言われるのも辛かったんじゃね?

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/25 15:40:04 ID:Cou9T46V0

小野田さんはSAPIOで従軍慰安婦を否定する記事を書いてたが、
その中で拉致されたり騙されて連れてこられた人たちも
確かに少なくない数存在したのも事実って書いてて
ネトウヨに糾弾されとったな

あと、フィリピンってアメリカとスペインの植民地だったんだけど、
独立できたんだからイスラム王国時代の国境線に戻そうっていう
独立派ゲリラもたくさんいて、ジャングルなどはとても治安が悪い
平和なのになんで戦争が続いていると思ったか?って疑問だろうけど、
それはゲリラと政府軍、州軍との戦闘がばんばんあったから
平和なんて感じなかったんじゃないだろうか?

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/25 15:42:19 ID:Cou9T46V0

youtubeで、ミンダナオ島の
独立ゲリラと軍の戦いの動画あがってたから検索してみ?

ジャングルを空爆してるんだよwww もうね、内戦かと・・・

あれを見れば、まぁ大東亜戦争と勘違いするのもありえるなって思ったぜ

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/24 06:03:04 ID:v6P4HJ1RO

北朝鮮で暮らすより、ジャングルで暮らす方が栄養摂れるの?
帰国した拉致被害者は皆、歯がガタガタだったけど、
小野田さんも、横井さんも、歯が驚く程丈夫で綺麗だったよ。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/26 11:55:35 ID:RNqWkzd80

>>60

ニューギニアで終戦後9年間ジャングル生活をして生き延びた日本兵がいるが、
食い物は狩猟と作物栽培で何とかなったそうだが、塩が手に入らず
そのせいか歯がガタガタになったそうだ。

当初は軍の支給物資だった粉味噌で何とか保たせたそうだが、
のちは危険をおしてまで原住民と交渉して塩を手に入れたらしい。

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/01 18:17:00 ID:6btkwFfJO

なぜ、ジャングルで三十年過ごした人が、綺麗な短髪=ボーズ頭なの?
肌も綺麗だし、髭も割と整えられてるよ。
どーゆー事?

85: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/02 15:56:30 ID:sznknaK70

>>81

ジャングルに潜んでいたという事にはなってるが、
実際にいたのは竹林だからな。
湿地のジャングルなら人間も銃も軍服も1年ももたないが、
乾燥した竹林なら比較的快適に過ごせる。

ただ戦闘になったら竹林では敵弾を防ぎようもない。
発見されやすいし、襲われたら全滅してしまう。
ジャングルなら容易には見つからないし、簡単に隠れてゲリラ戦を行う事が出来る。
第二次大戦後の日本兵捕虜がボロボロだったのはそう言う訳。

当たり前の話だが、小野田さん達は、
戦闘よりも生活を優先して竹林に住んでいた。
そうしなければ死んじまうからな。

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/03 02:42:04 ID:ovmd2gAB0

綺麗な水をどうやって確保していたのかが気になる
スコールがあるから雨はかなり激しく降っていたみたいだけど

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/03 12:15:31 ID:kiIORFdW0

>>86

現代人じゃあるまいし、小川の水で十分。

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/08 22:51:58 ID:d6/fhGTnI

現地人をかなり射殺してるのは事実。
「当たらない弾は撃たなかった」
「処刑されてもしかたない。それだけのことをした」
それが彼の答え。
僕は心から尊敬している。

93: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/15 15:03:53 ID:fBl686gCO

今日、靖国神社で講演してた。誰よりも背筋がしゃんとしてた。
歩く姿もしっかりしてて、足腰のしっかりした60代にしか見えない。

握手して貰ったが、一人一人に対して柔和な笑顔だった。
イロイロ経験した人にしか出せない深い奥行きのある笑顔だよ。

肌ツヤもいいし、67、68にしか見えない。来年90だそうだ。

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/16 01:08:15 ID:kW0e9vLO0

>>93

情報感謝します。どんな話をされていたのか気になります。

96: 93、94 2011/08/17 10:37:05 ID:kxwBWPhWO

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/17 14:17:33 ID:+tQGcnaE0

>>96

すばらしい動画でした。見られて良かったです。

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/03 21:17:55 ID:VJmrVtib0

>>96

相変わらず背筋がピンとしてるな

187: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/11/18 16:38:18 ID:gHQmimF80

「蟻の兵隊」って映画に出てたな
靖国で「侵略戦争美化ですか?」と聞かれて
「開戦の大詔見りゃわかるんだよ!」て激高してた

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/11/15 06:09:47 ID:A2Jl1K0p0

小野田氏は日本の降伏を聞かされて特別命令を受けて赴任した
諜報員なんだから、一般の将兵とは事情が違うよ。
日本軍や日本兵の一般概念とも分けて捉えるべきだ。

「日本は降伏する、日本本土は占領される、しかし何年か後には
満州国に逃れた日本政府が再侵攻する計画だから、
君の任務はその時に備えてルバングに潜伏して敵の情報を
収集し来るべき日本軍の侵攻を支援することだ」
となれば、30年は確かに長いが、健康や体力が維持できていれば
10年ぐらいは潜伏して任務を継続するのは当然のことだろう。

米軍のレーダー基地を定期的に襲撃していたのも、米軍と戦うことが目的ではなく、
銃弾の火薬を手に入れるためであったらしいから、
彼は忠実に任務を果たしていたわけだ。
いつまで継続するかは特別の教育と彼の性格的なものが大きいから、
日本軍の諜報員選定の基準は正しかったということだ。

気になるのは他の諜報員の行く末だ。
公表されていないが彼と同じ命令で数百人がアジア全域に配置されていたはずだ。

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/11/21 17:04:07 ID:8YFFekLD0

>>186

じゃなんでえ
陸軍中野学校で教育を受けた者の中で
彼とその部下のみがその特別命令を受けて
フィリピンの田舎の孤島で忠実に守り続けたってわけかい?

それで、島民を虐殺し続けて、家族の
「ひろお~もう出てきなさ~い。戦争は終わったのよ~。」の呼びかけにも
意地を張って出てこなかったてわけか。
(正直これやられたら俺もいやだが。)

俺は上官の命令以外聞かない(キリッってか。
大層立派な軍人さんだこと。

それにしても、なんの罪もないのに殺された島民達はもちろんだが
彼に連れまわされたあげく、現地で非業の死を遂げた部下達が可哀そうすぎる。

小塚金七は10年以上前に日本政府の撒いた投降勧告ビラを
51歳で射殺されるまで大事に持っていたらしい。
彼が上官でさえなければ他の日本兵とともに投降し、生きて日本に帰り、
家庭を築いていただろう。

191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/11/22 02:56:09 ID:hSfQssp50

意地を張って出てこなかったと思ってる時点で何も分かってない
本すら読んだことないだろ

196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/12/19 18:39:55 ID:s/1rW9Nd0

小野田氏の犠牲になった小塚さん島田さんのご冥福を祈りたい
特に一兵卒の小塚さん さぞ故郷に帰りたかったろう 
布団の中で一度でも眠らせてあげたかったな

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/10 00:55:22 ID:I0J6gl3I0

小野田は「負けない人」。小野田さんを批判した日本人は「負けた人」。

小野田さんにとっての勝負とは、米軍に捕まらない、
フィリピン軍に捕まらない、島民に捕まらない。これは負けられないゲーム。
負けたらゴミのように扱われ、惨めな思いをする。
(実際、ソ連抑留、日本軍捕虜虐待・虐殺、
戦犯裁判と日本兵には惨めな待遇が待っていた。)

「日本が戦争に負けたかどうか」は大きな問題ではない。
重要なのは、自分が負けないこと。たとえば土方歳三は、
「薩長が官軍になった」とわかっても蝦夷共和国を作って戦い抜いた。

だが、多くの日本人は、負ければ新秩序に従わなければと思う。
どんな理不尽な待遇でも甘んじて受け入れる。どんな非合理な事も
「平和のため」「心の平穏のため」と正当化する。
自分の弱さ、勇気の無さを自己憐憫して互いに慰めあう。

小野田さんはそんな日本人が大嫌い。だからブラジルへ行った。
多くの日本人が、自分たちと同じように自己憐憫しない、負けを認めない
小野田さんを批判した。多くの人が「あんな奴はブラジルで失敗する」とののしった。

だが、小野田さんはルバング島の局地戦で勝った時のように、
ブラジルでも粘り抜いて勝ちを手に入れた。
勝ちというものは時に道徳に反するし、時に冷酷さも必要だが、
勝たなければ奴隷になるしかない。

小野田さんは、勝つ事へのこだわりを誰よりも持ち続けた稀有な日本人である。

199: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/12/22 03:46:10 ID:r/pj6pWp0

実直なひとだったんだろうけど、付き合わされた周囲の人間が
はたして幸せだったかどうかということだろうね
立派な信念に巻き込まれて殺された現地人とかかわいそうだな

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/12/30 00:22:46 ID:j8qtGx+u0

幸せ不幸せではなく、最早純粋な「日本国」民と「大日本帝国」臣民とでは
価値観や倫理観が別物になってしまっていて、
我々は彼(彼等)を評価する為に必要な尺度すら
持ち合わせていないという事なんじゃないかな

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/11/18 22:51:44 ID:UV+xD9NC0

他の諜報員も
祖国の繁栄を願って行動し、名も知られず異郷の地に眠っているのだろう。

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/28 14:33:42 ID:+D9U2PNL0

巖と固き軍律に 轟く正義その力
千萬人も敢て往く 是れ神州の大和魂

既に聖戰幾そ度 凱歌は常に我とあり
貫く赤誠たゞ一つ 知れ萬世の大日本

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/17 09:02:31 ID:TIOYBgo40

91歳かぁ・・

戦時からサバイバルまで栄養状態も悪かったのにご長寿だったね

ご冥福をお祈りします

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/17 11:27:26 ID:1Xo8hlSz0

>>203

そんな中を生き抜いたからこその長寿だろ
内蔵強かったんだろうな

209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/17 16:52:15 ID:Q4Du9FGQ0

ご冥福をお祈りします。
会ってみたかったです。

引用元 http://www.logsoku.com/r/history2/1291556278/