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30: 名無しさん@お腹いっぱい。 12/02(日) 00:05:16

実はノーベル賞は三島由紀夫に内定していたが、
審査員の一部から三島の政治的思想を問題視する声があがり、
川端へ移行しただけ。

審査員が川端へ打診したところ、
川端は三島を擁護せずにそれを承諾し、
三島へも、今回は私がいただかせてもらいます、と言った。

後年、川端は、あれは三島君がもらうべきだったと知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。
31: 名無しさん@お腹いっぱい。 12/02(日) 00:07:05

三島由紀夫の自刃直後、川端康成はいち早く現場に駆けた。
そして、警察の現場検証の際、中に入ることを許された川端は
三島の壮絶な最期の姿を見てしまう。

あとから駆けつけた石原慎太郎は中に入らなかったが、
川端が中にいることを警察から聞いた。
その後ノイローゼになっていった川端は
「ああ、ほら、そこに三島君がいる」と奇妙な言動をするようになる。

石原は、川端が三島の断たれた首を見たときの衝撃の深さを知った。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 12/02(日) 00:07:58

三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、
川端康成はふらっと自宅を出て逗子の別荘のへ向かう。
そして、仕事場として使っていた逗子市の逗子マリーナマンション417号室で、
ガス管をくわえて自殺しているところを発見される。遺書はなかった。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 12/02(日) 08:30:42

川端氏もそんなトラウマを持ってたなんて・・・
小説家ってやっぱり変わり者で天才じゃないとなれないんだな

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 12/02(日) 00:09:38

ますますバカなことを言ふとお笑ひでせうが、
小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。

小生にもしものことがあったら、
早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろひ出し、
不名誉でメチャクチャにしてしまふやうに思はれるのです。

生きてゐる自分が笑はれるのは平気ですが、
死後、子供たちが笑はれるのは耐へられません。

それを護って下さるのは川端さんだけだと、
今からひたすら便り(原文のまま)にさせていただいてをります。

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三島由紀夫
川端康成への書簡から

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 12/03(月) 00:46:47

川端康成もなにか遺書を遺せばよかったのにね

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 12/03(月) 22:58:19

でも、日本初のノーベル文学賞は川端でよかったね。

川端は日本文学の幹線だけど、三島は途中からずれた。
まさか時代遅れの売国奴小説家大江がとるとは、ぶったまげた。
(次は大江君だと三島は言ったという噂もあるが)

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 12/04(火) 12:04:21

>>41

大江は三島由紀夫が予言したから箔がついてノーベル賞とれたんだよ。

ノーベル賞はもらったくせに、
日本の天皇陛下からの賞を拒否した大江の売国、衰退ぶりを
三島由紀夫は草場の影から嘆いているだろう。

引用元:三島由紀夫の噂