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1: 名無しさん@お腹いっぱい 投稿日:2006/04/28(金) 20:48:48

杉原千畝の話は結構有名だけど、
どこに軸足を置くかで評価も分かれるよ。
外交官として大局に立った判断であっても
彼のしたことは省令無視の違法行為だから。

それに、杉原千畝を取り上げるなら、当然樋口季一郎も同じように
取り上げないと本当はおかしいしな。

親日的なお話も書いていいんだよね?

この前台湾に行って食堂に居たおっさんと話してて。
俺が日本人だと分かるといきなり説教された。

「いまの日本人はどうしたんだ。
愚かな教育やマスコミに騙されて自分達を悪者にしてしまっている。
昔の日本人がしたように、自分達もいつか悪いことをしてしまうかもしれない、
と萎縮してしまってるんじゃないか? 

本当の事を知って日本人が堂々と出来るようになれば、
アメリカなんて簡単に追い越せるぞ!」

日本人の勤勉性とか、
その辺りはかなーり評価されてるらしいですよage
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 20:48:48

http://ja.wikipedia.org/wiki/樋口季一郎

樋口 季一郎(ひぐち きいちろう, 1888年 - 1970年)は、

兵庫県淡路島生まれの日本陸軍の軍人。
18歳で岐阜県大垣市歩行町の樋口家の養子になった。
ハルピン特務機関長時代の1938年に、ナチス・ドイツの迫害下にあった
2万人のユダヤ人を救った(オトポール事件)ことで、
イスラエル建国功労者として「黄金の碑」に名前が載っている。

昭和17年8月1日、札幌に司令部を置く
北部軍(のち北方軍・第5方面軍と改称)司令官として
北東太平洋陸軍作戦を指揮。
アッツ島玉砕、キスカ島撤退、
敗戦後の占守島、樺太におけるソ連軍との戦闘を指揮した。

ユダヤ人救済についてはその功績が長く伝えられているが、
旧日本軍の軍人であったこともあって、表立って喧伝されたことがない。
これに対しては、「旧軍の関係者であるから評価すべきではない」とする主張と、
是々非々で評価すべきであるとする主張とが認められる。
現代の日本および周辺諸国では前者の意見の方が根強いため、
再評価にはまだ至っていないようである。

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/04/28(金)20:48:48

正義の人(杉原千畝と樋口季一郎) 
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/seigi/seiginohito2.htm

リトアニアを後にした杉原(杉原一家)はベルリンに行き、
そこの来栖大使の指示でチェコスロバキア、
東プロセイン、続いてルーマニアの領事となりその地で終戦を迎え、
しばらくの間ソ連の収容所に入れられていました。
1947年4月になってようやく帰国した杉原は
2ヵ月後突然の解雇を言い渡されます。

「外務次官の岡崎さんの部屋に呼ばれて、
〈君のポストはもうないのです、退職して戴きたい〉と言われた」

夫はポツリと言うと、黙り込んでしまいました。
私は言葉を継ぐこともできません。
ただ夫の顔を見つめているだけでした。

かなり後になって、岡崎次官に
「例の件によって責任を問われている。
省としてもかばい切れないのです」と言われたことを聞きました。
(六千人の命のビザ)

『例の件』とは何か。
思いつくままに書きますが、
いずれも納得できるものではありません。

まずビザ発行のことです。
しかし訓令違反による解雇というなら
それはビザ発行直後でなければならず、
その後の杉原はヨーロッパ各国に領事として赴任していますし、
1944年ルーマニアにいた時には
勲五等瑞宝章を授与させているほどです。

ですから外務省はリトアニアを去った後の杉原に
決して不利な扱いをしていないのです。

次に当時外務省は人員整理を行っていました。
これによる解雇なら、常識的に考えても奇妙な理由です。
(外務省に常識が通用するか否かは別として)

人員整理は能力の低い者から順にするものですし、
杉原のような有能な外交官にはあてはまりません。
1947年は米ソの冷戦がはじまっている時期であり、
杉原のようなソ連通の人材は
外務省にとって不可欠だったはずです。

しかし人員整理による解雇の記録は残っているようです。
これは1992年3月11日第123回国会衆議院の予算委員会において、
草川昭三(公明党)の質問と外務大臣、総理大臣の答弁です。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 23:06:33

ちうねーは違反ギリギリセーフだよ。
松岡なんてユダヤ人に便宜はかっちゃうんだから。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

杉原の別の一面として、
情報収集面で優秀な外交官であったことを
指摘しないのは片手落ちである。
リトアニアでポーランド陸軍情報部との協力体制を築き、その活動が
東プロセイン駐在まで続いたことは、ポーランド側の資料で確認されている。
杉原のルーマニア赴任後は、ストックホルムの小野寺武官
(戦後、ヨーロッパ諜報網の親玉と報道される)が役割を引き継ぐ形となる。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 23:06:33

杉原は今では有名だけど
外務省の上の方では知らない人も多かったみたい
亡くなった祖父は昭和元年あたりに入省してたけど
「スギハラ?へー、そんな奴いたのか」って祖母に言ってたらしい
祖父は帝大出なんだけど、そういう学閥みたいなのはかなりある所だから
その他大勢に過ぎなかったらしい

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

ノンキャリだった杉原を抜擢してその行動を追認した松岡や
樋口に説得されて中央に便宜を図った東條とかは全然有名じゃないな。

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

杉原千畝の悲劇―クレムリン文書は語る
http://www.amazon.co.jp/gp/product/
4811703111/ref=olp_product_details/249-8485062-3989909?ie=UTF8


『正論』 10月号 の書評欄にこの本が紹介されているけど、
外務省が杉原を追い出した理由が
ソ連文書によって明らかになったそうだ。

独ソ戦開戦前、ドイツ軍がソ連国境に向けて移動するとき、
ドイツ軍の司令部がイギリスに向けて移動するかのような
戦略的偽情報を流して、それにドイツ大使やロシア大使らが
まんまと騙されたのに、杉原は正確に、「独ソ戦近し」と報告。
ちなみに、ドイツ人も騙されていたそうだ。
それでヤバくなった外務省の連中が、
当時のヨーロッパ駐在外交官らの実情を知る杉原を
外務省訓令無視のユダヤ人へのビザ発給を理由に追い出したんだって。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

>>47
ということは、
杉原氏追放の本当の原因はユダヤ問題ではなく、
最大の理由は独ソ戦関係によるものだった、ということなの?

(´・ω・`)

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 23:06:33

いや、そういうこととはまた意味が違う。
独ソ戦の情報は情報として、
ユダヤ人の件で追放された。

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:01/10/02(日) 00:04:55

ユダヤ人の件で追放されるなら
もっと早くに追放されている。

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

ていうか、三国同盟のために
外務省が杉原の情報を握りつぶしたとでも言いたいわけ?

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

>>51
アメリカ留学経験もある松岡は、本当は反米派じゃない。
しかし、三国同盟締結の趨勢のなかで、ドイツが忌避している
ユダヤ人を保護するような目立ったことをやってもらいたくない
っての実情だろうな。ポーランド人将校も諜報活動に使ってた
杉原は、ナチスからは親英米派と疑われてゲシュタポが監視していたしね。
部下に雇い入れたドイツ系リトアニア人も、実はナチスのスパイだったんだ。

「ユダヤ人の件で」というのは口実で、実際は優秀な杉原を
追い落としたい勢力があったんだろうね。

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 23:06:33

おいおい、松岡には「独伊と同盟は結んだが
ユダヤ人を殺す約束まではしていない」発言があるだろ。
あと杉原は、実に意外なことに松岡直系の外交官。
あの有名な訓令違反に関してもお咎め無しで通っている。

56 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土) 20:48:48

>>53
>おいおい、松岡には「独伊と同盟は結んだが
ユダヤ人を殺す約束まではしていない」発言があるだろ。

そりゃそうだが、近衛が排斥的傾向にあれば、
個人の思いなんてあまり関係ないな。

57 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土) 20:48:48

杉原さんって、単なる外交官ではなく、
優秀なスパイとしての能力もあったの?

もしかして、想像してた以上にすごい人だったのかも?

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土) 23:06:33

>>56
ユダヤ人を差別しないことを決めた五相会議の決定は
近衛内閣の決定だよ。

>>57
杉原は対ソ情報網の要石を担っていた諜報官僚。
多少独走したところで排斥されるはずがない。

57 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土) 20:48:48

杉原千畝は正式は所属は満州国の官吏で、
外務省にとって杉原さんは余所者だったのよ。
外務省への身分換えも自分の意志じゃなくて、
希代のロシア通っつうこって引き抜かれたのだ。

で、実際外務省に移ってみたら、外務省本来の仕事よりも
米内光政の個人的な情報収集の仕事の方が多かったそうだ。

で、満州で数週間お義理で訓練をうけただけなのに、
予備役ながら陸軍中尉に任じられている。
最初は、ソ連領事館勤務を命じられるが、
スパイではないかとソ連に疑われて(みえみえだよなw)赴任を拒否された。

それで隣国のフィンランド、リトアニアの領事館にまわされたんだと。
ところが、ヨーロッパに赴任してみると
米内さんの私的な命令のターゲットが
ソ連からナチスドイツに変わっており、杉原さんは
ポーランドユダヤ人組織と接触して情報を収集していたそうだ。

で、有名なリトアニア崩壊のエピソードを迎える。
リトアニアでユダヤ人を助けたことで
日本の外務省や入管が混乱したのは確かだが、
それで処分されたというのは明らかな間違い。

>>3
が既に書いているように、その後杉原さんは
プラハ領事に出世し、ここでもユダヤ人に通過ビザを発行している。
ナチの外相リッペントロップと公衆の面前でやりあったのはこの時だ。

その後、ケーニヒスベルクに転出するが、
この時はナチにあてこするように領事館内に
ユダヤ人工作員を寝泊りして、露骨に反ナチ工作をやっていた。
既に日独伊三国同盟は結ばれていて、
杉原さんの反ナチ工作は外務省の方針に反するものだったが、
杉原さんは外務省以外から直接指示を得ていたので方針を変えなかった。

杉原さんの奥さんの幸子さんは岩手県の遠野出身。
杉原さんを満州国から外務省に移るように勧めたのが
米内光政で、幸子さんとの結婚はこの時。
杉原千畝は公私共に米内光政の子飼いだったんだと。

これは杉原さんの奥さん、幸子さんから直接聞いた話だ。
あちこちで講演していているので、秘密でも何でもないそうだ。

28 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土) 20:48:48

>それに、杉原千畝を取り上げるなら、
>当然樋口季一郎も同じように取り上げないと本当はおかしいしな。

まったく次元が違う。身職を賭した杉原と樋口と比較するのさえおかしい。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 23:06:33

>>28
杉原が立派な人なのはたしかだ。

しかし、樋口も極東ユダヤ人大会で勇気を持ってすばらしい演説をした。
彼のしたことはユダヤ人のためになった。

どちらも褒めて問題はなかろうに。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

つうか杉原や樋口がユダヤ人を救っていても
ユダヤでも権力や金を動かす連中には当時の日本は邪魔だったろ。

日本が開国する前から根を張っていた上海を荒し、華中を独占し
通商航海条約破棄に驚いてから揚子江開放を打診するようじゃ
貧乏な力の無いユダヤ人を救ったとこで感謝されるどころか
ウザったく思われただろう。
むしろドイツとの関係を利用してユダヤを利用しようとしていると
思われていたかもしれん。

貧乏ユダヤ人数千を助けたことで感謝されそうにない。
むしろ、上海を中心とする中国・アジアでの数百年の儲けを奪った日本は
永遠に前科者として監視対象となるだろう。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 23:06:33

>イスラエル建国功労者として「黄金の碑」に名前が載っている。
これはどうもガセらしいよ。一定以上の金額を寄付すると誰でも
名前を載せてもらえるそうだ。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

>>8
オトポール事件は事実関係に混乱が指摘されているので、
樋口中将の確実な業績としては
極東ユダヤ人大会での演説のほうがいいかもしれません。
日本のユダヤ人政策の基調を定めた大きな業績です。

30: 名無しさん@1周年 2016/02/17(水) 19:10:33.47 ID:wY87niWu0.net

■ユダヤ問題研究家・安江仙弘陸軍大佐

五相会議での「猶太(ユダヤ)人対策要綱」策定に
大きな力となった人物がいた。
安江仙弘(やすえのりひろ)陸軍大佐である。
安江大佐は幼年学校時代からロシア語を学び、
シベリア出兵時に武功をたて、
その後、陸軍随一のユダヤ問題研究家となった。

続きます

30: 名無しさん@1周年 2016/02/17(水) 19:10:33.47 ID:wY87niWu0.net

この前年の昭和12(1937)年12月26日、
満洲ハルピンにて、第一回極東ユダヤ人大会が開かれ、
ハルピン陸軍特務機関長の樋口季一郎陸軍少将が、
ドイツのユダヤ人排斥政策を批判し、
「ユダヤ人を追放するまえに、彼らに安住の地をあたえよ!」と演説して、
聴衆を感激させた。

この大会のわずか3日前に樋口少将を補佐するために
陸軍中央部から派遣されたのが、安江大佐であった。

大会後、翌13年1月21日には、安江大佐が中心となって、

関東軍は「現下ニ於ケル対猶太民族施策要領」を策定し、
世界に散在せるユダヤ民族を
「八紘一宇の我が大精神に抱擁統合するを理想とする」とした。

「八紘一宇」の八紘とは、四方と四隅、すなわち、
世界中のことで、一宇とは「一つ屋根」を意味する。

初代・神武天皇が即位された時に、
人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、
天の下のすべての人民が一つ屋根のもとで
家族のように仲良く暮らすことを建国の理想とされた。
英語では、Universal Brotherhood(世界同胞主義)と訳されている。

関東軍はこの八紘一宇の精神をもって、
ユダヤ民族を助けるべきである、と安江大佐は主張したのである。

同時に「施策要領」は
「ユダヤ資本を迎合的に投下せしむるが如き態度は厳に之を抑止す」とした。
ユダヤ難民をあくまで人道的に取り扱うが、
ユダヤ資本をあてにするような事はしない、という方針である。

この後、3月8日から12日にかけて、
約2万人のユダヤ難民がシベリア鉄道経由で押し寄せ、
吹雪の中で立ち往生している所を、樋口季一郎少将が中心となって、
特別列車を出して救出した。

■八紘一宇を国是として

安江大佐は9月19日、外務省本省において、
外務、陸海軍関係者を集めて、
ユダヤ問題に関する講演を行い、次のように述べた。

ユダヤ人は従来第三者のごとき地位にあったが、
支那事変とともに我々の軒先に入ってきたのである。これをいかに扱うか。
ドイツのごとき方法を取るべからざることは明瞭である。

日本の八紘一宇、満洲の諸民族協和の精神からしても
排撃方針は不可である。よろしく保護し、御稜威を彼らにおよぼすべきである。

御稜威(みいつ)とは皇室の民を守る威光のことである。
その威光をユダヤ難民にも及ぼすべく、
安江大佐は日本帝国全体の国策決定を板垣征四郎・陸軍大臣に働きかけた。

曰く、我国は、八紘一宇を国是としており
ユダヤ民族に対してもこれを例外とすべきではない。
彼らは世界中に行先無く、保護を求めているのである。

講演、板垣大臣への説得とも、
常に「八紘一宇」が安江大佐の主張の基盤となっていた。
こうした働きかけにより12月6日の五相会議において、
板垣陸軍大臣より「猶太人(ユダヤ人)対策要綱」が提案され、
国策として決定されたのである。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:01/10/02(日) 00:04:55

杉原千畝が世界史の教科書に載っていた
樋口季一郎は載っていなかった
それは軍人だからかも

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 23:06:33

>>10
今教科書つくってる連中は、
個人の功績にしたいんだろうな。政府じゃなくて
軍人だと日本政府が八紘一宇の国策として
ユダヤ人を救おうとしていたことを認めてしまうからな。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/29(土)20:48:48

まあ、でも10年後の教科書には、
樋口季一郎さんの名前は堂々と載っていると思うよ。

そう願いたい…(´・ω・`)

引用元:【政治】日本のこころ・和田政調会長
「太平洋戦争で勝ち目がなかったというのはGHQによる刷り込み」