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1: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:10:43 ID:HiG

本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)
1925(大正14)年1月14日 - 1970(昭和45)年11月25日
日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。
戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、
日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である。
代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、
戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などがある。
晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。
1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に
自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。
バルコニーでクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた。

辞世の句
〈益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜〉
「益荒男」はおそらく自衛隊。
「たばさむ太刀の鞘鳴り」は、剣を抜きたくても抜けずに、鞘の音だけがしている様子。
自衛隊は戦後憲法の元で行動を抑えつけられ何年も耐えてきたが、
初霜の降りた今日、ついに決起の日が来た。

〈散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐〉
命をかけて行動するのを嫌う世の中だが、小夜嵐で潔く散る桜こそ美しいように、
そんな世の中や人に先駆け、命をかけて行動することに価値がある。

引用元http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1456308643/
2: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:11:47 ID:HiG

小説の世界では、上手であることが第一の正義である。
ドストエフスキーもジッドもリラダンも、先づ上手だから正義なのである。
下手なものは、千万言の理論の正不正とは別に、悪である。
われわれ若い者は下手なるがゆゑに悪である。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「上手と正義(舟橋聖一『鵞毛』評)」より

3: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:12:28 ID:HiG

凡(すべ)てにわかり合はうといふことが
おそろしいほど欠けてゐる時代である。
お互がわからないことを誇る悲しい時代である。
なまじつかわかり合はうとすれば自分の体に傷がつくことを知つてゐるからだ。
もうすこしバカにならうではないか。そしてよいものをよいと言はうではないか。
平岡公威(三島由紀夫)22歳「上手と正義(舟橋聖一『鵞毛』評)」より

4: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:13:02 ID:HiG

極端に自分の感情を秘密にしたがる性格の持主は、
一見どこまでも傷つかぬ第三者として身を全うすることができるかとみえる。
ところがかういふ人物の心の中にこそ、現代の綺譚と神秘が住み、
思ひがけない古風な悲劇へとそれらが彼を連れ込むのである。
「盗賊」より

5: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:13:37 ID:HiG

男には屡々(しばしば)見るが女にはきはめて稀なのが偽悪者である。
と同時に真の偽善者も亦(また)、女の中にこれを見出だすのはむつかしい。
女は自分以外のものにはなれないのである。
といふより実にお手軽に「自分自身」になりきるのだ。
宗教が女性を収攬しやすい理由は茲(ここ)にある。
「盗賊」より

6: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:14:11 ID:HiG

女の心に全く無智な者として振舞ひながら
その心に触れてゆくやり方は青年の特権である。
「盗賊」より

7: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:14:45 ID:HiG

嫉妬こそ生きる力だ。
だが魂が未熟なままに生ひ育つた人のなかには、
苦しむことを知つて嫉妬することを知らない人が往々ある。
彼は嫉妬といふ見かけは危険でその実安全な感情を、もつと微妙で高尚な、
それだけ、はるかに、危険な感情と好んですりかへてしまふのだ。
「盗賊」より

8: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:15:19 ID:HiG

処女だけに似つかはしい種類の淫蕩さといふものがある。
それは成熟した女の淫蕩とはことかはり、微風のやうに人を酔はせる。
それは可愛らしい悪趣味の一種である。
たとへば赤ん坊をくすぐるのが大好きだと謂つたたぐひの。
「仮面の告白」より

9: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:15:56 ID:HiG

明治時代にはあだし男の接吻に会つて
自殺を選んだ貞淑な夫人があつた。
現代ではそんな女が見当らないのは、人が云ふやうに
貞淑の観念の推移ではなくて、快感の絶対量の推移であるやうに思はれる。
ストイックな時代に人々が生れ合はせれば、
一度の接吻に死を賭けることもできるのだが、
生憎今日のわれわれはそれほど無上の接吻を経験しえないだけのことである。
どつちが不感症の時代であらうか?
「純白の夜」より

10: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:16:31 ID:HiG

何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。
それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。
明日にのこつてゐる繕ひものとか、明日立つことになつてゐる旅行の切符とか、
明日飲むことにしてある罎ののこりの僅かな酒とか、
さういふものを人は明日のために喜捨する。
そして夜明けを迎へることを許される。
「愛の渇き」より

11: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:17:04 ID:HiG

人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、それだけにまた、
生きるに値ひしないといふことを考へないでゐることは、
多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難である。
「愛の渇き」より

12: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:17:37 ID:HiG

ある人たちにとつては生きることがいかにも容易であり、
ある人にとつてはいかにも困難である。
人種的差別よりももつと甚だしいこの不公平。
「愛の渇き」より

13: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:18:11 ID:HiG

あまりに永い苦悩は人を愚かにする。
苦悩によつて愚かにされた人は、もう歓喜を疑ふことができない。
「愛の渇き」より

14: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:18:44 ID:HiG

感傷といふものが女性的な特質のやうに
考へられてゐるのは明らかに誤解である。
感傷的といふことは男性的といふことなのだ。
「青の時代」より

15: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:19:18 ID:HiG

近代が発明したもろもろの幻影のうちで、
「社会」といふやつはもつとも人間的な幻影だ。
人間の原型は、もはや個人のなかには求められず
社会のなかにしか求められない。
原始人のやうに健康に欲望を追求し、
原始人のやうに生き、動き、愛し、眠るのは、近代においては「社会」なのである。
新聞の三面記事が争つて読まれるのは、
この原始人の朝な朝なの生態と消息を知らうとする欲望である。
「青の時代」より

16: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:19:51 ID:HiG

人間の弱さは強さと同一のものであり、
美点は欠点の別な側面だといふ考へに達するためには、
年をとらなければならない。
「青の時代」より

17: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:20:19 ID:HiG

感動すまいとする分析家は、感動以上の誤りを犯す場合がままある。
「青の時代」より

19: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:20:49 ID:lys

三島由紀夫って右翼ってマジ?

20: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:20:52 ID:HiG

家庭といふものはどこかに必ず何らかの不幸を孕んでゐるものだ。
帆船を航路の上に押しすすめる順風は、
それを破滅にみちびく暴風と本質的には同じ風である。
家庭や家族は順風のやうな中和された不幸に押されて動いてゆくもので、
家族をゑがいた多くの名画には、
華押のやうに、ひそんだ不幸が手落ちなく一隅に書き込まれてゐる。
「禁色」より

21: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:21:02 ID:iXB

三振だけじゃなくて、君のハートも奪っちゃおうかなっ♪
「すぽると」より

22: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:21:21 ID:lys

>>21

それは三嶋

18: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:20:40 ID:RKi

愛の疾走好きやからそこからなんか頼むわ

23: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:21:56 ID:HiG

女といふものはな、頭から信じてしまふか、
頭から疑つてかかるか、どつちかしかないものだな。
どつちつかずだと、こつちが悩んで往生する。漁も同じだ。
「今日はとれるかな、とれないかな」……これではいかん。
必ず大漁と思つて出ると大漁、からきしダメだらうと
思つて出ると大漁、全くヘンなものだ。
こつちが中途半端な気持だと、
向ふも中途半端になるものらしい。全くヘンなものだ。
「愛の疾走」より

24: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:22:30 ID:HiG

初恋がすらすらと結ばれたら、
そんな夫婦の一生は、箸にも棒にもかからないものになる。
人間は怠け者の動物で、苦しめてやらなくては決して自分を発見しない。
自分を発見しないといふことは、要するに、本当の幸福を発見しないといふことだ。
「愛の疾走」より

25: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:23:01 ID:B2d

サンキューイッチ

26: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:23:03 ID:gLJ

死なずに東京都知事にでもなればよかったのに
実際なれたろ

27: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:23:16 ID:HiG

自殺はどんな高尚なそれも低級なそれも、思考それ自体の自殺行為であり、
およそ考へすぎなかつた自殺といふものは存在しない。
「禁色」より

28: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:23:50 ID:HiG

愛さないで体を委すといふことが、
男にはあんなに易しいのに、女にはどうして難しいのだらう。
なぜそれを知ることが、娼婦だけにゆるされてゐるのだらう。
「禁色」より

29: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:24:25 ID:HiG

『君は僕が好きだ。僕も僕が好きだ。仲良くしませう』
──これはエゴイストの愛情の公理である。
同時に、相思相愛の唯一の事例である。
「禁色」より

31: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:24:57 ID:HiG

女はあらゆる価値を感性の泥沼に引きづり下ろしてしまふ。
女は主義といふものを全く理解しない。
「何々主義的」といふところまではわかるが、「何々主義」といふものはわからない。
主義ばかりではない。独創性がないから、雰囲気をさへ理解しない。
わかるのは匂ひだけだ。
「禁色」より

32: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:25:31 ID:HiG

女のもつ性的魅力、媚態の本能、
あらゆる性的牽引の才能は、女の無用であることの証拠である。
有用なものは媚態を要しない。
男が女に惹かれねばならぬことは何といふ損失であらう。
男の精神性に加へられた何といふ汚辱であらう。
「禁色」より

33: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:25:59 ID:HiG

思想を抱いてゐる男は、女の目にはもともと神秘的に見えるものである。
女は死んでも「青大将は俺の大好物だ」
なんぞと言へないやうに出来てゐるからである。
「禁色」より

34: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:26:33 ID:HiG

女は決して征服されない。決して!
男が女に対する崇敬の念から凌辱を敢てする場合がままあるやうに、
この上ない侮蔑の証しとして、女が男に身を任す場合もあるのだ。
「禁色」より

35: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:27:07 ID:HiG

大体私は女ぎらいというよりも、
古い頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思っているにすぎない。
女性は劣等であり、私は馬鹿でない女(もちろん利口馬鹿を含む)には

めったに会ったことがない。
事実また私は女性を怖れているが、
男でも私がもっとも怖れるのは馬鹿な男である。
まことに馬鹿ほど怖いものはない。

また註釈を加えるが、馬鹿な博士もあり、
教育を全くうけていない聡明な人も沢山いるから、
何も私は学歴を問題にしているのではない。
こう云うと、いかにも私が、
本当に聡明な女性に会ったことがない不幸な男である、

という風に曲解して、私に同情を寄せてくる女性がきっと現れる。
こればかりは断言してもいい。
しかしそういう女性が、つまり一般論に対する
個別的例外の幻想にいつも生きている女が、実は馬鹿な女の代表なのである。
「女ぎらひの弁」より

36: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:28:05 ID:HiG

女性は抽象精神とは無縁の徒である。
音楽と建築は女の手によってろくなものはできず、
透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性でよごしてしまう。
構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、
無意味な具体性、低次の現実主義、
これらはみな女性的欠陥であり、
芸術において女性的様式は問題なく「悪い」様式である。
私は湿気の高い感性的芸術のえんえんと続いてきた
日本の文学史を呪わずにはいられない。
「女ぎらひの弁」より

37: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:28:52 ID:HiG

私は芸術家志望の女性に会うと、女優か女声歌手になるのなら格別、
女に天才というものが理論的にありえないということに、
どうして気がつかないかと首をひねらざるをえない。

実際芸術の堕落は、すべて女性の社会進出から起つてゐる。
女が何かつべこべいふと、土性骨のすわらぬ男性芸術家が、い
つも妥協し屈服して来たのだ。

あのフェミニストらしきフランスが、
女に選挙権を与へるのをいつまでも渋つてゐたのは、
フランスが芸術の何たるかを知つてゐたからである。
「女ぎらひの弁」より

38: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:29:47 ID:HiG

道徳の堕落も亦(また)、女性の側から起つてゐる。
男性の仕事の能力を削減し、
男性を性的存在にしばりつけるやうな道徳が、
女性の側から提唱され、アメリカの如きは女のおかげで
惨澹たる被害を蒙つてゐる。

悪しき人間主義はいつも女性的なものである。

男性固有の道徳、ローマ人の道徳は、
キリスト教によつて普遍的か人間道徳へと曲げられた。
そのとき道徳の堕落がはじまつた。道徳の中性化が起つたのである。
「女ぎらひの弁」より

41: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:32:41 ID:HiG

地位を持つた男たちといふものは、
少女みたいな感受性を持つてゐる。
いつもでは困るが、一寸(ちょっと)した息抜きに、
何でもない男から肩を叩かれると嬉しくなるのだ。
「鍵のかかる部屋」より

44: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:35:14 ID:HiG

本当に男を尊敬できるのは、劣等感を持つた女だけだ。
「鍵のかかる部屋」より

45: 名無しさん@おーぷん 2016/02/24(水)19:35:47 ID:HiG

鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。
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が、血の流れたときは、悲劇は終つてしまつたあとなのである。
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「金閣寺」より

引用元:三島由紀夫の言葉