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560: 本当にあった怖い名無し 2007/08/19(日) 21:38:44 ID:Ih3oRKKf0

君たちは、大東亜戦争において何が間違っていたと思いますか。
開戦の判断等は別にして、軍のあり方として
何が間違っていたかという意味です。
正しかった部分でも構いません。

576: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 13:08:31 ID:71KIkLlM0

日清・日露の時は、維新から日がたってないから「まぁ、こんなもんなんだろ」
って国民の大多数は思ってた模様。国全体で、「脱亜入欧」をスローガンに
一流国の仲間入りと豊かな生活を目指してたし、他国からの収奪とか侵略が
当たり前の時代だからね。日露戦争の早期講和を肯定した新聞社が
焼き討ちされたりとか。あぁ、朝日新聞ではないよww
577: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 13:23:32 ID:ZZoYcVhy0

当時の朝日は超右翼だw

578: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 14:52:35 ID:sWCbDT33O

まあ、言論統制の関係もあるんじゃね
全然、政治思想に関係ない文学書も廃版にされたとかあったらしいしね

579: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 17:36:23 ID:d+5Oo3fP0

やっぱり戦争は大量に人が死ぬしそういう話もた絶えなかったらしいよ。
俺のじいちゃんも満州で戦車動かしてたけど国民党軍と闘ってる時に
幽霊戦車みたいなのが後ろからすーっとやってきて
国民党軍に突撃していったのが部隊全員がはっきりみたらしい。

580: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 19:05:05 ID:UaKnnjFA0

おぉ~、幽霊戦車カッコヨス。チハとかなら、更に素敵・・

581: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 19:58:50 ID:iai3c7Ua0

水木さんもユウレイ戦車カッコイイと思うんだな

567: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 01:44:33 ID:QDwcZ3aS0

戦争末期にはコンクリートの油槽船とか貨物船もあった

568: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 02:02:31 ID:71KIkLlM0

↑マジ?知らんかった。
フ号作戦とかもかな?でも、確か米本土に届いたんだよね、風船爆弾。
一般市民が負傷したって聞いた気が。

583: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 23:00:47 ID:QP9ahWqd0

惜しむらくはアメリカ側の情報管制により、
日本側が全く戦果を把握していなかったことだな。
もしこれに細菌兵器でも搭載して飛ばせば、戦果はもとより無差別攻撃に対する
それなりの抑止力にはなったはず。
少なくとも原爆で一方的にやられることだけはなかっただろう。

589: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 23:25:00 ID:pga3Bn5D0

>>583

細菌兵器使うと、
報復に敵も使う可能性があるってんで、使わなかったらしい。
アメリカの方が、大規模かつ広範囲に細菌ばらまけるんだもの。
報復に使われたら、栄養不足の国民を
一斉に伝染病が襲うわけで、洒落にならん。

アメリカが国民に細菌兵器使われた時、
敵に細菌をまく事を躊躇するとも思えないから、
抑止力にはならなかったろうな。

585: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 23:11:11 ID:iai3c7Ua0

米は細菌兵器を恐れて
風船爆弾の工場 発射基地を特定して
徹底的に爆撃した

586: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 23:14:12 ID:Vavy7rsd0

風船おじさんも風船爆弾のことを詳しく調べてから設計製作すれば
アメリカまで行けたかもしれないのに。
でもアメリカに着いた時にはカチンコチンに凍っているだろうけど。

588: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 23:21:01 ID:RzoJkDcRO

>>586

チンコチンチンに凍って(ry
に見えた。

587: 本当にあった怖い名無し 2007/08/20(月) 23:18:29 ID:evrDvf7h0

風船おじさん懐かしいなwリアルバルーンファイトだなww

590: 本当にあった怖い名無し 2007/08/21(火) 00:30:05 ID:lmy4GEEs0

昔、父から聞いた話を思い出して書いてみます
当時、父は父(叔父)と母、長男、次男(父)の4人で暮らしていました
しかし、戦局が厳しくなると、当時、学生だった長男も出征する事になりました

駅で汽車に乗り込む際、母は泣きながら近くの神社のお守りを手渡し、
父は長男が生まれた日に買った柱時計のぜんまいを巻くネジを手渡して
「これはお前に預ける、帰ってきてお前が巻くんだ… 良いか、絶対だぞ!!」
と言ったそうです

それから数ヶ月経ったある日の夜、両親は突然金縛りにあって目が覚めました
同時に、玄関の扉がガラガラと開く音がしました
そのまま、コトコトと足音が一家の寝ている寝室に迫ってきて… 
部屋の襖が開きました

泥に汚れた靴、足に巻いた包帯、軍服に白襷、そして鉄兜… 
月明かりに照らし出されたその姿と顔は、まさしく長男でした
彼は、まだ幼かった次男と柱時計を見てにこりと微笑み、両親に一礼したそうです
同時に、カチンという音と共に別の時計が1時を指しました 
(柱時計はぜんまいが伸びていたので動いていませんでした)

はっとして再び長男の立っていた所を見ましたが、そこには誰もいませんでした
ただ、そこにはあのネジとお守り、
そして「生きて帰る事が出来ず申し訳御座いません」
と書かれた1通の手紙がおいてありました

数日後、家に電報が届きました…  そこには、やはりと言うべきか
「歩兵○連隊は、午前1時、現地時間○時ごろ、
○島にて決死の突撃を敢行し、見事全軍玉砕せり」と書かれていました

あれから早六十数年、当時の家も取り壊され、
叔父も逝き、父ももう長くはありません
長男も今、どこかの島の土の下で眠っています
あの手紙やお守りは今も大事にしまってありますし、
柱時計も今、この瞬間も時を刻んで、
鐘を鳴らしています(ネジももちろんあります)
少なくとも、私が生きている限りはこれらの品々は絶対に残していきます

以上   駄文、長文の上にベタな話ですいません 
…最後まで読んでくれた方ありがとう御座いました

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話