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787: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 05:38:07 ID:oHwKjAdD0

けっこう光人社NF文庫もってるんだけど
怖い話ってないもんだな、もちろん霊的な意味で。

ひとつだけ、パラオ諸島で玉砕後に切り込みをやった話に
重症を負った兵士が海を泳いで逃げてる途中に亡くなり、
同僚たちが流れついた小島で霊体となって
食糧のある場所を教えてくれたのがあるくらいだ

いちばん怖いのは野戦病院だな…。ロクに手当もされないまま放置されて
敵が迫ってくると捕虜にさせないために味方を銃殺って、酷過ぎるだろ…!
789: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 06:22:06 ID:mbOulivH0

>>787

当時は、敵に捕虜にされると、
死ぬより酷い目に遭わされる事が良くあったので、
殺すのは逆に情けかも知らん。
アメリカは捕虜の扱いはマシな方だったけど、
そんなん知るよしもないし。

医療品が無いから治療が出来ない。
怪我で歩けないから一緒に連れて行けない。
敵は鬼畜であり、捕まれば何をされるかわからない。
敵に捕まらなくても、放置されれば遠からず苦しんで死ぬ。

という条件がそろった時、苦しむ戦友に何をしてやれるかって考えたら、
あまり選択の余地はないだろな。

790: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 06:45:47 ID:oHwKjAdD0

いわれてみればそうだな…。
日本軍は捕虜を簡単に処刑してたし、
アメリカも最初は捕虜をとらなかったらしいし。

書いてるときインパールの野戦病院思い出してたんで
輸送できないことにハラがたってたんだ。
あと、俺は陸自にいってたので他の人よりも
過剰反応してしまうのかもしれない

791: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 07:23:07 ID:8iNUBJ860

戦後と違って、当時は武士道とか
武家社会の伝統や風潮が少なからず残ってただろうしな
生き恥を晒すくらいなら死にたがる人も少なからずいたかと

792: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 08:48:28 ID:4rGcMRkMO

>>791

残っていたというより国家教育で利用していたとも考えられないか
当時の教科書なんてそんなものじゃなかったけ?
神話を史実として扱ったり

793: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 09:49:09 ID:N3ahF87+0

>>792

あの、クソ東條が、『戦陣訓』なんて物をでっち上げて、
「死して虜囚の辱めを受けず」と、
はっきり「捕虜になりそうになったら死ね」と命令してるよ。
それでいて、本人は「自殺する~」とか言いながら、
小口径の拳銃で胸を撃って、『手が滑って、うまくあたらなかった』
という狂言自殺としか思えないような行動を取っている。

795: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 10:18:01 ID:xO+ScZXm0

「生きて」虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ、な。
というか捕虜を良しとせずに自決するのを是とする風潮は
日清戦争あたりから出てきてるから。

あと、戦陣訓は基本的に日中戦争を想定したもので、
中国側に捕虜に取られるということが
どういう悲惨な末路を意味するかがほぼ明らかになっていたから
あの表現になった面もある。

あと東條の自決未遂は狂言とは断言できない。
実際心臓のすぐ近くに命中しており死んでも不思議ではない傷だった。
そもそも使用拳銃もその口径も確定されてないし。

何にせよ、今の価値基準と資料からの判断で
当時の人間を「クソ」と評するのは
歴史の見方としてあまり褒められたものではない。

ていうかオカルトな話しようぜ。

794: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 10:08:23 ID:8iNUBJ860

東条と言えば、こんな話があったな

この俗にいう東京裁判がとうてい裁判の名にあたいするものではなく、
先勝国が敗戦国をこらしめる見せしめのリンチであり、
日本を弱体化するために仕組んだ陰惨な復讐劇であった証拠に、
東条英機元首相はじめA級戦犯を起訴した日は
昭和天皇のお誕生日である四月二十九日、
その内七名に巣鴨拘置所で絞首刑を執行した日は
当時の皇太子殿下(今上天皇)のお誕生日である十二月二十三日だった。

問題は次です。
絞首刑にあったA級戦犯七名の遺体は荼毘に付された、
というより、ゴミのように焼却された。
その遺骨はついに遺族のもとに返されることなく、どこかに放棄された。

一説に太平洋にまかれたといわれる。要するに、散骨されたわけである。
これが日本人に対する最大の屈辱的な仕打ちであることを承知の上で、
占領軍はあえて行なったのだった。

しかし当時の状況として、英霊の遺族たちは
この屈辱に黙って耐えるほかはなかった。

中略

この後日潭がある。
東条元首相以下七名の処刑から
遺体処理までを指揮したGHQのウォーカー中将は、
その後の朝鮮戦争で自ら乗った自動車に友軍のトラックが追突して
断崖から転落して、事故死した。

その日が、なんと七名の戦犯処刑三年後の同じ十二月二十三日、
しかもその時刻まで同じく処刑執行の午前零時だった。
当時の関係者は「怨霊」の恐ろしさに愕然としたという。

これぞ因果応報と得心こそすれ、
不幸な事故に同情する者はひとりとしていなかったとも…。
http://www.mikkyo21f.gr.jp/father_shukyo002.html

796: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 14:42:43 ID:VxL5xqDp0

>>794

祥月命日を知ったマッカーサーが慌てて供養のために使いを
日本に行かせたらしいね。

797: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 22:42:52 ID:4rGcMRkMO

>>794

戦犯者の遺骨は遺族や当時の日本人に
持ってかれないようにしてたんじゃなかったけ?
日本人はその遺骨を崇拝する危険性を含んでいると判断されていたんだよな

798: 本当にあった怖い名無し 2007/09/02(日) 23:00:46 ID:YDrZyXV20

実際は遺骨は一部を関係者が隠れてGetしとります。

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話