b800

1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/27(水) 12:56:14 ID:asT8YLtt0

すごいオーラだった

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/27(水) 16:40:51 ID:LMXvp6H80

大学の退官前の気難しい教授っぽい。
筋道重んじる感じ。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/27(水) 16:44:04 ID:zzQIy89b0

昭和初期は軍部から軽んじられていたけどな
軍部へのオーラは2・26以後じゃないか

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/27(水) 16:57:49 ID:ahdR95Mc0

温厚だけど、怒らせたら恐ろしいを地でいっている方だったとか。
6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/27(水) 20:23:41 ID:MeS8ovcJO

東郷平八郎に厳しく教えられてきた

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/27(水) 23:41:10 ID:H2yP1qj50

中大兄皇子と鎌足の子孫の間の子だからな。
カリスマがあって当然。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/28(木) 00:53:51 ID:nykt9qUi0

あ、そう

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/28(木) 08:07:56 ID:MGJiJT4C0

あっそうにも色々バリエーションがあったみたいだね

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/28(木) 18:59:09 ID:94ys7JL20

このジジいは敗戦後、せめて退位するべきだった、、、
自殺でも良いけど、日本人がそこを追求しないのは優しいからなのだ
このじいさんも大した阿婆擦れだ

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/16(月) 23:42:24 ID:b9wvBRj10

>>11

そりゃ違うよ
あまりにも違うので言わせて貰うが
天皇は始め自分が元首だから自分が責任をとると言ったが
アメリカが天皇殺すと後が怖いって言うんで
生かしつづけたのだよ

別に日本人がどうのって話ではない

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/28(木) 19:46:41 ID:jG1j+KZt0

菊のカーテンの向こう側に隠れたままの
現人神ならカリスマもあっただろうけど・・・

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/29(金) 11:09:01 ID:HuzH2D4p0

おれは好きだけどね。学者君主なんだけど、文人というより
サラザールやマクナマラみたいな「意志の強いインテリ」の感じがさ。
満州某事件で西園寺に「田中卸しは憲政の常道に反する」と叱られて
しばらく鳴りを潜めたけど、226事件や蒋介石相手の上海決戦の頃から
強靭な意志の強さを感じる

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/01(日) 12:57:57 ID:oqv8NGR8O

皇太子時代に、事実上の国家元首だった山縣有朋に敢然と立ち向かい、
結果失脚に追い込むことができたんだから、
山縣を嫌っていた国民の間で神格化されるのも当然。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/01(日) 13:03:16 ID:LHYITpfY0

伊藤之雄は昭和天皇の帝王学は徳育に偏りすぎて
立憲君主制の具体的運用法を教えなかった為失敗と言ってるね。

でもその徳育であの一種不可思議な魅力とカリスマ性が出来たんだろうな。

401: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/02/12(木) 19:19:41 ID:l7ypNynyO

>>17

運用法はともかく昭和天皇は
誰よりも忠実に立憲君主たろうとされていた方ですよ。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/01(日) 13:09:22 ID:rvGrkXld0

それだけカリスマ性と強い意志のあった天皇なんだから
対米開戦を回避するくらい簡単だよね。
実際にアメリカと戦争したってことは昭和天皇も開戦に賛成だったんだね。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/02(月) 20:23:42 ID:Yyr6tUax0

昭和天皇は勝てる戦争ならすれば良いという考えだ。例えば日中戦争なんて
短期決戦ならOKと言う考えだから・・・
平和主義者とか人徳者と言うのは美化しすぎ。

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/14(土) 14:20:15 ID:tDRU4rJi0

テレビで見る姿は穏やかなお爺ちゃんという感じだった。
同時代を生きた日本人の中では歴史上、最も重要人物だろうね。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/16(月) 22:46:22 ID:h3lpbHz20

しかし天皇機関説事件で美濃部をつるしあげたウヨは
陛下を尊敬してんのか利用したいだけなのか…

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/18(水) 01:15:19 ID:lGQrvyTv0

>>39

昭和ウヨとその末裔どもなんて、所詮、正成の皮を被った尊氏だから。
「天皇は、俺たちが握った握り飯を黙って食ってりゃいいんだ」(by三島)ってのが、
意識するしないにかかわらず、連中の本音だから。

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/17(火) 00:40:32 ID:KGFyXu9D0

昭和天皇は、生涯「立憲君主」を貫いた立派な方であった。
御苦労が多かっただろうと思うと涙がでる。

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/18(水) 20:42:34 ID:MEOLeCUz0

>>41

戦前は大元帥、戦後は象徴天皇、
自分に要求された務めを果たされたと思う。

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/18(水) 05:08:20 ID:5k+suwCVO

会見した外国要人からの評判は如何なものだったの?
日本のメディアが伝えないような闇評価も含めて。

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/24(火) 09:42:51 ID:o0LKCkJW0

>>47

独特の魅力を持っており、
アメリカのフォード大統領も訪日の際、昭和天皇に謁見したが、
そのカリスマに終始手を震わせたと帰国後に告白している。
崩御の際には人種・地域を問わず、世界各国から代表者が顔を揃えた。

403: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/02/12(木) 19:34:24 ID:l7ypNynyO

>>71

中国の周恩来も震えたらしいですね。
昭和天皇て、じつは日本人が
思っていた以上に
当時の世界ではVIPだったのでしょう。

405: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/02/12(木) 19:48:26 ID:l7ypNynyO

>>71

当時の世界の報道は
「第二次世界大戦最後の指導者死す」
ていう報道が多かったように
記憶しています。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/18(水) 08:46:41 ID:6cRczSeQ0

要人ではないが終戦後の全国巡幸では
護衛の進駐軍兵士や米人記者に随分馬鹿にされた。
たどたどしい言葉遣いや「あ、そう」が余程奇異に見えたらしい。

49: イランジン 投稿日:2006/10/18(水) 10:24:42 ID:XqgX2qXT0

天皇陛下マンセーーーと将軍様万歳!

どうちがうんや?

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/18(水) 12:08:13 ID:2tM+IUxA0

>>49

自分から進んでやる=天皇万歳
無理矢理やらされる=将軍様マンセー

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/19(木) 09:47:28 ID:xEYrrhgSO

戦争反対者を弾圧した張本人でしょ。

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/19(木) 18:42:21 ID:05EWagX00

>弾圧

これについては責任ないよ。
治安維持法とか制定したのは帝国議会だから
天皇はそれを嫌でも公布せざるを得ない。

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/20(金) 09:57:02 ID:CWB8+zJzO

戦争開始に権限なかったと言うなら、
終結にも権限なく、単に追認しただけ

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/20(金) 12:57:10 ID:1KeQ8g4u0

>>60

まだ戦う意思のある兵士などに
敗戦の事実を認めさせるには、天皇の御言葉が一番。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/20(金) 18:11:06 ID:EI4uzgYu0

みんな天皇なんて形だけのお飾りと思っていたらしい。

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/20(金) 18:31:06 ID:1KeQ8g4u0

>>64

少なくとも民衆と軍人以外の一部の政治家だな。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/27(水) 22:06:14 ID:9oliFDP20

日露戦争のとき、高橋是清が戦時公債を売りに英国に行った。
必要額1億円のうち半分は集まった。とある晩餐会で
ヘンリー・ヤコブ・シフというユダヤ人の金持ちが高橋の隣に座った。

シフは日本の状況を高橋に詳しく聞いた。
翌日シフが残りの公債を引き受けると言ってきた。
その後も英国の銀行やシフの協力で何度も公債の募集を成功させた。
高橋は不思議に思ったが、シフと付き合ううちに、
ロシアのユダヤ人が虐待・虐殺されていたことが理由だと分かった。

昭和41年イスラエルのバルトゥール駐日大使が
信任状を持って皇居に参内。
そのとき昭和天皇は次のように述べた。

「日本民族はユダヤ民族に対して感謝の念を忘れません。
かつて我が国はヤコブ・シフ氏に大変お世話になりました。
日本はこの恩を決して忘れることはありません。」

大使はヤコブ・シフを知らなかったので
帰って勉強したそうな。皇室から毎年ニューヨークのシフ家に
新年のカードが届くのだが、シフ一族は最近までその理由が分からなかった。

400: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/02/12(木) 19:17:22 ID:l7ypNynyO

>>7

皇室の義理を重んじる態度に
感動を覚えました。

しかし、日本国民は
皇室に民族の生命を救われた
恩義を気付いていないようでもあります。

引用元:昭和天皇のカリスマ性は異常