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550: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

1945年8月6日の広島市、同年8月9日の長崎市、
人類史上二回の原子爆弾投下であるが、
そのどちらにも居合わせ、相次いで被爆した「二重被爆者」がいることが、
2005年に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の調査で判明した。

広島から避難して長崎で再度原爆に遭遇して、しかも生き残ったなんて
運が良いんだか悪いんだか分からないよ。
552: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>550
その人かどうか知らんがその二つに加えてさらに
阪神大震災も生き延びた人がいるそうだ

552: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 23:53:52

>>550
NHKだかなんかでやってたな。御年90過ぎらしいが、
死ぬまで自分の経験と戦争の恐ろしさとむなしさを語るんだと言っていた。
06年にアメリカに招かれて演説をした際に
予想を遙かに上回る戦争の事実にショックを受けたと
演説を聞いた人が答えてた。

戦争体験者が次第にいなくなる中、無理せず長生きしていただきたい…。

553: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

特攻隊を乗せて運ぶ空母の乗り組み員というのは、非常に辛いらしい
国のため、これから散ると言う若者達を乗せているからだ、そんな空母での話
特攻隊の第一陣を送り出した夜、艦長が眠れず鑑の中をぶらついていると
明日出て行く爆装戦闘機の整備をじっと見つめている特攻隊員がいた
艦長が「明日行くのか・・・」と声をかけると、その特攻隊員は敬礼してこういった
「いえ、自分は今日の作戦に参加し、無念にも敵艦にたどり着く前に撃墜されました、
明日もう一度出撃いたします。」と、それを聞いた艦長は驚きながら、
その青年から官姓名を聞いた、後で調べたところ間違いなくその日の作戦で
未帰還となった特攻隊員だった

次の日、艦長は出撃する特攻機と共に出撃するであろう、
もう一機の見えない特攻機を送るため、いつまでも帽子を振っていたと言う

556: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>553
ほ~空母から特攻隊とな?艦名は?
あの時期にそんな作戦できた空母がいたんだ?

557: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>556
ちなみに、雑誌「丸」から引っ張ってきた話だよ

558: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>556
本州から鹿屋とか知覧の基地(南九州)に海上輸送してる時の話しでは?

559: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>558
でも、艦長が帽振れで送ったという話が書かれていたんですよ<丸

560: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 23:53:52

マリアナ海戦なんかは空母から特攻任務でてなかったっけ?
おかげでターキーシュートになったけど。
あの前後くらいから特攻任務が始まってるはずだけど。

561: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

特攻が主目的で機動部隊が作戦なんかしたか?
信濃が便乗した桜花と隊員を載せたことはあるけど。
特攻云々の部分は勘違いで、二日に渡って戦った空母戦となると
珊瑚海とマリアナ沖、南太平洋海戦だったか。
このうち、ターキーシュートのマリアナ以外だと、南太平洋海戦なんかは
かなり熾烈な戦いだったみたいだからそこではないかな?

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話3