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967: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

うちの爺さん、中の学校出で憲兵将校だったらしい。
軍服姿の写真は出征するときの一枚だけで
後はスーツ姿や中国の民族衣装みたいなのがほとんど。
満州、南京、上海、ジャカルタ、ブルネイ,などに居たらしい。
で、戦争中何をしていたのって尋ねても
何も教えてくれず墓まで持っていきやがった。
復員後もGHQの目を逃れるため数年間変名を使っていたらしい。
ちなみに中国語,タガロク語、英語が堪能でロシア語も少し話せたみたい。
爺さんが何をしていたのかがオカルト。
922: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

まぁ、書くか
YS-11Mの機上整備員です
週1の定期便(硫黄~南鳥)で行くのですが
偶に山の上で手を振ってる人がいるんですよ。
硫黄の隊員かなと思ってたのですが
先輩、いつもあの山の上で手を振ってくれる人居ますね!
あ、お前も見たのか。。。。。下に降りたらローマスに
その話してみろ。
ロードマスターに上記の話をしたらどうも旧軍の霊らしいと
日の丸を見て友軍が来たと歓迎してくれてるようだと。
その翌日に鎮魂碑に手を合わせてから見ることが無くなりました。
今も、定期便時(厚木→硫黄)は内地から和菓子、水、酒
弁当を1組積んで飛んでいきます。

こういう話も、有る定期便か硫黄に向かうとき天候悪化で
滑走路が見えずもう1度トライしてだめなら帰ると言うときに
硫黄の滑走路端に灯りが見え無事にタッチ
Pが礼を言いに行くと誰もサーチライトとかを付けてないと

923: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

256 :専守防衛さん:2006/12/23(土) 02:08:31
前出のYS-11M機上整備員です。
実体験ですが
数年前の夏無事に定期便も終わり硫黄島から厚木の帰り便
大きな荷物もなく便乗者は海保職員1名。
天候晴れ、風微風。定刻に離陸なのですがいつもより
滑走距離が長い、Pも変だナーという顔。
夏の日差しの機内ほど程よい温度で弁当の後
やることもないので機内でお昼寝。
しばらくして人のざわめきというかひそひそ声で
ふと目がさめ機内を見回しても海保さんが寝てる姿しか。
改めて寝直すと
「これで国に帰れる」「友軍機が来てくれて助かった」
とはっきり。流石に目が覚めて後部貨物室を見回しても
なにも。。。。海保さんもやや青ざめた顔で
「聴きましたか?」と2人そろって前に逃げ込んでPにその事を
報告。
Pが「それで重かったのか、お盆も近いし」と。
その後何事もなく厚木に。
機体点検をしてると耳元ではっきりと
「連れて帰っていただき有り難う御座いました!」

924: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

ああ、いまだに帰られてない方も多いんだな・・・。

925: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 23:36:39

仲間と思ってくれるからいいよね、、、

926: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

既出だが。
硫黄島が玉砕し、アメリカ兵が本国へ帰還する時の話。輸送機に
全員乗り込み、いざ離陸という時になっても搭乗兵がタラップをあげない。
「お前なんでタラップあげないんだ?」と聞くと、搭乗兵は泣きながら
「日本の兵隊さんが連れて行ってくれといっぱいぶらさがっててあげられ
ないんです」と答えたという。

ちなみにうちの祖父は、硫黄島で服毒自決している。

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話3