b574

367: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

オーストラリアの歴史

受け入れ側の先住民にとって、
男女囚の比率が四対一のアンバランスなことは大変迷惑であった。
最初に被害を被ったのはアボリジニーの女性である。
男囚の性欲を満たすための現地調達が行われたからだ。
オーストラリアは流刑植民地だから、続いてきた一般植民者も
本国に容れられない落ちこぼれ、ならず者、無法者が多かった。
これら白人にとって現地のアボリジニーは野獣、野犬やねずみと同様、
考慮に値しない存在として虐殺が始まった。動物狩りの対象として
アボリジニー狩りを楽しんだのである。
367: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

かくして最初の船隊が来てから
約100年後の1901年には、先住民は6万7千人に激減してしまった。
オーストラリアの南端にあるタスマニア島のアボリジニーは、
もっとひどく、全滅させられてしまった。

タスマニア島は四国と九州を合わせたくらいの広さで、
緑に恵まれた島である。住民はオーストラリアから移り住んだ
アボリジニーで、平和に暮らしていた。後からやってきた白人植民者に
先住民は邪魔とばかり、見つけしだいに射殺された。
当初3万7000人いたアボリジニーは、1847年には
たった44人になった。

『侵略の世界史』 祥伝社 清水馨八郎  P179~P181
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-category-37.html

359: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

私の祖父が、硫黄島慰霊祭に遺族として初めて参加した時に、
式典の黙祷の最中に「勝雄、勝雄、勝雄…」って
自分の名を呼ぶ声が聞こえたと言っていた。

初めはビックリしたが、それは確かに、祖父が八歳の時に、
硫黄島で戦死した懐かしい自分の父の声。
「父さん、長きにわたり任務お勤めお疲れ様でした。
やっと迎えに来ましたよ。日本に帰りましょう」

って心の中でゆっくり語りかけたそうだ。
死んでからもずっと絶海の孤島で、日本への帰りを待ち続けてたんだろな。
どんなに苦しかっただろうと、ずっと涙が止まらなかったと言っていた。

それ以降も、戦死した全将兵の冥福を祈る為に、
慰霊祭には毎年欠かさずに行っている

360: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>359
(´;ω;`)ウッ…

361: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>359って今いくつ?
あ、ごめん。戦後で祖父が8才っていうから気になって。

362: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>361
20歳です

363: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

10年位前に聞いた当時勤めていた会社の会長の話。
どこか忘れたが部隊で行軍してて、
日も落ちある湖の近くで野営することにした。
その時、湖の水を使い飯ごうでメシ炊いて食ったんだと。
夜も明けて、その湖に顔洗いに行ったら、死体が至るところに。
それ以来飯ごうでメシ食えなくなったんだと。

365: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>363
似た話だが、以前、働いていた会社の同僚
(定年後の再雇用かなんかでもうかなりの高齢)は、
ニューギニアで飛行艇に乗り組んでいた

ある日、遭難者を探している途中で、
機体が不調になってちょうど見かけた
島の河口に着水して一夜を明かすことになった
食事なんかろくに用意してなかったんで、魚ぐらいは調達しようと浅瀬に
入ったら鰻が何匹も取れて、その夜はそれで腹を満たした

明るくなってから、その浅瀬を見ると
探していた遭難者の遺体があった
なるほど、鰻はこれに誘われたのかと合点がいった
魚に食われた遺体を見ることも、食ったであろう魚を食うことも
過去に経験済みだったから、それは気にはならなかったが、
だとしたら随分きれいな死に様だなと思いながら、遺体を機体に運び上げた
すると遺体の腹がいきなりボコボコと動き出して、体中の穴という穴から
鰻が飛び出してきた……

それからは鰻だけはどうしても食えなくなったそうだ

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話4