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368: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

【外務省「サンフランシスコ会議議事録」にみる 各国代表の発言】
(公式)

■パキスタン チャンドリイ・モハメッド・ザフルラ・カーン外相(1951年9月6日)
「四年になんなんとする間に、日本の侵略の潮は
アジア各国に放火と殺戮(さつりく)とを齎(もたら)したのであります。
その潮がやっと堰(せ)き止められ遂(つい)に押し返されました。
その跡に残りましたのは、荒廃した土地、打ちひしがれて、
困苦、貧窮、屈辱に喘ぐ人々でありました。最も耐え難ったのは屈辱、
人間の尊厳に対する暴行侮辱でありました。

遂にその終末が参りました。
そしてその幕切れはまったく突然でありました。
日本の占領すなわち死の苦しみに対する熾烈(しれつ)な記憶は
依然として消えずしばしば悪夢となって蘇ってくるのであります。
それが生き残った者の状態であります。彼らは甘んじて許しも致しましょう。
又努めて忘れようとさえ致しましょう。しかしあの無残な、
苦難の下に生命を失った人々は何となりましょうか。
この人々を忘れ、この人々に代って許すということは
一層難しいと思われるのであります。」
369: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

■インドネシア  アーマド・スバルジョ外相(1951年9月7日)
「日本人による占領期間中に
インドネシアが被った損害は二重であります。
第一に、約四百万名の人命の損害があり
第二には数十億ドルの物質的損害があります。
私はここでその数字を述べることは差し控えましょう。
何故ならそうすることはこの会議の主旨にそわないでありましょうから、
しかし私の政府は、具体的事実と数字をつかんでおり、
それらを適当な時期に適当な場所で提出するでありましょう。」

■フィリピン  カルロス・P・ロムロ外相(1951年9月7日)
「私は、ここで、日本の最も近い隣国の一つであり、
不釣合いに重大な破壊を受け、
日本のために損害を受けた国を代表して述べているのであります。
千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。
生命の損失の他に我が国民は未だに癒されない程
深い精神的傷手を蒙(こうむ)りました。
四年間に亘る野蛮な占領と侵略者に対する不断の抵抗の後、
我が国民経済は完全に破滅し去ったのであります。
フィリピンがその地域と人口に比して、アジアで最も大いなる惨禍(さんか)を
受けた国であるということは意義を挟む余地のないところであります。」

370: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

■ベトナム  トラン・バン・ヒュー首相(1951年9月7日)
「ヴェトナムは、アジア全民族中物資的のみならず、
その人民の生命においても最大の戦禍を蒙ったものであることは
誰しも否めないところであるからであります。そして占領の悲劇的
環境が悲惨な結果に陥し入らしめた幾多ヴェトナム人に対し
私が今日敬虔(けいけん)な思いを致さなかったならば、
私は我々の死者に対する追悼の義務に欠くることなるでありましょう。
我が国の蒙った物質的損失もこれに劣らず甚大であり、
且つ我が経済は、今もなお困苦の裡(うち)にあります。
道路、橋梁(きょうりょう)は、断たれ、村々は、破壊され、
病院、学校は、損失を蒙り、港湾、鉄道は、爆破された。
すべては再建させなければならず、しかも不幸にも我々が
現在可能以上の資源を必要としております。」

371: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

■カンボジア  フレング外相(1951年9月6日)
「極東における穀物、魚類、木材、家畜、ゴムの
主要生産地の1つであるがゆえのその極めて重要な経済的潜勢力とともに、
その地理的戦略的地位のために、我が国もまた、
真っ先に日本によって占領されたのであります。
この事のために、我が国は、今次大戦によって最も大きな被害を受けたという
悲しむべき栄誉を持つ国にその名をつらねているのであります。
公的私的財産の受けた大きな被害、長期にわたる占領、日本派遣部隊に対する
我が国経済の犠牲による扶持(ふち)、国土の三分の一の数年にわたるき損、
これらは、要するに我が国の上にふりかかった禍(わざわい)であります。」

■ラオス  サヴァン首相(1951年9月6日)
「長い長期の戦争であり、そのぜい弱な資源を挙げて侵略者に抗戦した
ラオスはあ、その土壌、遺跡及びその建物に関して被害を蒙(こうむ)ったのみならず、
その経済的及び道義的組織も、侵略者の課しうるすべてのものによって被害を
受けたのであります。しかしながら、解放以来、ラオスはその痛手から回復し、
その民主的制度はラオスをして最も進歩した国の中に列せしめたのであります。
すなわち、戦争の犠牲者として、ラオスは今日自由にして且つ、
民主的国家群の中にその地位を占めたのであります。」

372: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 23:53:52

サンフランシスコ会議録とか貼ってるやつ何なの?
そんな連合国の自己満足な場で真実なんか言える訳無いだろ

380: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

■8.日本が自由になることを切望している■

こうして戦後処理のけじめをつけた
サンフランシシコ講和条約会議であったが、
国際社会に復帰する日本を温かく迎える声もあった。
セイロン(現スリランカ)の
J.R.ジャヤワルダナ蔵相は次のように演説した。

アジアの諸国民は
なぜ、日本が自由になることを切望しているのか、
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、
また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、
日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。

往事、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、
アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。
私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、
当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、
ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、
最愛の祖国が解放されることを希望して、
日本に協力した者がいたのである。

よってセイロンは日本に賠償を求めない、
とジャヤワルダナ蔵相は述べた。同様の趣旨で
インド、ラオス、カンボジアなどが賠償請求権を放棄した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog206.html

381: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

■7.独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください■

インドネシアは、オランダの再侵略と戦い、
1948年にようやく独立を達成した。
58年に日本との賠償協定が成立したが、インドネシア側では
「経済力がないので助けてほしい」という声とともに、
一部には「独立できたのは、日本軍が軍隊(PETA)を作ってくれ、
戦後も日本人が残って独立運動に参加してくれたからだ。
むしろ日本に感謝使節団を送るべきだ」という声も出た。

賠償交渉で来日したアルジ・カルタウィナタ国会議長は、
岸首相に「独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください。
日本が悪いことをしたから賠償をくれというわけではありません。」と言った。

さらに戦後の日本の国民生活を見て
「こんなにひどい貧乏な日本からお金を貰うのは辛いなぁ。
しかしこの働きぶりなら日本は必ず一流の国になると思うので
まず私たちを助けてください」と語った由。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog206.html

383: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>381
これ貼ってる奴は感動話のつもりなんかな?

なんだかんだ言って、結局賠償は貰ってくじゃねーか。
アホか。そんなに感謝してるなら、むしろ日本に金払え。

384: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 23:36:39

まあ、負けたら駄目だ ってことでひとつ。

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話4