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393: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

このスレと関係ないかも?
うちのばあちゃん戦時中満州にいたらしいけど、
日本が負けてからロシア人と朝鮮人の横行がハンパなかったっていってた。
日本人の男はみんなボコボコにされて、女は暴行されまくってたんだと。

ばーちゃんが1人で家にいるときもロスケ
(←ばーちゃんがロシア人のことをいう時はこういう)が
いきなり押し入ってきて、家んなかぐちゃぐちゃにして
ばーちゃんに暴行しようとしたらしい。

その時ばーちゃんお腹に赤ちゃんがいて、
頼むから勘弁してくれって泣いてすがったら見逃してくれたらしい。
そのロスケの腕にはそこらへんから強奪した腕時計が
両腕にびっしり何本もついてて、今でもその腕が忘れられないって言ってたよ。
397: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>393
家の父と祖母も満州にいて、引き上げ船に乗り込むまでの間
(港周辺についてからも何ヶ月も待たされたらしい)
引き上げる人たちが手荷物制限で置いていかざるをえなかった
ミシンと着物を使ってドレスを仕立て、
それを父が街頭でロシア軍の女兵士に売りつけて
帰国までの滞在費を稼いだそうだが、
(これは今でも酒に酔うと娘と孫らに話して聞かす父の武勇伝の一つ)
自分に聞かせなかっただけで祖母は
相当怖い思いをしたんだろうなと改めて思った。
父だけでなくまだ就学前の弟妹も三人抱えていたそうだし。

394: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

ロシア人は腕時計が止まると
つぎつぎに新しいのが必要になるからそうしてたらしい
ゼンマイを巻けばいいってことを知らなかったそうだ

395: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

>>394
そうだったのかwロシア人アホすw
即レスもらったんでもう一つ。

そのばーちゃんが戦争が終わって満州から引き上げる時の話。
なんか帰るためのお金?的なものが日本から支給されたらしい。
ばーちゃんはお金を持ってるとまた怖い目にあうと思い、
近所の唯一優しくしてくれた朝鮮人のおじいさんに
全部お金をあげちゃったんだって。
そしたらそこのじいさんがすごい喜んで
野菜やら食料をたくさん分けてくれたり、
満州をでるまで色々便宜をはかってくれたらしい。

んで、日本への船中。
当時産まれたばかりの赤ん坊を連れてたから、
船の中で赤ん坊がぎゃんぎゃん泣いて、知らんおっさんとかから
「うるせぇ!子供なんか乗せるな!海に落とせ!」
みたいな罵声をあびてたらしい。
その時に朝鮮人からもらった野菜やらをおっさんらに分けて
その場をしのいだんだって。

そんなこんなで2ヶ月かかったけど無事にて日本まで帰ってこれたと。

まーこれは不思議ではないかw

398: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 23:36:39

>>395
ばあちゃん賢いなあ

401: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

祖父のお父さんの妹が満州に移住したが
あの動乱で家の周りに火を点けられ、子供も皆焼死した。
同じく、満州に移住した祖父の妹は幼児を背負って
死に物狂いで、逃げて帰ってきたけど
気がついたら、背中で死んでたと聞いた。
皆、食うも出来ず逃げて逃げて、気が付いたら…って。
よく、知ってるおばさんなのと調度、私も1歳の子がいたので
せつなくて泣けた。

402: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 07:07:40

・祖父のお父さん→祖父の父、もしくは曾祖父
・放火の意味でなら「つける」「付ける」が正しいかと
・食うも出来ず→食う事も出来ず
・調度→丁度

馬鹿すぎて泣けた

372: 本当にあった怖い名無し 2008/10/06(月) 23:53:52

昭和27、8年ころに聞いた話である。
奄美や沖縄の島に、これまでに土地の人が見かけなかった
花が咲き乱れて、驚くことがあったという。不思議に思っていると、
そういう島には必ず特攻隊が墜落していた。
で島の人びとは考えた。

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特攻機が九州の基地を飛び立つときには、
女学生たちがたくさん花束を贈ったが、
そんな中に種子のついた花があって、
それが島にこぼれ咲いたのだろうということであった。

沖縄県・今西裕行/文

(「現代民話考2 軍隊」 松谷みよ子 立風書房 P244)

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話4