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26: £@歴史抹消主義 01/10/29 06:43 ID:Zu2ivkcC

砲を外し、砲塔にジブ(腕材)とウインチを付けた、
一般に回収用と呼ばれるティガーは、実は陸軍508重戦車大隊が使用した、
指揮車改造の地雷啓開用ティガーだった。
(オスプレイ・ミリタリー・シリーズ ティガーI重戦車ヨリ)
25: £@歴史抹消主義 01/10/29 06:42 ID:Zu2ivkcC

セントヘレナ島に流されたナポレオン。
日長一日部屋でゴロゴロしてるだけなのに、
一日に、肉50キロ、鶏6羽、卵30個、ハムとラードを1キロずつ、
バター2,5キロ、砂糖と果物5キロずつ、野菜10キロ、パン30キロ、
コーヒー1キロを側近達と一緒に平らげていたらしい。 
全部食べるワケじゃないだろうけど、凄い量だわな……

当然それだけ食うんだから、ぶくぶく太ったそ~な。
若い頃は「僕ってさ~ 将来きっとデブになっちゃうの!
ええ、ぶくぶくのデブになっちゃうの!イヤ!イヤだわ!!」と
太るのを心配してたのに……(^^;

27: £@歴史抹消主義 01/10/29 06:44 ID:Zu2ivkcC

第二次世界大戦前、
平等・自由主義の精神が国民の間に広く浸透していたフランスでは、
武器の規格が各会社、メーカーごとに異なり、それを統一しようとすると
「平等・自由主義に対する反逆行為だ!」
として阻止されていたそ~な。

真の自由って大変やねぇ……(^^;
ちゅ~か、こんなんじゃ、ドイツに負けて当然か……

29: 名無し三等兵 01/10/29 11:41 ID:ugD8kf+W

第2次世界大戦時、
フランスの陸軍総司令官だったガムラン大将は、
就任前から梅毒に罹患しており、思考機能が低下していた。

フランス軍っていったい・・・・・

32: 名無し三等兵 01/10/29 14:43 ID:7fX2wWTe

第二次大戦中、クロアチアを支配していた
ファシスト政党「ウスタシャ」の
指導者パヴェリッチのもとをある人物が訪ねた。
見ると机の上に籠いっぱいの牡蠣のようなものが盛られていた。
それは何かと訪ねるとパヴェリッチはこともなげにこう答えた。

「それは私の支持者からの贈り物でね。」

「セルビア人の眼球だよ。」

41: £@歴史抹消主義 01/10/29 23:54 ID:mDK3hURc

「泣ける話」に負けそうなんで、こっちも頑張ろう!

スペイン戦争で一席
共和国海軍では『命令』という行為自体が
「非民主的である」とされて、何をするにも
人民委員会で議論してから決定されていた。
んなコトやってたら、戦機を逸してしまいますわなぁ… 
そんなこんなで、フランコ側より、強力な戦力を持ちながら、
共和国海軍はロクな活躍をしませんでしたとさ。

そら~共和国側は負けますわな~(^^;

44: 名無し三等兵 01/10/30 00:15 ID:faD+o4ct

>>41

マルローの「希望」を思い出して、またちょっと泣けました。
って、ここは信じられないが~スレでした。ご容赦。

45: ナナシニコフ47 01/10/30 02:49 ID:uEZMoxOj

>>41
マーク・トウェインが書いてたのだが
南北戦争のころ、南軍はなにごとにつけおおらかで、
軍曹と伍長どっちが偉いか言い争いになった。
埒があかないので隊長のところに聞きに言ったら
「どっちも同じ」
と言われたそうだ。

42: £@歴史抹消主義 01/10/29 23:56 ID:mDK3hURc

さらに、スペイン戦争で一席。
フランコ側を援助していたドイツは、
ポケット戦艦ドイッチュラントを派遣する。

そのドイッチュラント、
1937年5月29日、マジョルカ島のイサビ湾に停泊していたトコロを
共和国空軍のSB-2に襲撃され、艦後部の水兵食堂に爆弾一発が命中し、
死者31人、負傷者83人を出す被害を受ける。

その後、それまで一度も攻撃を受けたことのなかった、
ドイッチュラントは慌てふためいてマジョルカ島を出港、
そして次に入港した地は、
よりにもよってイギリス勢力下の港、ジブラルタル……

ジブラルタルに入港した理由は、
「設備の良い病院があるから」
と、ドイツ人らしい一本筋の通った判断と言えばそうかもしれないけど、
その後の歴史を考えると、少し情けなくないかい?(^^;

57: その 01/11/01 06:46 ID:mCabuPXg

>>42

ヒトラーは別に英国と戦争したかったわけじゃないから。

ポーランドに攻め入っても
英国に宣戦布告されるとは思っていなかったし、
再三英国に講和を持ちかけているし、
日本がマレーに攻め入ったら「英国を助けたい」。

ヒトラーはむしろどちらかというと英国の覇権を尊重する立場に立っていた。

46: £@歴史抹消主義 01/10/31 00:01 ID:bgz4sfWZ

悲しいお知らせです。
今のままでは、どうも私、その内、
ネットにアクセスできなくなるよ~です……
Yahoo! BBに乗りかえるかの…… 
ちょっと悲しいんで、今日は1つだけ。

1974年3月10日に小野田少尉は降伏し、
この小野田少尉は最後に降伏した帝國陸軍兵士と思われているが、
実はモロタイ島には、それ以降も連合国に対し
抵抗を続ける帝國陸軍兵士の姿があった!

その帝國陸軍兵士の名は中山輝夫一等兵。 
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https://ja.wikipedia.org/wiki/中村輝夫 (軍人)
中山一等兵が降伏したのは74年12月
小野田少尉降伏の9ヶ月後である。

んじゃ、おやすみなさい~

48: 名無し三等兵 01/10/31 01:37 ID:Okw0i0ev

>>46

確かこの人は台湾高砂族出身だったと思う。

引用元:復刻★信じられないが、本当だ。 Part2