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459: 眠い人 ◆ikaJHtf2 01/12/18 23:49

日本の皇室とベルギー王室とは伝統的に仲が良い。
…英国王室と違って両思いだし。

てなことで、第一次世界大戦でドイツ帝国がベルギーに侵入したとき、
日本の世論には、「ベルギーを救え!」という声があったらしい。
…で、義勇兵なんか送ってたら、ドイツとの同盟はなかったろうし、
辻~んなんていう阿呆も出なかったんだろうな。

もう一つ。
ルクセンブルク大公国のお話。
この国は二度の大戦でドイツの占領下に置かれた。
その二度目の占領前日、1867年の独立記念式典が、
独立後初めて盛大に開催され、国家としての意地を示した。
461: 名無し三等兵 01/12/18 23:55

>>459

なんで
>義勇兵なんか送ってたら、ドイツとの同盟はなかったろうし、
という話になるの?
一次大戦の同盟国英国とも二次では戦ってるじゃん?

468: 眠い人 ◆ikaJHtf2 01/12/19 22:35

>>461

そりゃ、>>462のように、
青島と南洋諸島で独逸軍と戦ってはいたさ。
ただ、ベルギーのイープルとかソンム辺りで戦ってみ。
多分、あの精神主義は影を潜め、
合理主義に取って代わるかも知れないんじゃない。
それから、熱しやすく冷めやすい国民のこと、
ドイツ排撃運動が起きていただろうな
ということで、>>459の様な書き方をしたわけで…。

で、本題。
ドイツによるオーストリア併合直前、
革命でオーストリアを追われたオットー大公25歳。
彼は、命旦夕に迫った国土を憂いて
シューシュニック首相に電話を掛け、徹底抗戦を迫り、遂には、
「荷が重いなら私に首相の座を明け渡してください」とまで、言ったという。

後にこれを知ったヒトラーは烈火の如く怒り、
オーストリア侵攻作戦の暗号名に、わざわざ「オットー作戦」と名付け、
ハプスブルク家の人々の行方を執拗に追ったのである。

462: 名無し三等兵 01/12/19 09:12

というか第一次大戦だと
青島とかの植民地にいたドイツ軍と直接日本は闘ってる。
それはともかくあんまり喧嘩腰になんなよ(笑)
軍オタ全部に言えるが。

463: ななし 01/12/19 10:08

17~18世紀のイギリスの水兵は殆ど港で攫われていた。
もっと酷くなると、軍艦が港の入り口付近に隠れていて
入港しようとした商船をおそって海賊の如く強制徴募
それを拒否して、戦闘行為に発展するのも珍しくもなかった。

オマケに安月給。
主を強制徴募された家庭ではとても生活が出来ないほどで
救貧院か犯罪かというほどであった。

464: 名無し三等兵 01/12/19 13:39

強制徴募ですね。

フリードリヒ大王の軍隊もそうですし、
キング・ジョージの軍隊もそうですが
拉致誘拐同然の強制徴募は恐ろしゅうございます

467: T.K 01/12/19 22:22

>>463
:ななしさん&464 :名無し三等兵さん

帆船時代の海軍の「強制徴募」は有名ですが、
かと言って水兵のなり手が
全然居なかったわけではありません。
先に挙げた水兵の身の毛のよだつような食事も、
当時のヨーロッパの人口の大多数を占めていた
農民の食事に比べれば、質はまだしも量に於いては
遙かにマシだったのです。

例えば水兵の一日の食事はおよそ
「カンパン1ポンド」「塩漬け肉1ポンド」「ビール1ガロン」
だったそうですが、貧しい農民で一日にこれ程の食事が出来る者は殆どおらず、
それどころか一家族全員ですらこれより少ない食料しか
得られない事もザラだったそうです。

その為曲がりなりにも
腹一杯飯の食える海軍に志願する農民が後を絶たなかったそうですが、
それでも強制徴募を行わないと人員を満たせなかった
当時の海軍の人員の消耗率は恐ろしく高かったと言う事でしょう。

466: 465 01/12/19 20:16

もうひとつ。
有名な海賊「キャプテンキッド」は
ロンドンで海賊退治の私掠許可を貰って、
意気揚々と出港、直後にイギリス軍艦に臨検されたあげく
水夫をごっそり強制徴募され、残った人員で
泣く泣くニューヨーク行ってようやく集めた水夫が
トンでもないゴロツキ揃い。
そいつらに引きずられて海賊へ転職したとか。

強制徴募は港だけでなく領海内も恐ろしゅうございます。

469: 名無し三等兵 01/12/19 23:52

>その為曲がりなりにも腹一杯飯の食える海軍に
>志願する農民が後を絶たなかったそうですが、
>それでも強制徴募を行わないと人員を満たせなかった
>当時の海軍の人員の消耗率は恐ろしく高かったと言う事でしょう。

消耗率も一因だろうが、
強制徴募が横行したのは戦争時。いかに大型とは言え木造船。
新造数の度合いが桁違いなので、水夫が不足して連行したらしい。
一隻600人の水夫が必要として、30隻を新造すれば
二万人ちかい水夫が必要。あの当時の人口で
これだけの水夫を集めようとすれば・・・そりゃ連行するしかないだろうな。

471: 名無し三等兵 01/12/20 10:27

ゲームとして有名なダーツは、
元来東ローマ(ビザンティン)帝国が
兵器として開発したものだった。

戦闘時、兵士たちは先端に毒を塗ったダーツを
たくさん盾の後ろに並べて
それを次々に敵に向かって投擲したそうです。

472: 名無し三等兵 01/12/20 21:10

ウン?毒は塗ってなかったはずだぞ、
元到の時もモンゴル軍が
矢に毒を塗っていたとする話があるがこれも眉唾。
敵の強さと、その卑劣さを理屈づける為
(そして無論自らの正当さ)の出来た話かと思われる。

東ローマ(ビザンティン)帝国の利用したダーツは
現代の物とは似ても似つかず、その重量は1kgにも及ぶ重い矢で、
古代ローマ帝国のとっても重い投げやり「ピロム」の衣鉢を継ぐものだった。
カタクラフトはこれを盾の裏に3本ほど持ち、更に短弓や石弓、
長槍に剣や槌矛をもった重装騎兵だった。
ってあんたら武器持ちすぎ、もう少し軽量化せい。

473: 名無し三等兵 01/12/20 22:07

× カタクラフト
○ カタフラクト(Cataphract)

474: 名無し三等兵 01/12/21 16:22


ありがと。
いやあ、アテネ近郊にビザンティンの兵士のマネキンが
展示されている博物館があってギリシャ人の案内人が下手な英語で
「エッジ、ポイズン」と言ってたもんだからつい(^^;

>現代の物とは似ても似つかず
英語の説明で「ダート」って言われたときは「どこがやねん」ってツッこんだ。

引用元:復刻★信じられないが、本当だ。 Part2