b656

51: 中¥某 02/06/02 17:51

信じられないかもしれないが辻政信さんはビルマで
P-40戦闘機を小銃弾僅か三発撃っただけで
(そのうち一発が命中)撃墜した。
そのとき辻さん以外の兵士は発砲していなかったという。
小銃は38か99であると思う。
どちらにしろすごいと思った。

55: 名無し三等兵 02/06/02 19:40

>>51
普通なら信じられないが
辻ーんならあり得そうと思ってしまう罠。
あの超人ぶりを本当に日本のために
発揮してくれていたら今頃日本は‥
59: 名無し三等兵 02/06/03 02:23

1942・9・15
14:00 
Wasp CV-7、Hornet CV-8を核とする
2個機動部隊は、ガダルカナルへ向かう
輸送船団を護衛して各々輪形陣を保ちつつ、同島の南方を進行中。
    
    基準針路 280度
    速力   16ノット
    蛇行運動中
    風向風力 20ノット南東風

14:44 
イー19潜、木梨艦長はすべてWaspを目標とした
95式1型魚雷6本(推定)を約1000ヤードの距離で発射。
時計回りに①、②、③、④、⑤、⑥、と扇状に斉射。
この魚雷は、最大射程は45ノットで13000ヤード、帝国海軍必殺の酸素魚雷である。

14:45 
南に旋回中のWasp右舷に3本の魚雷命中。
②、③、④、2本は艦首を、⑤、⑥、1本は艦尾を、①、を外れて通過。
その後Waspは、15:20総員退艦、21:00 DD-486Lansdowneの魚雷で沈没。
死者193名、負傷者367名。

14:48 
DD-486Lansdowne右旋回中、
艦首から艦尾に直下を通過する魚雷の航跡をみた。①

14:50 
DD-113Mustinは240度方向から接近する、
幅広い航跡を左舷艦首に発見。航跡は艦尾
30フィートを通過。
これは魚雷が直下を航走した事を示している。①

14:51 
DD-415O'Brienは1本の魚雷を避けるため、鋭く右旋回をした。
魚雷⑥的を外れて艦尾を通過。
直後に第2の魚雷⑤が左舷艦首に命中、艦首吹っ飛ぶ。応急修理後、
帰国途中サモア沖で沈没。

14:52 
BB-55North Carolina左舷艦首に魚雷が命中①、トラック大の穴が、
装甲鋼板から防御艦側へ貫通、1000トンの浸水があった。
死者5名、負傷者23名。パールハーバーで修理に一ヶ月を要した。
射程13000ヤードギリギリで命中。

”Whodunnit?” 
Ben W,Blee 退役米海軍大佐、CV-7Hornet機動部隊の
CA-24Pensacolaの兵科将校。

86: 名無し三等兵 02/06/12 16:52

辻元がアイヒマンみたいにさらわれたら
祭りどころじゃ無さそうだね

87: 海の人●海の砒素 02/06/12 17:09

>>86

警察庁には手が出せない国賊を排除してくれるのだから、
造水装置の50台もぽ~んと送ってあげなくちゃ。

88: 眠い人 ◆ikaJHtf2 02/06/12 23:03

明治時代、西南戦争後の論功行賞に
不満を持った近衛兵の反乱、「竹橋事件」
の際、その決起打ち合わせの場所は厠だった。

下痢に悩んでいた下級官吏が、
たまたまその話を立ち聞きして上司に御注進に及んだが
一笑に付され、結果、事件が勃発してしまったのである。

92: 名無し三等兵 02/06/14 08:49

>>88

立ち聞き?かがみ聞き(ふんばり聞き)じゃないの?

89: 名無し三等兵 02/06/13 22:53

『お父さんが旅順で死んだのは、
乃木という将軍が馬鹿な戦をしたからだ』
日露戦後、こんなふうに(乃木だと知らない人に)直接言われて、
乃木が絶句または謝るという例の講談話の元ネタは、
日露戦争前の明治24年03月、金沢でのこんなエピソード。

『……私の前に一台の人力車が止まり、
お降りになった立派なお方が、驚いている 私の頭を撫でながら、
「お前には両親があるのか」とお尋ねになられました。
私は、「父は三年前に亡くなり、翌年の正月、母の行方も判らなくなりました。
残された私と祖母、弟妹四は暮らしに困り、
夜な夜なこうして辻占を売り、辛うじて生計を立てております」と
申し上げましたところ、「そうであったか、幼いのに感心な子だ。
今の心掛けを忘れずに、後日は立派な人になってお国のために働いてくれよ」
と励まされ、紙包みを下さいました……(今越清三郎翁伝)』

この元ネタの本人、14年後に旅順戦に参加して負傷。世間は狭すぎる……。

90: 89 02/06/13 23:09
 

14年じゃ旅順戦終わってます。13です、13年。

91: 名無し三等兵 02/06/14 03:47

ドイツのアウトバーンを走る車の一部は、
他の地上物体と比べて余りにも高速なので、
ルックダウン能力のあるパルスドップラーレーダーに映ってしまう。

93: 名無し三等兵 02/06/14 20:14

>>91
その逆に、北朝鮮の配備している
An-2兵員輸送機(レシプロ単発複葉)は地表近くを
超低速で飛行可能なので、ジョイントスターが
地面を走っているトラックと誤認する
可能性があるらしい。

95: 名無し三等兵 02/06/16 04:40

第二次世界大戦中のアメリカの空母製造数は
日本の駆逐艦製造数より多い。
(護衛空母も空母に含む)

98: Mr.ダイオキシン ◆kmNaURZ6 02/06/18 22:06

わが赤軍は、パンのようにシュトルツモルビクを必要としている!
                 ヨシフ・スタ-リン

99: 名無し三等兵 02/06/20 21:14

↑有名過ぎ、スレ違い

100: 名無し三等兵 02/06/20 23:55

『手を切断されたベルギー人の子供』

神様、わたしにはもう手がありません。
いじわるなドイツの兵隊に切られたのです。

ドイツの兵隊は、ベルギーやフランスの子供には
手は必要ないと言いました。
ドイツの子供だけが手を持てるというのです。

私の手は切り落とされてしまいました。とても痛かったです。
でも、ドイツの兵隊は笑っていました。
ドイツの子供でない限り、痛みを感じるはずが無いというのです。

神様、それ以来ママは気が変になってしまいました。
パパもドイツ兵につれて行かれてしまいました。
パパからは手紙も来ません。
きっと銃で撃たれて殺されてしまったのでしょう……。

このエピソードが発表されるやいなや、
アメリカの中立主義は揺らぎはじめ、
欧州戦争介入に向けて世論が動き始めていく。

戦後アメリカの大富豪が
この不幸な子供にあって話をしたいと、使者をベルギーに派遣した。
ところが、誰一人として実際の被害者を見つけることが出来なかった。
それはフランスのプロパガンダだったのである。

101: 名無し三等兵 02/06/20 23:56

かつてサンデータイムスの記者であった
F・W・ウィルソンは次のように語っている。

「ロンドンにあるディリーメール紙の特派員として、
私ウィルソンは戦争当時ブリュッセルにいた。
本社から敵の残忍さを語る記事を送れと電報が届いたが、
当時そういった事件は起こっていなかった。
それならば難民についての記事を送れと再度電報が来た。

これなら取材に出なくて済みそうだ。
ブリュッセルの近郊に、今時珍しく美味しい夕食を取れる街がある。
ここにドイツ兵が来たと話に聞いた。きっと街には赤ん坊くらいいるだろう。

そこで私は感動的な話を書き上げた。
家が焼かれ、ドイツ兵の手に掛かる寸前に助け出された赤ん坊の話だ。
掲載の翌日、ロンドン本社からその赤ん坊を連れてこいと電報が来た。
その子を養子にしたいという手紙が五千通も届いたというのだ。
翌々日、本社には赤ん坊用の服がどっさり届いた。

いまさらそんな赤ん坊は存在しないと本社に電報を打つことは出来なかった」

100、101共に「戦争プロパガンダ10の法則」
アンヌ・モレリ著、草思社刊より引用抜粋。

102: 名無し三等兵 02/06/21 00:24

やっぱ、騙されるより騙す側になりたいと思うよな。

104: 名無し三等兵 02/06/23 15:48

赤ん坊を放り上げて銃剣で突き刺した、とか
中国の鉱山で働いていた中国人の強制労働者が
あまりの空腹に我慢できず粥に砂利を混ぜた、とか
みんな同レベルかと思われ。

その慣れの果てが南京かと。

引用元:復刻★信じられないが、本当だ。 Part4