b316

837: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:23 ID:AQ3rqPB3

陸奥爆沈の数ヶ月の後。
某海軍中佐が夜中、妻に起こされた。
彼女は言った。
「たった今、○○さんがびしょびょの白服のまま、『やっと海から
 上がりました』って私の枕元に座ったの。」
某中佐はぞっとした。なぜなら、その○○大尉は陸奥乗り組みで、
爆沈の際、艦と運命を共にしたからである。

という話を聞いたけど、ほんとうかなあ?

868: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 09:11 ID:LsWJ2ft9

>>837
読んでぞっとしたよ。
○○さん、なんで中佐の夢には出てこなかったのかな。
ずぶぬれの姿のまま、奥さんの枕元にたって、
それからどこへ行ったのか・・・
836: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:22 ID:D6pA1gn8

日本刀は一度斬ったらダメになる?

これはよく聞く質問なのですが、
結論から言ってそんなことはありません。
ただ脆い刀、折れやすい刀などというのは確かに有ります。

「業物について」でも解説していますが、
芯鉄の入れ方、硬軟の鉄の組み合わせ方など作る側の
技術面も大きいですが、斬る側の人間の技術面も大きいのです。

素人が遊び半分で木などを切ろうと思っても、
なかなか上手く斬れません。斬る角度、スピード、
柄の絞り方などが揃って初めてスパッと切れるのです。

軟らかい物なら簡単に斬れるでしょうが、
硬い物を斬るにはそれなりの技術が要るのです
柄の絞りが悪いと刃が物に当たった瞬間に
刀身がぶれて刀が曲がったりします。
また刀の刃は剃刀の刃のように薄っぺらい物ではありませんし、
綱ですからそう簡単にはダメになりません。

よく二、三人斬ったらダメになるとか言う人もいますが、
それは日本刀がわるいのではなく、
その刀が武器として失格なだけなのです。

その程度でダメになるようなら
日本刀としてと言うよりも武器として失格です。

838: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:26 ID:TO6u9BSu

http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=686388
会社で日本刀のお店を経営しています。

処刑に利用した刀や、
実際に切りあいをした刀を入手することがあります。
名刀とは、実際の切れ味というよりも
出来の美しさを指します。刀の見方は奥深いの
で手にとり、光を当てながらじっくりと鑑賞して欲しいですね。
回答された方がおられましたが、峰で受けた刀は曲がっています。
戦闘での連続使用は、刃こぼれの前に刀身が変形して
使用不可になるのではないでしょうか?

#10の回答の中で
>あれは砥石の粉を刀について,
>常に刀を研いでいる状態にしているのです.

正確には大理石の粉です。
手入れの悪い状態の刀以外は、
そんなことしたら逆に錆びてしまいます。
普段は、鞘から抜いて再び鞘に収めるとき丁子油を薄く塗る程度です。
これで錆びません。

839: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:27 ID:TO6u9BSu

日本刀はすごく繊細なのです.
よって毎日手入れをしていないと
すぐに錆びてしまいます.
これは日本刀が限りなく純粋な鉄であり
また,表面がフライパンのように酸化第二鉄になっていない
(黒くなっていない)ためです.

時代劇で,大名,代官が耳かきについている綿のような物で,
刀をたたいているを見たことないでしょうか?
あれは砥石の粉を刀について,
常に刀を研いでいる状態にしているのです.
それぐらい錆びやすいのです.

で,どんな有名な刀匠が作った名刀であっても,
暴れん坊将軍や松平長七郎のように
バシバシと斬ってしまえば(峰打ちと仮定しない),
血はつくし脂肪はつくしで,
とたんに錆びてしまいます.
また,はじめは切れ味は良いのでサクッと切れますが,
切れ味よすぎて刃が骨にあたってしまい,
刃がこぼれてしまいます(ヒトの骨って結構堅いのです).

よって,連続斬りは3~5人程度で,
最後の五人目は,ボロボロの刃で斬られるので,
ものすごい激痛の中,あの世へ旅立つか
小石川療養所の榊原伊織先生のもとで治療を受けることになるのです

840: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:31 ID:BswWJN3R

日本刀で人の首を毎日切っていた人間は沢山いました。

吉亮は生涯で三百人の首を刎ねたと言ってますが、
時と場合によりこんな
過密スケジュールもこなしたようです。

「年を越すより年内に片付ける、
という風があって大晦日なぞには総勢二、三十人
ぐらいは斬ることもありました。
同じ事件の仲間は同日同所で斬ります(やります)。

岩倉大臣を喰違で狙撃した高知県貫属の時は、
一度に九人斬をやってのけたものです。」
http://busino-ikuji.hp.infoseek.co.jp/katana6.htm

841: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:33 ID:pW1W9Gr4

百人斬りの実行当事者である向井氏は
処刑前に遺書を残しているが、この遺書には、
東京日日新聞による報道は彼ら自身の話した内容を
記事にしたものであることが明記されている。

つまり、向井氏本人が、
記事は浅海記者による捏造などではない
と言っているのである。更に、
「公平な人が記事を見れば明かに戦闘行為であります」
と述べているとおり、向井氏は記事に書かれた
百人斬り競争を行ったこと自体は認めている。

843: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:43 ID:TO6u9BSu

>>841

遺書に、記者が持ちかけた話だと書いて歩けど、引用しようか?

842: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:42 ID:vQ9IieYY

むしろ100人も刃物で殺したいなら
丈夫なナイフみたいなあまり長すぎなくて
適度に切り刺しができて強度がある武器のほうがよいだろ
100人切るだけ日本刀振り下ろすだけで
ものすごい大変だししかもそれで100人しとめるなんて、
まさに殺してくれといわんばかりだと思うんだが?
だいたい遺書の捏造なんていまだに良くある話なんだし 
東京日日新聞 これ以外のソースがないのが怪しすぎ
どう考えても公正なものとは思えない100人切りが
仮に事実だとしてもその裏づけには

844: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 03:46 ID:Z9q0XC8b

市ヶ谷台の東京裁判で、
南京虐殺事件の検事側証人として喚問された際、特に二人が
強調したのは「二人とも逃げるのは斬っていない、
立ち向かう敵だけを斬った、虐殺ではない」ということだった。

死刑判決を出した南京の軍事裁判はこの嘘を見抜き,「百人斬り」が
<捕虜の据え物斬り> だと正しく判断したという事です

846: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 04:01 ID:TO6u9BSu

産経新聞2001.6.18
野田少尉“百人斬り”虚構裏付け

南京で死刑前の獄中手記発見
戦意高揚記事「記者が創作」
日中戦争の南京戦で“百人斬り”競争をしたと
当時の新聞に報じられ、戦後、記事を理由に中国・南京
で処刑された野田毅少尉が獄中で書き残した手記が、
十七日までに見つかった。

手記には新聞記者との会話が記され、
記者が「記事ハ一切記者ニ任セテ下サイ」などと
戦意高揚記事を持ち掛けた様子が生々しく伝えられている。

“百人斬り”の創作説は、過去にも指摘されてきたが、
手記の発見は記事が作り話であったことを改めて裏付ける資料となりそうだ。
野田少尉の手記は今年三月、鹿児島県在住の実妹、
野田マサさん(七二)が保管していた遺品の中から見つかった。

B4判のわら半紙の表裏に鉛筆の細かい文字で書かれており、
執筆時期は昭和二十二年十二月十八
日に死刑判決を受けてから、翌年一月二十八日の処刑までの間とみられる。
手記で野田少尉は「被告等ノ個人的面子(めんつ)ハ
一切放擲(ほうてき)シテ新聞記事ノ真相ヲ発表ス」として、
自分と向井敏明少尉の二人が昭和十二年秋、中国・無錫で、
記事を書いた東京日日新聞の記者 (故人)と交わした会話を再現している。

当時の新聞記事では、野田少尉ら二人が戦場で
“百人斬り”競争を始め、その途中経過を記者らに逐次伝えたことになっている。
しかし、野田少尉の手記によると、記者が6月18日に
「ドウデス無錫カラ南京マデ何人斬レルモノカ競争シテミタラ。
記事ノ特種ヲ探シテヰルンデスガ」と逆に持ちかけている。

向井少尉が冗談として「ソウデスネ無錫附近ノ 戦斗デ
向井二〇人野田一〇人トスルカ、無錫カラ常州マデノ間ノ戦斗デハ
向井四〇人野田三〇人…(中略)無錫カラ南京マデノ間ノ戦斗デハ
向井野田共ニ一〇〇人以上ト云フコト ニシタラ」と数字を挙げて応じると、
記者は「百人斬競争ノ武勇伝ガ記事ニ出タラ花嫁サンガ殺到シマスゾ」
「記事ハ一切記者ニ任セテ下サイ」と二人に話したと書かれてい る。

847: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 04:02 ID:TO6u9BSu

手記によれば、二少尉と記者は無錫で別れ、
その後、野田少尉が記者と次に会ったときには
既に“百人斬り”競争の記事が日本で話題になっていたという。

野田少尉は「被告等ハ職務上絶対ニ
カゝル百人斬競争ノ如キハ為ザリキ」と「百人斬り」を否定。
「被告等ノ冗談笑話ニヨリ事実無根ノ嘘報ノ出デタルハ
全ク被告等ノ責任」と自分たちの責任を認めながらも、
「記者ガ目撃セザルニモカカハラズ筆ノ走ルガママニ
興味的ニ記事ヲ創作セルハ一体ノ責任アリ」と記者を批判している。

野田少尉と向井少尉は戦後、記事を理由に処刑された。
昭和四十六年に朝日新聞で連載された「中国の旅」でも取り上げられたが、
その後、ノンフィクション作家、鈴木明氏が、
大宅壮一ノンフィクション賞受賞作「『南京大虐 殺』のまぼろし」で、
記事中にある二少尉の行動経路が事実と異なっていることなどが書かれた
文書の存在を明らかにし、虚構だったことを指摘している。

848: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 04:04 ID:TO6u9BSu

カメラマンの人も、
ホラ話とわかってたけど、記者が本当に書いちゃった
みたいなこと言ってる記事もありましたね。

849: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 04:05 ID:TO6u9BSu

合気道創始者植芝盛平翁
「どうしても日本刀で何十人も切り殺したかったら
後ろに鍛冶屋を用意しとくんじゃな」

合気道創始者植芝盛平翁

850: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 04:06 ID:QCYtcHvZ

 辞 世

我は天地神明に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。
南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。
死は天命と思い日本男子として立派に中国の土になります。
然れ共魂は大八州島に帰ります。
我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、
東洋平和の因ともなれば捨石となり幸ひです。

 中国の御奮闘を祈る
 日本敢奮を祈る

 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳
 死して護国の鬼となります

 十二月三十一日 十時記す 向井 敏明


  遣 書

母上様不孝先立つ身如何とも仕方なし。
努力の限りを尽しましたが我々の誠を見る正しい人は無い様です。
恐しい国です。

野田君が、新聞記者に言つたことが記事になり
死の道づれに大家族の本柱を失はしめました事を
伏して御詫びすると申伝え下さい、との事です。

何れが悪いのでもありません。
人が集つて語れば冗談も出るのは当然の事です。
私も野田様の方に御託ぴして置きました。

公平な人が記事を見れば明かに戦闘行為であります。
犯罪ではありません。記事が正しければ報道せられまして賞賛されます。
書いてあるものに悪い事は無いのですが頭からの曲解です。
浅海さんも悪いのでは決してありません。
我々の為に賞揚してくれた人です。

日本人に悪い人はありません。

我々の事に関しては浅海、富山両氏より
証明が来ましたが公判に間に会いませんでした。
然し間に合つたところで無効でしたろう。
直ちに証明書に基いて上訴しましたが
採用しないのを見ても判然とします。(後略)

851: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 04:08 ID:/mcKkPgr

百人斬りの実行当事者である向井氏は
処刑前に遺書を残しているが、この遺書には、
東京日日新聞による報道は彼ら自身の話した内容を
記事にしたものであることが明記されている。
つまり、向井氏本人が、記事は浅海記者による捏造などではない
と言っているのである。

向井、野田両氏が浅海一男氏に報告しただけで
浅海一男氏は百人斬りを実際に見た訳ではありません:

向井、野田両氏がわれわれのところから去るとき、
筆者らは、このコンテストのこれからの成績結果を
どうしたら知ることができるかについて質問しました。
かれらは、どうせ君たちはその社旗をかかげて
戦線の公道上のどこかにいるだろうから、かれらの方から
それを目印にして話にやって来るさ、といった意味の応答をして、
元気に立ち去っていったのでした。

両少尉は、その後三、四回われわれのところ
(それはほとんど毎日前進していて位置が変わっていましたが)
に現われてかれらの「コンテスト」の経過を告げていきました。

百人斬りは向井、野田両氏の部下が記録を取っていました:

“あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか”と聞きましたよ。
そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。
それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、
当番兵が数えているのだ、という話だった。

853: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 04:26 ID:TO6u9BSu

http://www.history.gr.jp/nanking/chang.html
佐藤振壽氏も偕行社「南京戦史資料集」の中で
「どうやって、中国兵を斬ることができるのか、
大きな 疑問が残っていた。」と、述べている。 

ただ、なぜこのような記事が書かれたのか?
それを知る手がかりと言えるものに鈴木明著「南京事件の
まぼろし」文藝春秋の中に当時の「南京法廷」において
向井少尉の弁護人が提出した上申書が参考となるだろう。 

  (1) 被告向井ノ中支ニ於ケル行動 

向井は富山部隊の砲兵中隊に所属。
丹陽に向かって前進中、12月2日迫撃砲弾によって脚及び右手 に
盲貫弾片創を受けたため、後続の看護班に収容され、
12月15日まで加療した。向井が、富山部隊に担架に乗って帰隊したのは
15、6日だが、それからも治療を続けていたので、東京日々新聞にあるように
十日紫金山で野田少尉とも新聞記者とも会っているはずがない。 

  (2) 特派員浅海ガ創作記事ヲナシタル端緒(原因)を
     開明スル処、次ノ如ク解セラル  

記者は「行軍ばかりで、さっぱり面白い記事がない。
特派員の面目がない」とこぼしていた。
たまたま向井が「花嫁を世話してくれないか」と冗談を言ったところ、
記者は「貴方が天晴れ勇士として報道されれば、
花嫁候補はいくらでも集まる」といい、如何にも記者たちが
第一線の弾雨下で活躍しているように新聞本社に対して面子を保つために、
あの記事は作られたのである。

向井は、自分がどんな記事を書かれて勇士に祭り上げられたのかは、
全然知らなかったので、半年後にあの記事を見て、
大変驚き、且つ恥ずかしかった。

浅海記者がこの記事を創作したのは、
当時の日本国内の軍国熱を高揚しようとしたためで、
また、記者の内容が第一線の白兵戦戦闘中の行動であるから、
誰からも文句が来ないと思い書いたものと思われる。 
854: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/07/25 04:29 ID:TO6u9BSu

  (4) 犯罪の事実ノ無根ナル証拠、新聞記事ノ事実無根ナル証拠左ノ如シ

 1、向井は白許浦に上陸し、丹陽迄歩いて行き、
   丹陽から湯水まで担架で運ばれたので、
   その他の場所へは行ったことがない。
 2、向井は浅海記者と無錫以外で会った事がない
 3、向井は無錫と丹陽の砲撃戦に参加したのみで、他の戦闘には参加してない。
 4、向井は無錫と丹陽で双眼鏡で中国軍を見た以外、
   翌年1月8日まで、一人の中国人も見ていない。
 5、向井は砲撃の指揮官だったから、
   第一線の白兵戦に参加しているはずがない。
 6、向井は野田と丹陽で別れて以来12月16日まで会っていない。
 7、記者達は無錫より自動車で行動しているのだから、
   向井たちを見つけたはずがない。

引用元:旧日本軍の怖い話、怪奇ネタ