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651: 名無し三等兵 02/12/03 02:30 ID:???

湾岸戦争時、イラクは国連軍捕虜に対してチンコチェックを行った
割礼の有無を調べて、ユダヤ人の関与の証拠としたかったらしい
結局見つからなかったようだけど
653: 名無し三等兵 02/12/03 09:11 ID:B1tL7IzW

「支離滅裂」という四字熟語の「支」は支那のことで
実は起源は日本軍の前に蜘蛛の子を散らすように逃げる
中国軍を例えた四字熟語である

656: 名無し三等兵 02/12/03 09:58 ID:???

>>653
ちゃうやろ。
「支離滅裂」って語は中国の古典文学にもよく出て来るぞ。
それ以前もあった語やでたぶん。

「感謝感激雨あられ」っていうけど、この「雨あられ」は日露戦争のときに
新聞の見出しで「乱射乱撃雨あられ」ってあったのを当時の人が駄洒落で
「感謝感激雨あられ」って言ったのがはじまり。こっちはホントやで。

657: 名無し三等兵 02/12/03 10:18 ID:???

>>656

ネタを(以下略

654: 追加 02/12/03 09:22 ID:B1tL7IzW

最初は新聞の見出し文字での造語
「支離滅裂!無敵関東軍」とかな

661: 嶽原 02/12/04 01:02 ID:???

現在の三菱重工大江工場の辺りが、
むかし三菱の零戦工場があった所。

この工場の歴史は古くて、
複葉機の頃からここで飛行機を生産していた。
もちろん元々は付属飛行場はあった。
しかし飛行機が大きく重くなってくると対応できなくなってしまった。
それで48キロも離れた各務原飛行場に運ぶハメになってしまったのです。

実はたった02キロしか離れていない所に、
仮名古屋飛行場があったのだが
ここは民間飛行場であったために使用できなかったのだそうで。

大江工場を出発しひたすら北上。
すぐの熱田神宮で武運長久祈願をし、
名古屋城のちょっと東側を更に北へ。
木曽川を越えたら西に進路変更、
各務原に到着するのに24時間掛かったらしいです。

後には、名古屋飛行場→鈴鹿飛行場への
空輸ルートも出来ていたそうですが。

665: 名無し三等兵 02/12/04 03:44 ID:???

なんで狭っ苦しい河口の土地に
わざわざ飛行機工場を作ったのか?

三菱名古屋航空機製作所は、
もともと潜水艦を作る工場として
用地買収された土地だったのだ。
航空機生産に転用されるようになった理由は、
買収後に名古屋港の水深が不足する事が判明したため。
信じられないが本当だ。

666: 越後人 02/12/04 19:52 ID:???

米百俵って知ってますよね、小泉首相が有名にした話。
戊辰戦争で負けた長岡藩に、三根山藩から送られた救援米百俵を
藩士に分けずに学資にして学校を建てた話です。

この話は、あまり知る人が居ない話ですが、
三根山藩には、長岡藩に米を百俵送ったという資料が存在しません。
では、その百俵の米はどこから出てきたかというと、
新政府への税金としての米、俵に入った米が
運送中に目減りする分を少なめにして、余った米を集めると
大体百俵になり、それを学資にまわした
という話なんです。

670: 長岡出身 02/12/05 09:23 ID:???

>>666
故事になったのは、山本有三の戯曲『米百俵』による。

ただ、再建に当たった
藩大参事の小林虎三郎(道号:病翁)と
藩士との対立は、確かにあり、戯曲のごとくに、
学校設立に米を回すことを巡っての
かなり際どい直談判も実際にあった。

因みに、長岡藩というとどうしても、
司馬遼の『峠』で有名になった河井継之介に目が行きがちだが、
小林は、佐久間象山門下で吉田寅次郎(松蔭)と並び
「象門の二虎」と称せられた人物。病がちでなかったら、
戊辰戦争以前から藩内政に強い影響力を与えていたことだろう。

671: 名無し三等兵 02/12/07 20:30 ID:???

>>670
日本史板では小林ティーガー(ダサツマ陣営支援)と
河井ガドリング(アズマ陣営支援)が
激しい戦いを繰り広げていたなぁ……

667: 名無し四等陸士 02/12/04 22:27 ID:???

「一億人の昭和史別冊 日本陸軍史」に収録されている体験談より。

内務班で私的制裁が盛んに行われていた頃、
ある新兵が射撃訓練の結果が芳しくないとして古兵に
「貴様は男らしくないからいかんのだ」と難癖を付け、
新兵の男性器の包皮を鋏で切断し、「割礼」してしまった。
新兵は絶叫しながら悶絶したが、
古兵達は笑いながら赤チンを塗っただけであった。
その後、その新兵は少し気が変になってしまったという。

668: 添削太郎 02/12/04 23:16 ID:???

「古兵に」→「古兵が」

669: 名無し三等兵 02/12/05 02:33 ID:hcVXQxCs

古兵殿の死因で一番多かったのは
後からの銃撃であった。

672: 越後人 02/12/07 21:22 ID:???

ちなみに、小千谷のじげん寺(漢字忘れた)で、
交渉に赴いた河井継之介を
問答無用で追返したのは、山縣有朋だったりする。

674: 名無し三等兵 02/12/08 06:06 ID:MWxko8Yu

>>672
岩村精一郎じゃないの?

675: 越後人 02/12/08 18:42 ID:???

あれっ?
間違えていたかな?

676: >672 02/12/08 21:48 ID:qX0ce3Bq

山県有朋は要事で余所に出ていて、帰ってきてから
「小僧(岩村)が河井を追い返した」と聞いてかんかんに怒った!
「俺が交渉していれば、うまく停戦をまとめられたのに!
百歩譲って、押し込めて殺してしまえば後腐れ無かったのに
むざむざ勇猛な敵将を城に帰すとは、、」と嘆いた。

拉致して殺す、というのは
幕末戦争の修羅場を経た山県だからこその発想だろうか?

680: 長岡出身 02/12/09 10:09 ID:???

>>676
一方、修羅場知らずの岩村は、
自分が河井を追い返して戦闘も間近だというのにも無頓着。
長岡藩が攻撃を開始した時には、ノンビリと朝飯を食っていた。

そこへ「やべえ」と思って、
雨中の強行軍でやってきた山県が到着したもんだから、大変。
山県に「小僧、何をやっとるか!」と怒り狂われ、膳を蹴り飛ばされるという醜態。
まあ、『峠』での小説的な創作かもしれんが…。