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195: 本当にあった怖い名無し 04/08/06 15:03 ID:Ak93L3xY

沖縄の日本兵の残虐話って、どれもこれも似通ってるでしょ?
そして、共通しているのは部隊名とかが
必ずと言っていいほど出てこない

日本は郷土部隊制のため、お国と連隊名との繋がりが濃いので
真実の話には必ず部隊名とその地名が出てくる。
第48連隊(久留米)って言う風にね
196: 本当にあった怖い名無し 04/08/06 15:07 ID:Ak93L3xY

なぜ、部隊名を出さないのかと言うと、必ず嘘がばれる為です
日本軍は几帳面なので、戦闘詳報が割と残っていたりします

それと突き合わせると、嘘が発覚するんですよね
南京大虐殺や従軍慰安婦で捏造が発覚したようにw

201: 本当にあった怖い名無し 04/08/06 16:38 ID:GQ8vubxy

1 いつ
2 どこで
3 誰が
4 何をしているか

証明できる本物の写真や書類はいつ出てきますか?
最近、この手のニュースは誰が何を言っても信用できん。
(左右関係なく)

203: 本当にあった怖い名無し 04/08/06 22:59 ID:aT8biSDK

第16師団(該当二将校が所属していた師団です)の
佐々木到一支隊長は12月13日の日記にこう記した。

「この日、わが支隊の作戦地域内に遺棄された敵屍は
1万数千に上りその外、装甲車が江上に撃滅したものならびに
各部隊の俘虜を合算すれば、我が支隊のみにて
2万以上の敵は解決されている筈である。

…略… 午後2時ごろ、概して掃蕩を終わって背後を安全にし、
部隊を纏めつつ前進、和平門にいたる。
その後俘虜続々投降し来たり数千に達す、
激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ、片はしより殺戮する。
多数戦友の流血と十日間の辛酸を顧みれば兵隊ならずとも
『皆やってしまえ』と言いたくなる。白米はもはや一粒もなし、
城内には有るだろうが、俘虜に食わせるものの持ち合わせなんか
我が軍には無い筈だった。」

…佐々木到一少将私記「南京戦史資料集」
南京戦史編集委員会編、偕行社、1989年

205: 本当にあった怖い名無し 04/08/06 23:55 ID:9Ne3EGs4

>>201

だねー

>>203は気の効いた事をしたつもりだろうけど、
引用元の人も虐殺か捕虜開放か判断できないと言ってるのにねぇ
こうやって都合のいい箇所だけを貼り付けて
人を騙すパターンはお腹いっぱい

206: 本当にあった怖い名無し 04/08/07 00:07 ID:7qx56GRF

金陵大学病院医師マッカラム氏の日記及び手記からの抜粋
(法廷証第309号=検察番号246号)である。
これを松井大将の弁護人伊藤清氏が
東京裁判の弁護側立証段階で抜粋朗読しているので紹介したい
(極東国際軍事(東京)裁判速記録・・・第210号)。
 
1、(日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。
若干のたいへん愉快な日本人がありました。
私は時々一日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、
支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました。
 
2、12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から
中山路を横断して集まるのを目撃しました。あとで彼らは
行政院調査部から日本軍の手によって配分された米を
携帯して帰って来ました。今日は若干の幸福な人々がおりました。
 
3、(1月3日)今日は病院職員の半数の登録をするのに成功しました。
私は若干の日本兵によってなされた善行を報告せねばなりません。
最近7、8名のたいへんに立派な日本兵が病院を訪問しました。
私どもは彼らに病人に与える食物の欠乏を語りました。
今日彼らは若干の牛肉を見つけて、100斤の豆をもって来ました。
われわれは一ヶ月も病院で肉なんか食べなかったので、
これらの贈り物は大いに歓迎されました。
彼らはわれわれに他にどんなものが欲しいかを尋ねました。

 
このようにラーベ氏は国際委員会を代表して
感謝の手紙をしたためており、マッカラム氏は
日本兵の善行を日記の中にしたためている。

日本を憎悪していたマギー牧師でさえ
「安全区は難民たちの“天国”だったかも知れない」
(秦郁彦著『南京事件』84ページ)といい
スミス博士も調査報告書の中で「難民区内には火災もなく平穏であった」
「住民のほとんどはここに集まっていた」と述べている。

207: 本当にあった怖い名無し 04/08/07 00:10 ID:aV3hTvZg

日本のアジア解放思想は、
第二次大戦の時に出てきたかのように思っている人がいますけども、
これは幕末からあった思想で、それが脈々と受け継がれていました。
もちろん、できれば戦争はしたくなかったわけで、
自存自衛の戦いであったわけですが、植民地解放思想があったのも事実で、
それはアジア人として、ということ以外にも、日本が生き残るために
アジア人の力が必要だと考えたからでもあります。

引用元:戦争、軍事にまつわる怪奇ネタ 二戦目