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459: 本当にあった怖い名無し 04/08/13 13:41 ID:vC2tLq50

アッツ島の最後の突撃の模様も、
オカルトとしか言いようがないな

山崎大佐以下、もう精根尽き果ててるはずなのに
無言で恐ろしいほどのスピードで進み、
目に入るもの全てを破壊しつつ・・・
460: 本当にあった怖い名無し 04/08/13 14:29 ID:oijoKFBZ

戦闘後の硫黄島はオカルトだが、
米軍上陸前の硫黄島もある種オカルト。

太平洋上の小島だから川なんて存在せず
水の確保が非常に難しかった。
旧島民が使っていた雨水をためる
貯水庫は一部の上層部のために使われ、
2万人近い一般兵水は火山の蒸気を冷やしたものが使われた。

火山の蒸気だからたっぷりと硫黄等の重金属が含まれており、
兵士の殆が身体を壊し酷い下痢になった。
一日に何十回もトイレに行かねばならず、
それ以前にトイレに間に合えば『かなり健康な状態』だとされた。
大部分がトイレに間に合わず垂れ流し状態だった。
因みに、この硫黄島の水で米を炊くと、
硫黄でご飯が黄色く染まったらしい。

また、硫黄島での敵が来るまでの任務は、
敵が来てもしばらくは耐えれるように、
蒸気噴出す熱い大地に穴を掘って洞窟陣地を構築することだった。
だが、活火山だけに洞窟内部の気温は非常に高く、
低いところでも40度を越えていたとか。

当然そんなところで長時間作業できるはずもなく、
5分~10分掘ったら身体を冷ますために外に出なくてはならなかった。
また、殆どの者が身体を壊していたため倒れる者が続出。
病院もあるにはあったが、病人の数の多さから
手のつけようの無い重病者が殆どだった。
しかしそれでも尚手が足りなかった。

軍医が寝ている病人の間を歩きながら
一瞥するのが通常の診察であり、
手当てらしい手当てを受ける者は見られなかった。
そこはさながら死の待合室だったと生還者は語っている。

461: 本当にあった怖い名無し 04/08/13 14:30 ID:oijoKFBZ

米軍の上陸前の事前砲爆撃も凄まじく、
発射された砲弾の数こそ沖縄よりも少なかったが、
発射された砲弾のトン数は沖縄と同じかそれ以上だった。
なぜなら、沖縄はロケット弾や
駆逐艦等の12.7cm程度の小口径砲が主体だったが、
硫黄島は戦艦による38cm~40cmの大口径が主体となっていたからである。
硫黄島に発射された砲弾は推定5000トンに及び、
これは一坪当たり700キロの爆弾を使った計算になる。
日本の一般的な爆撃機、一式陸上攻撃機の搭載量が
800キロだったことを考えれば、砲撃の激しさが分かるだろう。
この砲撃により島の南端にある擂鉢山という
山の形が変わったという人もいる。

こんな状態でも人は生きていられることがかなりの驚き。

465: 本当にあった怖い名無し 04/08/13 17:18 ID:FYsM5QLo

おじちゃんの話し・・
(語力がないので簡単になっちゃいますが)

大戦中、赤紙が来た祖父は衛生兵に抜擢され、
出陣する兵隊を(負傷を負った)
出来るだけ助けようと必死になった。場所は中国。
前線での戦闘なだけに負傷者は耐えない。
しかし衛生兵の使命は最後まで努めなければ。

そんな毎日の時、寝ていると目が醒める。
枕横には手当てしていた担当していた兵隊。
静かに深くお辞儀しスーっと消えた。
翌日、その兵士は亡くなっていた。
祖父は涙が止まらない。悔しかったそうだ。
そんな日々が続く・・・。

おじいちゃんは私が小学生の頃
うっかりカッターで手のひらを深く切ってしまった時、
テキパキと手当てしてくれました。

「病院で縫うと手がツって思いきり広げれなくなるぞ。
女の子だから傷は残したく無いだろ?」
さすが、病院に行く事なく完治。
でも傷跡のこっているよ。おじいちゃん・・・。
その傷を見る度祖父との楽しい思いでが蘇ります。
実家帰った時、またおじいちゃんに話しを聞いてこようと思います。
あまりオカルトじゃ無くてすみません。