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1: 名無し三等兵 2001/03/12(月) 14:46

『佐久間艇長遺言』(昨日海軍省より発表)

小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す,誠に申し訳なし。
されど艇員一同死に至るまで皆よくその職を守り沈着にことを処せり。
我等は国家のため職に斃れしと雖も唯々遺憾とする所は
天下の士はこれを誤り以って将来潜水艇の発展に打撃を与ふるに
至らざるやを憂ふるにあり。希くば諸君ますます勉励以ってこの誤解なく
将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされんことを。
さすれば我れ等一も遺憾とするところなし。
1: 名無し三等兵 2001/03/12(月) 14:46

  沈没の原因
瓦素林潜航の際過度深入せしため「スルイスバルブ」をしめんとせしも
途中「チェン」きれ依って手にて之れをしめたるも後れ後部に満水せり。
約二十五度の傾斜にて沈降せり。
 

  沈据後の状況
一,傾斜約仰角十三度位
一,配電盤つかりたるため電灯消え,
電纜燃え悪瓦斯を発生呼吸に困難を感ぜり。十五日午前十時沈没す。
この悪瓦斯の下に手動ポンプにて排水に力む。

一,沈下と共に「メンタンク」を排水せり,灯消えゲージ見えざれども
「メンタンク」は排水し終われるものと認む。電流は全く使用する能わず,
電液は溢るも少々,海水は入らず「クロリン」ガス発生せず
唯々頼む所は手動ポンプあるのみ。
(后十一時四十五分司令塔の明りにて記す)
溢入の水に浸され乗員大部衣濕ふ。寒冷を感ず。
余は常に潜水艇員は沈置細心の注意を要すると共に
大胆に行動せざればその発展を望む可からず,
細心の余り萎縮せざらんことを戒めたり。世の人はこの失敗を以って
或いは嘲笑するものあらん。されど我れは前言の誤りなきを確信す。
 

一,司令塔の深度計は五十二を示し排水に勉めども
十二時迄は底止して動かず,この辺深度は十尋位なれば正しきものならん。
一,潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す,
かかるときに困る故。幸ひに本艇員は皆よく其職を尽せり,満足に思ふ。
我れは常に家を出づれば死を期す。されば遺言状は既に
「カラサキ」引出の中にあり(之れ但私事に関すること,いふ必要なし,
田口,浅見兄よ之れを愚父に致されよ)
 

 公遺言
謹んで
陛下に白す 我部下の遺族をして窮するものなからしめ給はらんことを,
我が念頭に懸るもの之あるのみ。
左の諸君に宜敷(順序不順)
斉藤大臣 島村中将 藤井中将 名和少将 山下少将 成田少将
(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
小栗大佐 井出大佐 松村中佐(純一) 松村大佐(竜) 松村少佐(菊)
                           (小生の兄なり)
 船越大佐
 成田鋼太郎先生 生田小金次先生
 十二時三十分呼吸非常にクルシイ
 瓦素林ヲブローアウトセシシ積モリナレドモ,ガソリンニヨウタ
 中野大佐
 十二時四十分なり


50: 名無し三等兵 2001/03/24(土) 13:52

>>1

そう言えば佐久間艇の引き上げ後、
乗員が全員持ち場を離れずそのまま死んでいたのは
世界中が驚愕したとか。
ちなみにほぼ同時期にイタリア艇が沈没したときは乗組員は、
ハッチ周辺で折り重なるように死亡していたそうです。

5: 名無し三等兵 2001/03/12(月) 14:59

>>1
江田島記念館に遺書が展示されているので
機会があったら見に行ってみましょう。
酸欠に悩まされながら書き続け、段々と筆跡が乱れて
文字が大きくなっていくのに心を打たれました。

2: 名無し三等兵 2001/03/12(月) 14:47

左ノ電文ヲ次官二御通報方取計(とりはからい)ヲ得度(えたし)

沖縄県民ノ実情二関シテハ県知事ヨリ報告セラルヘキモ 
県ニハ既二通信力ナク 32軍司令部又通信ノ
余力ナシト認メラルニ付 本職県
知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非(あら)サレトモ 
現状ヲ看過(かんか)スルニ忍ヒス 之二代ツチ緊急御通知申シ上クーー

ーー若キ婦人ハ率先軍二身ヲ捧ケ 
看護婦烹飯婦ハモトヨリ砲弾運ヒ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 
所詮(しょせん)  敵来リナハ老人子供ハ殺サレルヘク 
婦女子ハ後方二運ヒ去ラレテ毒牙二供セラルヘシトテ 親子生別レ 
娘ヲ軍衛門二捨ツル親アリ 看護婦二至リテハ軍移
動二際シ 衛生兵既二出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテーー

ーー沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲー―

201: 名無し三等兵 2001/04/11(水) 01:10

>>2

に極めて近い内容だけど、沖縄第32軍の袂別電報の最後

矢弾尽き天地染めて散るとても
    魂還り魂還り 皇国護らん

秋をも待たで枯れゆく島の青草は
    皇国の春に  よみがえらなむ


最初に読んだ時、この「魂還り魂還り 皇国護らん」って所で号泣した。
合掌。

3: 名無し三等兵 2001/03/12(月) 14:50

泣けるね、もっとくれ

7: 名無し三等兵 2001/03/12(月) 15:12

>ーー沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 
>県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲー―

この一文がホント泣ける。報われないよなぁ。

8: 名無し三等兵 2001/03/21(水) 01:39

セブ島から特攻出撃した
大和隊隊員植村少尉が幼いわが子にあてた遺書。


素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、
またお風呂に入ったこともありました。

素子が大きくなって私のことが知りたい時は、
お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。
私の写真帳もお前のために家に残してあります。

素子という名前は私がつけたのです。
素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、
お父様が考えたのです。

私はお前が大きくなって、
立派なお嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、
若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、
決して悲しんではなりません。

お前が大きくなって、父に会いたいときは九段にいらっしゃい。

そして心に深く念ずれば、必ずお父様の
お顔がお前の心の中に浮かびますよ。

父はお前が幸福者と思います。
生まれながらにして父に生き写しだし、
他の人々も素子ちゃんをみると
真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。

またお前の伯父様、叔母様は、
お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、
お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて
只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。

必ず私に万一のことがあっても
親無し児などと思ってはなりません。

父は常に素子の身辺を護っております。

優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、
この便りを読んで貰いなさい。

昭和十九年○月某日         父

植村素子へ
追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、
お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。
だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。
素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。

55: 名無し三等兵 2001/03/24(土) 22:13

>>8
植村素子さん、
この遺書のおかげで幸せな人生を送っていると信じたい。

14: 名無し三等兵 2001/03/22(木) 18:19

8の出典は「きけわだつみの声」かな。
初めて目にしたけどこれはキッツイね。
泣かせどころ満載。

15: 名無し三等兵 2001/03/22(木) 18:25

>>14
まじ、目頭が熱い、、

16: 名無し三等兵 2001/03/22(木) 18:27

実にいいスレだ

17: 名無し三等兵 2001/03/22(木) 23:18

8をみて泣かない奴は銃殺。