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11: 名無し三等兵 2006/08/18(金) 23:33:08 ID:As7gD8s/

30 名前:雷鳥一号 ◆zE.wmw4nYQ [sage] 投稿日:04/12/21 05:34:18

私の体験した話。

仕事で山奥の農家に出入りしていた時のこと。
土工作業が長引いてしまい、終わる頃には日が疾うに暮れていた。
黒々とした山を眺めながら施主と話をしていると、
乾いた破裂音が聞こえた。
11: 名無し三等兵 2006/08/18(金) 23:33:08 ID:As7gD8s/

30 名前:雷鳥一号 ◆zE.wmw4nYQ [sage] 投稿日:04/12/21 05:34:18

 ぱぁん!

爆竹ですかねと施主に振ると、
さらっととんでもない返事が返ってくる。
「いや、ありゃ銃声だよ」
驚く私に、親父さんは次のような話をしてくれた。

日露戦争が始まる直前、この山の近くに練兵場があった。
徴兵されたばかりの新兵には
訓練に耐え切れない者も多く、脱走者が相次いだ。
脱走兵の内何人かはこの山に入り込み、
持ち出した銃で自殺したのだという。
その時の銃声が、毎年同じ時期に山に響くのだそうだ。

「わしの親父も聞いていたというから、もう随分になる。
丁度この時期になると、いまだにぱんぱん鳴ってるなぁ。
延々と自殺し続けてるのかもしれんのぅ」

呆然と暗い山を見渡したが、それ以上何も聞こえない。
その現場が終わるまでに、
私はもう一度だけその音を聞くことになった。

17: 名無し三等兵 2006/08/19(土) 09:33:40 ID:vZ9FMNhX

怖い話というより悲しい話だな…

16: 名無し三等兵 2006/08/19(土) 09:21:36 ID:fig31qgc

ログ拾ってきた。

82 名前:70,71です。[] 投稿日:05/02/10 05:33:49 ID:+9V5zd4y0

73様
情報有り難うございました。
日本と時差があるのでお礼をするのが遅れてすみませんでした。

お礼に友人から聞いた山にまつわる話を。
1980年代だろうか、トルコ東部で
PKKの活動がたけなわだった頃の話だそうな。
トルコ軍のパトロール隊が山を移動していたところ、
PKKの待ち伏せにあったそうな。

敵は周到に用意していたようで、
十字砲火を受けて身動きがとれない。
部隊は全滅かと思われたとき…。
部隊の隠れている場所に一頭の狼が突然あらわれた。
部隊はその狼の後について抜け道を見つけだし窮地を脱したそうな。

ちなみにトルコ人は自分達を狼の子孫と考えており
(たぶんモンゴルの話を近現代になってからパクったもの)、
極右政党の中には狼を政党のしるしにしているものもあるそうです。

似たような話はどこの国でもありそうですね。

18: 名無し三等兵 2006/08/19(土) 10:08:52 ID:???

●3000人の中国兵
第二次世界大戦中の1939年10月。
3000人の中国兵が汽車で南京の近くの広野に運ばれ、
夜になって約3㎞に渡って、兵士たちは配置された。

そして兵士の配置も完了し終わって数時間後、
司令官が宿舎から、再びその前線に戻ってみると、さっきまでいた、
3000人の兵士たちが全て忽然と姿を消していた。

野原には、焚き火が燃え続けており、銃は全て投げ出され、
また、地平線に至るまで、一つの足跡も発見出来なかったという。

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●雲に飲み込まれたイギリス兵
第一次世界大戦中の、1915年8月21日。
トルコのアンザックの近くにある、サル・ベイ丘。

この日、341名のイギリス陸軍・ノーフォーク連隊が
その丘の方へ向かって行進していた。
そして連隊が進んでいくにつれて、丘の上にかかっていた
灰色の雲がだんだんと下へ降り始めてきた。

その雲はやがて丘を完全に覆い尽くし、ノーフォーク連隊の数百名は
その雲の中へ向かって行進しているかのようにも見えた。

だが、雲の中へ入り込んだイギリス兵は、
それから一人も姿を現さないのである。
この出来事は、イギリス軍側のニュージーランド兵22名が
一部始終を見ていた。

一時間後、風が吹き始め、先ほどまで丘を覆っていた雲は、
また段々と上昇し、すっかり辺りが見渡せる状態になった。
だが、確かにその丘に向かって行進していたイギリス兵は、
一人もいなくなっていたのである。

ニュージーランド兵が見ていた場所からは
数十㎞四方が広々と見えるよう場所であり、
その付近に隠れるような場所など何もない。

341名全てが行方不明になったという通報を受けた
イギリス軍はただちに調査隊を送り、ノーフォーク連隊の行方を探したが、
全く手がかりがなく、一人の死体さえ見つけることが出来なかった。

3年後の1918年、戦争が終結した時に、
イギリス軍はノーフォーク連隊が、あの時トルコ軍の
捕虜になったのではないかと思い、厳しく追及したが、
やはりそのような事実はなかった。

あの時、雲の中へ消えた341名の兵士はいまだに行方不明のままで、
帰ってきた者も、また死体が発見された者もいないのである。

引用元:軍事な怪談