大阪鎮台では明治18年の時点で麦飯の給与を開始していた。
麦飯給与の前々年度の脚気患者は兵1000人当たり428.21名、
前年度で353.33人であったが
麦飯給与が始まってから一気に13.21名にまで減少した。
・・・・あの文学馬鹿が居なけりゃ。
615: 名無し三等兵 03/09/27 00:59 ID:???
>>614
もりりん?
616: 名無し三等兵 03/09/27 02:10 ID:???
>>615
文学少女もりりん……(´Д`#)ハァハァ
というか、もりりんって言うなYOw
むっち、辻ーんについで新たな軍板人名用語がまたひとつ。
617: 名無し三等兵 03/09/27 03:10 ID:???
あの文学馬鹿と言われますが。
科学者としての考え方は論理的だった。
618: 名無し三等兵 03/09/27 03:16 ID:???
>>617
北里柴三郎を「師弟の道を踏み外した愚か者」
と言って排斥しといて『科学的』も
なにもあったもんじゃないんじゃないの林太郎サン?
641: 名無し三等兵 03/09/28 11:50 ID:???
>>617
本人必死だな(藁
642: 名無し三等兵 03/09/28 12:24 ID:???
>>641
もりりん降臨?
619: 名無し三等兵 03/09/27 03:19 ID:???
高木兼寛のほうは良く言えば
実践的、悪く言えば場当たり的だったな。
公衆衛生に関しての思想からもそれが伺える。
620: 名無し三等兵 03/09/27 04:15 ID:???
頭でっかちのガチガチの理論派、理論と違ってたら
それは事実が間違ってる!
「ドイツ観念主義」
と
実用主義一本槍、わけわかんなくても
使えりゃいいじゃんの「イギリス経験主義」
の違いってことかね。
まあどっちにしろ
「僕ちんはひょっとして間違ってるんじゃないだろうか?」と
想像しないところに森りんの辻ーんや
むっちー的性格の一端が現れてると思う。
622: 名無し三等兵 03/09/27 12:57 ID:???
>>620
問題は彼らが信奉していた実体が、
現象を解明するための探求手段である
科学的方法論というより、現実はこうあるべきと規定する
観念論だったわけで。
彼らは科学者ではなく
ある種の天啓を受けた働き者の官僚として、使命感に
突き動かされ仕事に邁進してしまった結果がああなったわけですな。
623: 名無し三等兵 03/09/27 17:39 ID:???
>>622
迷惑且つ無能な官僚の代表例だなw
625: 名無し三等兵 03/09/27 18:45 ID:???
ヒエやアワは、おかゆにした方がおいしい、そうだ。
628: 名無し三等兵 03/09/27 20:27 ID:???
>>625
四国に旅行に行ったら、郷土料理のお店で
アワだか、ヒエだかを食べさせてくれるところがあって、
頼んだら、あれ、トリのエサそのものなのね。
トリのエサがアワやヒエだとは知らなかったよ。
小粒でのどにひっかかって、とてもじゃないが、
美味いものでは無かったです。
良い経験をしたと思いました。
626: 名無し三等兵 03/09/27 19:39 ID:???
>620
これは単純化しすぎではないかと。
当時でも壊血病等、栄養不良が
病気の原因となり得るという知識はあったし、
海軍軍医の高木氏が食事に着目したのは、
ある意味自然なことです。
で、食事内容の分析や動物実験などもした上での結論が給食改革です。
場当たり的な思いつきで、巨額の経費を要する実験や改革をしたわけではない。
で、「ドイツ派とイギリス派」とはよく言われるけど、
実際にはもっと卑小な話じゃないかと思いますね。
北里柴三郎や志賀潔といった、森某などと比較しては失礼とも思えるような、
ドイツ派日本細菌学の泰斗達は、比較的早い時期に栄養説に傾いていたと
聞きますし、コッホ自身、後年来日した際にも、
「脚気のことは勉強していないしよくわからんが、
あるいは栄養性のものと細菌性のものと両方あるのかもしれない」
とコメントした由。
こうした話からすると、「脚気菌」の件は
一部学閥連中の面子だけの問題でないかと思えます。
627: 626 03/09/27 19:57 ID:???
後…、
>わけわかんなくても使えりゃいいじゃんの
ほとんどの薬は、(少なくともかつては)
こういうもんだったんではないかと思う。
ビタミンCだのビタミンB1だのが欠乏すると
なぜ病気になるのか、というのが
わかったのは、発見からかなり経ってからの筈。
ペニシリン等もだし、麻酔のメカニズムなどは、
まだ研究レベルだという様に聞き及びます。
森鴎外はドイツの若い女を騙して来日させ、「舞姫」のネタにしたに限らず、ロシア軍以上に日本軍兵士の犠牲を増やした。