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266: 本当にあった怖い名無し 04/08/08 18:48 ID:2xHGXFQj

自衛隊のパイロットだった友達が、
怪談なら山ほどあるって言っていくつか話してくれた。
不審者発見で上官に報告した毎度の幽霊だった
ってこともあったみたい。(上司も承知)
278: 本当にあった怖い名無し 04/08/09 09:30 ID:sHkXwbKS

自衛官からしたら、哨戒行動中に霊が現われるよりも
リアルな敵軍が現われたほうが恐いだろうな

267: ワニ分署 04/08/08 18:58 ID:qV66Y5iM

野生動物による最大の大量殺人 
1945年2月、ベンガル湾のラムリー島の
マングローブが生い茂る沼地に
イギリス軍が1,000人を超える日本軍をおびき寄せていた。
19日の夜から20日の未明にかけて恐ろしい叫び声が続いた。
負傷者の血の匂いに刺激された無数のイリエワニが
この沼地に集まり、動きのとれなくなっていた日本兵に襲いかかったのだった。
沼地の外側にいたイギリス軍は一晩中すさまじい悲鳴を聞かされた。

そして夜が明けてから彼らが発見した生存者はわずか20名だった。

270: 本当にあった怖い名無し 04/08/09 01:15 ID:6hIcaTw5

我々帰還兵を感動させた軍楽隊ではあったが、
しばらくしてその後ろに続く
一見〝敗残兵〟のような中国兵たちが気になりだした。

ある者は、ぼろぼろの綿入り服に唐傘を背負ってわらじを履き、
またある者は、天秤棒も竹籠を下げ、その籠の中には鍋釜を覗かせている。
そして全員が胸ポケットに歯ブラシをさして、水筒の紐にも
ホーロー・カップを引っかけ、醤油で煮詰めたような
汚いタオルを腰にぶらさげていた。

彼らは軍隊行進にあるまじき乱れた歩調で、ミ
シッミシっと軍楽隊に後続してきたのである。
その光景は異様としかいいようがなかった。

まさかこれが〝祖国〟中華民国の兵士ではあるまいな……。
だが、その予想は残念ながら的中した。

帰還の喜びもつかの間、我々の夢も希望も、
〝祖国〟たるべき中華民国に託したすべてが、
心の中で音をたてて崩れていった。

なんたる様か、なんたる軍紀か…。
規律正しく襟を正し、人々から喝采を浴びた
威風堂々の日本陸軍とは似ても似つかぬていたらく
な中華民国軍の姿に、我々はただ唖然とするばかりだった。
彼らが精強な日本軍に勝利した軍隊なのだろうか……。
まるで〝敗残兵〟ではないか。

驚きのあまりお粥を食べる箸が止まり、
頭の中が真っ白になったことを覚えている。
物資の不足した終戦間際でさえ、そして陸軍生徒の我々でも、
純綿・純毛の制服が支給され、足元も折り目正しくゲートルを巻き、
頭の先からつま先まで凛とした威容を保ち続けたものだ。

また、戦後、日本に進駐してきた
米兵などはスマートなGIスーツが人目を引いた。
ところが同じ戦勝国でありながら、なぜこうも違うのか。
軍隊の姿を見ればその国のありようがわかる
そんな時代であったからこそ、この中華民国軍の姿に
我々は愕然としたのである。

私と一緒に台湾に帰還した戦友のうちの二人は、
「俺はこんな連中と一緒になるのはいやだ!」
と、引き揚げる日本兵に紛れて台湾を去っていった。

「台湾人と日本精神」蔡焜燦

271: 本当にあった怖い名無し 04/08/09 01:44 ID:6hIcaTw5

蒋介石は全軍に向けてこうも訓示し、将兵を驚かせたことがある。
「朝起きて冷水で顔を洗い、冷や飯をかきこみ、
突撃を開始する日本軍と、まずお湯をわかして顔を洗い、
朝食を作り始める中国軍のどちらが強いかは、
言わずともあきらかである。日本軍を見習え」

彼は開戦前の昭和九年の講演で、すでにこう断言している。
「予は日本の陸軍で学び、その学校教育、軍隊教育を受けた。
日本人は口に出しては言わないが、
その日常生活はすべて礼儀廉恥にかなっている。
このような教育を数十年続けた結果、
今日のように富強な国家を作り上げた。
我々中国人は、砲煙弾雨の間に日本人と争うまでもなく、
日常の生活ですでに負けている」 

一般の中国兵は、後方から自分たちが逃げないよう
威圧・威嚇する督戦隊がいなければ動くこともできなかった。
彼らはいわば烏合の衆であり、徹底的に訓練された
日本軍にかなうわけがなかった。 

中国軍が国民軍ではなく、
「拉夫」(強制連行)でかき集めた兵士で構成されていたことも、
しばしば「逃げる」理由だった。 

しかも上官によるピンハネが常識で、
兵士たちにまともな給料は支払われなかった。
死んでも遺族に保障はない。

272: 本当にあった怖い名無し 04/08/09 01:45 ID:6hIcaTw5

これは士気にも影響する重大なことだった。
兵士たちは実戦になると、稼ぐために略奪し、
命を守るために逃げるしかなかったのである。

このような軍隊だったから、
中国軍には前述の「督戦隊」という奇妙な部隊があった。
日本軍と違って中国軍は、前線の指揮官は先頭に立たず、
決まって後方で「チョンア!(進め)」
「シア!シア!(殺せ、やれ)」と叫ぶだけだった。

部隊が日本軍の攻撃を浴びると前に進めなくなる。
そこで退却する友軍兵士を実力で阻止するのが督戦隊だった。
彼らは銃で威嚇するだけでなく、しばしば見せしめに射殺までした。 
兵士は「どうせ殺されるなら」との思いで、ようやく敵と戦ったのだ。
だから中国軍の戦死者の中には友軍に殺されたものも多かった。

ある戦場では、友軍の退却を援護していた
中国兵の一団が塹壕の中で戦死していた。
それを発見した日本兵たちは思わず涙を流したという。
なぜなら彼らの脚には、逃亡防止のため、鉄の鎖が付けられていたからだ。
「李宗仁回想録」によると、南京攻略戦では北門付近で、
督戦隊が日本軍の攻撃から逃げ出そうと
押し寄せた友軍を掃射している。

「日中戦争知られざる真実」黄文雄

引用元:戦争、軍事にまつわる怪奇ネタ 二戦目