国家総動員報桜

566: 世界史板から軍板に転載されたのを再転載 04/08/16 02:58 ID:YP/dyIAK

1941年6月22日、ナチスドイツはソ連に侵攻し、
8月にはレニングラードが 包囲された。
ドイツ軍の空爆や地上よりの砲撃に苛まれ、寒さと飢えに
苦しめられつつ900日の間市民は侵入者を拒み、
ついにソ連軍の巻き返しで 包囲は破られた。
しかしこの抵抗には広島原爆の二重倍もの犠牲が払われた。

1941年当時レニングラード市の人口は250万あまり。
包囲が解かれた1943末には人口は60万に減っていた。
少なく見積もっても、80万もの市民が餓死したことになる。
詩人のルクニツキーの証言では、1942から 1943にかけては
毎日六千から一万の市民が餓死凍死していったという。
死体は袋小路、空き地、地下室を埋め尽くした。死体回収のトラックは
ガソリンの欠乏で動かない。そこで人力で引きずって共同墓地に運ぶ。
前線から戻った工兵がダイナマイトで凍った地面を砕き、
埋葬用の塹壕に似た穴を掘る。 
567: 世界史板から軍板に転載されたのを再転載 04/08/16 02:59 ID:YP/dyIAK

墓地に向かう道の両側には
塀のように凍った死体が積み上げられ、
車がすれ違うことも出来ない。  
当然、食糧を求めての窃盗、殺人が横行する。殺して配給証を奪い取る。
しかしやがて食糧そのものが無く、配給証は無用の長物。

やがて墓掘り人夫がおかしな事に気が付いた。体の一部分が欠けている
死体が頻繁に見つかると言うのだ。特に腿、尻、腕、肩の肉が無い。
墓地の前ではバラバラ死体すら発見されている。何者かが死体を切り取り、
肉を喰らっているのは明らかだった。

やがて生きた人間までもが殺されて喰われた。
凍った死体は解体の前に解凍する必要がある。
生きた人を殺して即座に解体すれば手間がかからない。
特に女と兵士が襲われた。女は脂肪が多く、柔らかいから。
兵士は、一般人よりも栄養状態が多いから。

568: 世界史板から軍板に転載されたのを再転載 04/08/16 03:01 ID:YP/dyIAK

1942年1月19日、物不足に悩むディミトリとタマラは
大切に保存しておいたパン600gを携えて「干し草市場」に向かった。
毛皮のブーツを買うためである。そこで二人は大男に出会った。
身なりもよく、栄養状態も良いようだ。彼は女物のブーツを持っていたので
商談を持ちかける。値切った結果商談は成立。ブーツがもう一足、
数百m離れた男の家にあるという。ディミトリは行くことにしたが、
タマラはそこで待っていた。
男に付いていったディミトリは妙な胸騒ぎがした。食人鬼の近づき方の
噂を聞いていたからだ。男は「ちょっと待ってろ」と言い、ドアに向かって
「生きたのを連れてきた」と囁いた。

569: 世界史板から軍板に転載されたのを再転載 04/08/16 03:01 ID:YP/dyIAK

ドアが開いた。中からなま暖かくきつい臭いが漏れだした。
蝋燭の光が揺らめき、その炎に照らされて白い肉塊がいくつか、
男の脚  女の血管の浮いた腕が照らし出された。
ディミトリが必死になって階段を駆け下りる。男が後を追う。運良く
軍用トラックが外を通りかかった。「助けてくれ、人食いだ!」
ディミトリはトラックにすがりついた。
トラックは停車、兵士が建物に乗り込む。銃声。

十五分後、戻ってきた兵士が「五人分の肉塊を発見した」と発表した。

570: 世界史板から軍板に転載されたのを再転載 04/08/16 03:02 ID:YP/dyIAK

レニングラードの食人は極悪非道の殺人鬼のみの仕業ではない。
「アパートの壁の裏で何が行われていたかは神のみが知る」
と、住民は証言する。この証人は妻を食べた男、
我が子を喰った親もいると断言する。
同じアパートの住民が妻を殺し、首を鍋で煮たという。

この類の証言は際限がない。

引用元:戦争、軍事にまつわる怪奇ネタ 二戦目