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84: 名も無き国民の声 2001/03/26(月) 02:33

せっかくの名スレだ、
話スレの趣旨に戻すよ。広島の話は別で頼む。

俺がアメリカで見たドキュメンタリー。
アッツとキスカの話だった。
どちらか忘れたけれど、米兵が島に行くと、
木でできた米兵(おそらく航空兵)の墓があった。
映像で見たけれど、きれいな筆記体(英語)でこう書いてあった。
「国のために若い命を散らし兵士ここに眠る。ニッポンアーミー」

英語の達者な日本兵の誰かが書いたんだろう。
敵の戦死者に最大限の敬意を払うというのは、
いつ考えても泣ける。
85: 名も無き国民の声 2001/03/26(月) 02:35

>>84
さっそく泣けそうです(マジ

そのドキュメントみたいな

86: 名も無き国民の声 2001/03/26(月) 03:07

久々に俺の涙腺にヒット!
もっとないかな?

87: 名も無き国民の声 2001/03/26(月) 04:13

遺書

○陸軍歩兵伍長としてはこれ男子の本懐、申し置く事ナシ。

○日本映画監督協会の一員として一言。
「人情紙風船」が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。
負け惜しみに非ず。

○保険の金はそっくり井上金太郎氏にお渡しする事。

○井上さんにはとことん迄御世話をかけて済まんと思います。
僕のもろもろの借金を(P・C・Lからなるせ
[#「なるせ」に傍点]からの払ッて下さい。)
多分足りません。そこ、うまく胡麻化しといて戴きます。

○万一余りましたら、協会と前進座で分けて下さい。

○最後に、先輩友人諸氏に一言
よい映画をこさえて下さい。     以上。

 昭和十三年四月十八日
                       山 中 貞 雄

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飄々とした人柄が偲ばれて逆に泣ける。
死の間際で淡々とした文章を書けると言うのは凄いなあ

88: 名も無き国民の声 2001/03/30(金) 22:45

著書「知覧特別攻撃隊」より。

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遺書

政憲、紀代子へ

父ハスガタコソミエザルモイツデモオマエタチヲ見テイル。
ヨクオカアサンノイイツケヲマモッテ、オカアサンニシンパイ
ヲカケナイヨウニシナサイ。ソシテオオキクナッタレバ、
ヂブンノスキナミチニスヽミ、リッパナニッポンジンニナルコト
デス。ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。「マサ
ノリ」「キヨコ」ノオトウサンハカミサマニナッテ、フタリヲジ
ット見テイマス。フタリナカヨクベンキョウヲシテ、オカアサ
ンノシゴトヲテツダイナサイ。オトウサンハ「マサノリ」「キヨ
コ」ノオウマサンニハナレマセンケレドモ、フタリナカヨクシナサイヨ。
オトウサンハオオキナジュウバクニノッテ、テキヲゼンブ
ヤッツケタゲンキナヒトデス。オトウサンニマケナイヒトニ
ナッテ、オトウサンノカタキヲウッテクダサイ。

マサノリ キヨコ フタリヘ
                   父より。


久野正信 中佐 第三独立飛行隊
昭和二十年五月二十四日出撃戦死 二十九歳

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幼い子供達にも読めるようにカタカナで書いた遺書が泣ける...

90: 名も無き国民の声 2001/03/31(土) 07:44

>>88
こりゃいかん。なけるわ。降参。
こんないいスレッド軍事板で始めてみた。
AGE

92: 名も無き国民の声 2001/03/31(土) 18:27

>>88
やべぇ、俺も泣けたよ

家族ものはクルネ

93: 名も無き国民の声 2001/03/31(土) 19:07

>>88の数年前TVで見たことある。
奥さんも御存命で元気でしたよ。(今はワカランが)
上から戦力温存のために止められたのだが、
「自分の部下が次々と特攻で死んで行くのは偲び無い」
と嘆願されたそうだ。政憲さんも優しそうな白髪のオジさんだった。
カタカナの遺書を目を細めながら
「父の思いではこれしかないので...」と
微笑む姿が印象的でした。

しかし、いつ見ても泣けるね。

94: 名も無き国民の声 2001/03/31(土) 19:57

社会学習の為に2ちゃんねるを
最大限に活用しようと思って軍事板を覗いてみたんですが、
ヤバイ、>>88超泣ける・・・。
いつもおばあちゃんから戦争の色んな話を聞いていたのですが・・・。

95: 名も無き国民の声 2001/04/01(日) 00:11

>>88
たまらんねえ・・・・。
「お馬さんになれないけど、仲良くしなさい」とは・・
(;_;)

96: 名も無き国民の声 2001/04/01(日) 00:18

静かな父親の愛情ですね・・・。

97: 名も無き国民の声 2001/04/01(日) 00:19

名スレ。あげ

99: 名も無き国民の声 2001/04/01(日) 00:31

>>88
涙がぼろぼろ出たよ

101: 名も無き国民の声 2001/04/01(日) 00:36

海軍中尉 富田 修命 二十三歳
台湾高雄西海上にて戦死

九月二十五日一時半、我一生ここに定まる。
お父さんへ、いうことなし。お母さんへ、ご教訓身にしみます。

お母さんご安心下さい。
決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。
----それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳、万歳、こう叫びつつ死んで征つた
幾多の先輩達のことを考へます。

お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!!
こう叫びたい気持ちで一杯です。何かいつて下さい。一言で充分です。

いかに冷静になつても考へても、
何時も何時も浮かんで来るのはご両親様の顔です。
父ちやん!母ちやん!僕はこう何度もよびます。

「お母さん、決して泣かないで下さい」
修が日本の飛行軍人であつたことに就いて大きな誇りを持つて下さい。
勇ましい爆音をたてて先輩がとんで行きます。ではまた。

引用元:泣ける話