b89

42: 名も無き国民の声 2009/05/27(水) 12:57:19 ID:sMbbo6yG0

小笠原事件①

- 経緯-

昭和20年2月23日から25日にかけて、
小笠原諸島の父島に配備されていた陸海軍の混成団の
一部将校らが米軍の捕虜を殺害して人食していたことが
戦後の東京裁判BC級の公判で明らかになった。
小笠原諸島は東京市(現在東京都)に属し、
南に約200キロにある島で父島を中心に大小の島からなる。

当時、東京市の防衛の要であった硫黄島と東京市の中間にあり、
軍需物資を中継する重要な島だった。
このため、大本営も従来の父島要塞司令部を改編し
陸軍は混成第一旅団(5個大隊を基幹)など約9000人、
海軍は通信隊など6000人を再配備した。 
42: 名も無き国民の声 2009/05/27(水) 12:57:19 ID:sMbbo6yG0

小笠原事件①

- 経緯- 

米軍の機動部隊は、前年の昭和19年7月に
サイパン島を攻略し日本守備隊が玉砕。
このサイパンを最前線基地として連日、東京への空爆を行った。
大本営は米軍の次の目標は硫黄島とみて、
父島に約15000人からなる部隊を配置したのだった。

同年8月31日から9月2日にかけて、
いよいよ父島に対する空爆が始まった。
米空母からアベンジャー爆撃機が次々に父島に向かって出撃していった。
一方、父島守備隊は高射砲や機関砲で応戦し5機の米軍機を撃ち落した。
この内の1機が後の第41代米国大統領となるジョージ・ブッシュ中尉だった。
ブッシュは、からくもコックピットから脱出してパラシュートで離脱。
その後、味方の潜水艦に救助されたが、
同乗していた2人の乗組み員は行方不明となった。

43: 名も無き国民の声 2009/05/27(水) 12:58:19 ID:sMbbo6yG0

小笠原事件②

-終戦後の発覚-

昭和20年8月15日終戦。
9月2日に父島に米艦が到着し、
立花陸軍中将を正使、
森海軍中将を副使として降状手続きを行った。
この時、米軍側は開口一番、
「パラシュートで脱出した米軍パイロットは何名いたか。
その後、どうなっているか知りたい」との質問に日本軍側は、
「防空壕で全員爆死した」と回答。
これに対して米軍側は露骨に不機嫌な態度になった。

その後、日本兵の復員は順調に進んだが、
何故か的場陸軍少佐の大隊だけは復員が許可されなかった。
この時、米軍側は的場大隊以外の部隊から様々な情報を収集していた。
証拠固めができた昭和21年2月になって米軍側は、
「捕虜になった米軍パイロット達は、残虐行為の末に殺害され人食された。
この事件の主犯は陸軍では立花中将と的場少佐、海軍では、
森中将と吉井大佐である」としてグアムの軍事裁判に起訴した。
立花ら4人は大筋を認めて、小笠原事件に関与したとする
軍人ら25人が逮捕された。

44: 名も無き国民の声 2009/05/27(水) 12:59:24 ID:sMbbo6yG0

小笠原事件③

-カニバリズム-

一体、どのような経緯で捕虜の人食に至ったのか。
その後のBC級裁判で明らかにされた。
昭和20年3月に前任の師団長が自決。
その後、副官の立場にあった立花と森が中将に昇格。
全体の指揮権は立花が握ることになった。
立花中将の副官的存在が的場少佐であった。

的場は、気が荒く酒乱の傾向があり、
気に入らないことがあると部下を半殺しの暴行を加えて
周囲を恐れさせていた。実際に柔道、剣道など合わせて
10段以上の腕前と大きな体躯は周りを恐れさすには十分であった。
さて、ここで陸軍と海軍の高級将校達の酒盛りが連日行われた。

終戦末期の物不足の中、
貴重品である酒を連日酌み交わした。だが、゛つまみ゛が無い。
そこで、立花らは米軍捕虜の肉を食べて
戦意高揚を図ろうと軍医に捕虜の解体を命じた。
針金で大木に縛りつけた米軍捕虜に立花が、
「日本刀の凄みを披露する絶好の機会じゃ」と言って、
試し切りの希望者を募って殺害。

その後、遺体を解体させて宴会の゛つまみ゛にした。
後の日本兵の証言によると、米兵の手足の肉や内臓を立花が食べると、
「これは美味い。お代わりだ」とはしゃいでいたという。

結局、8人の米軍捕虜を殺害し人食したこの行為で、
立花、的場、吉井ら5人が絞首刑となった
(森は終身刑だったが、後のオランダ軍の裁判で死刑)。
吉井は軍事裁判で、「無差別爆撃する米空軍が悪い。
パイロットは処刑されて当然。人肉は戦意高揚のため食した」と供述。
更に、「日本軍の戦陣訓である、゛生きて陵辱の辱めを受けず゛・・・
という教えがあり、捕虜に対する行為は何をおいても許される」と主張した。

ジョージブッシュは、昭和天皇の崩御で「大喪の礼」に参列した後、
「初めて日本人を許す気になった」と語ったという。
それほどまでに、ブッシュはこの事件を
「戦時中に経験した最悪の時」として自伝に書き込んでいる。
もしあの時、ブッシュが米潜水艦に救助されていなかったら、
米国大統領になっていなかった可能性が大きい。
何故なら日本軍に食べられていただろうから。

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話4