国家総動員報

363: 名も無き国民の声 2009/07/10(金) 06:39:43 ID:3ACP+HImO

10年位前に聞いた当時勤めていた会社の会長の話。
どこか忘れたが部隊で行軍してて、
日も落ちある湖の近くで野営することにした。
その時、湖の水を使い飯ごうでメシ炊いて食ったんだと。
夜も明けて、その湖に顔洗いに行ったら、死体が至るところに。
それ以来飯ごうでメシ食えなくなったんだと。
365: 名も無き国民の声 2009/07/10(金) 14:19:34 ID:vvHae/Ex0

>>363

似た話だが、以前、働いていた会社の同僚
(定年後の再雇用かなんかでもうかなりの高齢)は、
ニューギニアで飛行艇に乗り組んでいた

ある日、遭難者を探している途中で、
機体が不調になってちょうど見かけた
島の河口に着水して一夜を明かすことになった
食事なんかろくに用意してなかったんで、
魚ぐらいは調達しようと浅瀬に入ったら
鰻が何匹も取れて、その夜はそれで腹を満たした

明るくなってから、その浅瀬を見ると
探していた遭難者の遺体があった
なるほど、鰻はこれに誘われたのかと合点がいった
魚に食われた遺体を見ることも、
食ったであろう魚を食うことも過去に経験済みだったから、
それは気にはならなかったが、だとしたら随分
きれいな死に様だなと思いながら、遺体を機体に運び上げた
すると遺体の腹がいきなりボコボコと動き出して、
体中の穴という穴から鰻が飛び出してきた……

それからは鰻だけはどうしても食えなくなったそうだ

366: 名も無き国民の声 2009/07/10(金) 16:41:50 ID:+UeyAz//0

孤高の鷲 リンドバーク第二次大戦参戦記 学研M文庫

以下抜粋

*各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し
異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、
米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて
投降してきても皆殺しにするから。

*あるところでは2000人ほど捕虜にしたが
本部に引きたてられたのはたった100か200だった。
残りのの連中にはちょっとした出来事があった。
それを知った戦友は投降したがらないだろう。

*捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。

*将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。
捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すと
お触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。
懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、
つかまらなかったと嘯くだけ。

*一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、
出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。

*捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、
ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。
ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら
生存者は一人もいなかった。

*2年以上実戦に参加した経験がない兵が
帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、
偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず
捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で
軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。

*爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の
日本兵の死体を投げ込みその後で
トラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。

http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-category-20.html

367: 名も無き国民の声 2009/07/10(金) 16:57:24 ID:+UeyAz//0

オーストラリアの歴史

受け入れ側の先住民にとって、
男女囚の比率が四対一の
アンバランスなことは大変迷惑であった。
最初に被害を被ったのはアボリジニーの女性である。
男囚の性欲を満たすための現地調達が行われたからだ。

オーストラリアは流
刑植民地だから、続いてきた
一般植民者も本国に容れられない落ちこぼれ、
ならず者、無法者が多かった。
これら白人にとって現地のアボリジニーは
野獣、野犬やねずみと同様、
考慮に値しない存在として虐殺が始まった。動物
狩りの対象としてアボリジニー狩りを楽しんだのである。

かくして最初の船隊が来てから
約100年後の1901年には、
先住民は6万7千人に激減してしまった。
オーストラリアの南端にあるタスマニア島の
アボリジニーは、もっとひどく、全滅させられてしまった。

タスマニア島は
四国と九州を合わせたくらいの広さで、
緑に恵まれた島である。
住民はオーストラリアから移り住んだアボリジニーで、
平和に暮らしていた。後からやってきた白人植民者に
先住民は邪魔とばかり、見つけしだいに射殺された。
当初3万7000人いたアボリジニーは、
1847年にはたった44人になった。

『侵略の世界史』 祥伝社 清水馨八郎  P179~P181

http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-category-37.html

380: 名も無き国民の声 2009/07/11(土) 07:43:02 ID:KJ9f7V/S0

■8.日本が自由になることを切望している■

こうして戦後処理のけじめをつけた
サンフランシシコ講和条約会議であったが、
国際社会に復帰する日本を温かく迎える声もあった。
セイロン(現スリランカ)の
J.R.ジャヤワルダナ蔵相は次のように演説した。

アジアの諸国民はなぜ、
日本が自由になることを切望しているのか、
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる
結びつきのゆえであり、また、植民地として
従属的地位にあったアジア諸国民が、
日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。

往事、アジア諸民族の中で、日本のみが
強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ
友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を
思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、
従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、
インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が
解放されるこ とを希望して、日本に協力した者がいたのである。

よってセイロンは日本に賠償を求めない、
とジャヤワルダナ蔵相は述べた。同様の趣旨で
インド、ラオス、カンボジアなどが賠償請求権を放棄した。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog206.html

381: 名も無き国民の声 2009/07/11(土) 07:54:09 ID:KJ9f7V/S0

■7.独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください■

インドネシアは、オランダの再侵略と戦い、
1948年にようやく独立を達成した。
58年に日本との賠償協定が成立したが、
インドネシア側では「経済力がないので助けてほしい」
という声とともに、一部には「独立できたのは、
日本軍が軍隊(PETA)を作ってくれ、
戦後も日本人が残って独立運動に参加してくれたからだ。
むしろ日本に感謝使節団を送るべきだ」という声も出た。

賠償交渉で来日したアルジ・カルタウィナタ国会議長は、
岸首相に「独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください。
日本が悪いことをしたから賠償をくれというわけではありません。」
と言った。さらに戦後の日本の国民生活を見て
「こんなにひどい貧乏な日本からお金を貰うのは辛いなぁ。
しかしこの働きぶりなら日本は必ず一流の国になると思うので
まず私たちを助けてください」と語った由。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog206.html

383: 名も無き国民の声 2009/07/11(土) 12:06:02 ID:q/siujzj0

>>381

これ貼ってる奴は感動話のつもりなんかな?

なんだかんだ言って、結局賠償は貰ってくじゃねーか。
アホか。そんなに感謝してるなら、むしろ日本に金払え。

384: 名も無き国民の声 2009/07/11(土) 15:52:10 ID:0NM0HdB10

まあ、負けたら駄目だ ってことでひとつ。

引用元:太平洋戦争中の不思議な・怖い話4