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1: ニカワ ★  2016/08/19(金) 03:06:54.88 ID:CAP_USER9

◆真珠湾攻撃で九死に一生得る

真珠湾攻撃で潜水艦の司令官を務め、後に巡洋艦「愛宕」艦長となった
高知市出身の海軍少将、中岡信喜さん(1895~1943年)の日記約20冊が
高知県内遺族から南国市の高知県立歴史民俗資料館に寄贈された。
兵学校時代から愛宕艦長として戦死する前日までの約30年間の記録。
真珠湾攻撃では潜水艦が鋼鉄製の防潜網にかかり、
死を覚悟した境地が生々しく記述されている。

中岡信喜
http://www.kochinews.co.jp/image/.jpg
父と家族の記念アルバムを手に持つ美智子さん。
「戦時中、父は日本に米軍の飛行機が
来るようになったらおしまいだと言っていたようだ」(安芸郡東洋町)
http://www.kochinews.co.jp/image/.jpg

中岡信喜さんは高知市の農家の次男に生まれた。
陸軍に入った兄の代わりに家を継ごうと地元農林学校に進むが海軍を途中で志し、
海軍兵学校、海軍大学校へ。兵学校時代から日記を書き、1913年元旦から、
亡くなる1943年までほぼ毎日記した。

真珠湾攻撃(1941年)では航空攻撃と併用し、
特殊潜航艇の魚雷攻撃も計画された中岡さんは、
航空攻撃後に湾外に脱出した米艦に攻撃を加える潜水艦部隊で司令官を務め、
「伊号第69潜水艦」に乗艦した。当時の事は中岡の部下、板倉光馬が刊行した
「あゝ伊号潜水艦」(光人社)に詳しい。米艦の攻撃に失敗して
逃走した際に防潜網にかかり離脱に2昼夜苦闘し、生還できた逸話が残っている。

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.kochinews.co.jp/article/43065/
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