国家総動員報

2ちゃんねるの軍事関係のスレをまとめています。 その他、大日本帝国時代を懐古する様なスレもまとめています。 過激ではなく穏やかに保守の思想を貫きます。

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掃海任務

戦後の機雷除去で殉職した79名の追悼式が営まれる 元掃海隊司令、安保法制に「心配」

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1: 海江田三郎 ★ 2015/05/31(日) 18:03:57.50 ID:???*.net

太平洋戦争の終戦後、日本近海に残った機雷の除去(掃海)などで
殉職した79人の顕彰碑が、海上安全にゆかりのある
金刀比羅宮境内(香川県琴平町)に建っている。

政府は安全保障関連法案の審議で、
中東ホルムズ海峡での機雷掃海を集団的自衛権行使の事例に挙げる。
時代が変わっても掃海作業は危険を伴う任務だ。
安保論議を見守る遺族や海上自衛隊関係者は
「二度と殉職者を出してはならない」と訴える。

防衛省によると、米軍などは太平洋戦争中、
日本近海に約6万7000個の機雷を仕掛けた。
旧海軍省は1945年10月、掃海隊を編成して機雷の除去作業を開始。
52年に全国の主要航路・港湾で安全宣言が出されたが、
その間、作業中の爆発事故などで78人もの命が失われた。

顕彰碑は全国の港湾都市の首長が発起人となって52年に建立された。
縦約6メートル、横約2.4メートルの巨大な石碑で、
碑文は吉田茂首相(当時)が揮毫(きごう)した。
63年に掃海訓練中に事故死した海自隊員1人を含めて79人の名を刻み、
毎年初夏に追悼式が催されている。

残存する機雷の掃海作業は、海自が引き継いだ。
元掃海隊司令の松藤信清さん(67)=同県呉市=は
「安倍首相がはっきり答弁しないので思惑がよく分からないが、
法整備で自衛権の発動が明確化されるのはありがたい。
できるだけしっかりした任務や目的を与えてほしい」と話す。

掃海技術は時代を追って格段に向上し、安全性も高まった。
91年には湾岸戦争後のペルシャ湾に海自の掃海部隊が派遣された実績もある。
それでも松藤さんは「心配がないかというと、うそになる」と複雑な心境を語る。

今年の追悼式は30日午前に営まれ、
遺族や掃海部隊OBら約280人が参列。犠牲者の冥福を祈った。

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://mainichi.jp/select/news/20150531k0000e040093000c.html
関連記事
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昭和20年:政府「機雷にぶつかる人募集。1万円で」一般人「絶対嫌」旧日本兵「 やります 」→世界でも稀な“肉弾掃海”実地へ

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1: 足4の字固め(静岡県)@\(^o^)/ 2015/05/27(水) 15:25:19.84 ID:csKfY99M0.net BE:218927532-PLT(12121) ポイント特典

旧海軍出身者が引き受けた「肉弾掃海」 復興を助けた自己犠牲の精神

「人の命1万円で買います」
こんな見出しが新聞に登場したのは終戦の年(1945年)の冬だった。
港が使えるようにならなければ復興は始まらないが
「安全宣言」を出すまでに一体あとどれくらいかかるのか見当もつかず、
休日返上でひたすら掃海作業を進めている最中のことだ。

「試航船乗員募集」新聞記事はそう続く。
「試航船」とは自ら危険海面を航海し、触雷することで
機雷を処分しようというものであった。この特攻さながらの試みは「肉弾掃海」と呼ばれ、
破格の待遇と別途危険手当1万円が付けられた。

しかし、誰もが貧しかった時代とはいえ、
いくら高額な手当が付いても、戦争が終わったというのに
自ら機雷に当たりに行こうという者は民間にはいなかった。
まして、民間船は戦時中に多くの犠牲者を出した経験もあり、
労働組合が力をつけていたことから、結局、この危険な仕事を引き受けたのは
旧海軍出身者たちだったのだ。

一度は国に捧げた身、
水漬く屍(みづくかばね=海行かばの一節)となる覚悟はあったものの、
すでに世の中が手のひらを返したように平和を謳歌(おうか)し、
御国のために死ぬなんてバカげているといった空気が生まれていたころである。

誰もが躊躇(ちゅうちょ)しなかったと言えば嘘になるだろう。

しかし、「やはり俺たちがやらねば」と立ち上がった人たちがいたのだ。

当時の回顧録には「多くの戦友が眠る海に、もう一度行かねばならぬ」とある。
日本の価値観はガラリと変わったが、実際に復興を助けたのは
こうした自己犠牲の精神だったのだ。

日本人はあたかも自然に国が立ち直ったかのように思っているようだが
違うのだ。

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150527/plt1505270830001-n1.htm
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