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1: 名も無き国民の声 2018/01/05(金) 02:32:00.64 ID:CAP_USER9
 
日本史上「最古の元旦」の記録は、
神武天皇(神日本磐余彦=かむやまといわれびこ=)の即位にまつわる
『日本書紀』の記事だ。「辛酉年(しんいうのとし、西暦紀元前660年)」に
畝傍山(うねびやま、橿原市)の東南の麓に橿原宮(かしはらのみや)を建て、
王位に就いたのだ。「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年で、
中国の讖緯説(しんいせつ)によれば、革命的事件が起きるとされている。
だから『日本書紀』編者は、初代神武天皇の即位年にふさわしいと考えたのだろう。 
  
そこで今回は、神武天皇の即位に注目してみよう。 
近年、神武天皇は次第に軽視されるようになってきたと思う。
まず、今から2600年以上も前に即位したという『日本書紀』の話は、明らかな作り話だ。
弥生時代(あるいは縄文時代)に国の中心がヤマトに存在したはずがない。 
  
一方考古学の進展によって、ヤマト建国の詳細が分かりはじめてくると、
神武の謎はむしろ深まった。三輪山(奈良県桜井市)山麓の扇状地に、
3世紀から4世紀にかけて、政治と宗教に特化された都市・纒向(まきむく)遺跡が出現していて、
ここにヤマトが建国されていたことが分かってきたが、
そうなると「神武天皇は橿原に宮を建てた」という『日本書紀』の設定にも、
疑念が湧いてくる。実在の初代王は第10代崇神天皇で、
神武と崇神は同一人物と通説は言うが、それならなぜ、神武は崇神と同じように、
盆地の東南部、纒向遺跡の近くに宮を建てなかったのだろう。 

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