不屈のジャーナリストでNHK解説室主幹だった
京都府木津川市山城町上狛出身の故柳沢恭雄さんを地元で知ってもらおうと、
上狛出身の研究者が文献などを調べて地域誌で発表している。
柳沢さんには終戦の日、戦争を続けようとクーデターを起こした
陸軍の一部に決起放送を流すよう要求されたが、拒否した逸話が残る。
研究者は「地元にこのようなすごい人がいるのに知られてこなかった」と
今後もさまざまな形で紹介する考えだ。
■終戦の日、畑中少佐の決起放送拒否
柳沢さんは、1945年8月15日、日本放送協会報道部副部長として
東京・内幸町の放送会館にいた。クーデターを起こした陸軍の一部は
無条件降伏を伝える昭和天皇の玉音放送を阻止し、
決起について放送させようと放送会館に押し入った。
その際、柳沢さんは現・京丹波町出身の畑中健二少佐に拳銃を突き付けられたが、
拒み通したとされている。このクーデター未遂は映画「日本のいちばん長い日」でも描かれた。
柳沢さんは、戦後のレッドパージで日本放送協会を追われた後、
日本初のテレビニュース通信社・株式会社日本電波ニュース社を1960年に創設した。
62年にはベトナム民主共和国(北ベトナム)のハノイで当時のホー・チ・ミン主席に
インタビューするなどジャーナリストとして活動し、2007年に98歳で亡くなった。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://kyoto-np.co.jp/top/article/20160822000075
6: 名無しさん@1周年 2016/08/23(火) 07:05:15.15 ID:5d4hVO9s0
>>1
「日本のいちばん長い日」ですね