国家総動員報

2ちゃんねるの軍事関係のスレをまとめています。 その他、大日本帝国時代を懐古する様なスレもまとめています。 過激ではなく穏やかに保守の思想を貫きます。

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貴重資料

戦時下、検閲前に「内閲」出版検閲の実態を解明する第一級資料発見!

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1: 紅あずま ★ 2016/09/25(日) 10:32:44.48 ID:CAP_USER9

戦中、検閲前に「内閲」 中京大教授調査 

戦前から戦中にかけ、出版物の検閲を担っていた当時の内務省が、
雑誌などに掲載予定の原稿を事前に読んで掲載可否を判断した
「内閲」と呼ばれる業務の痕跡を示す「校正刷り」が、東京都目黒区の
日本近代文学館に保管されていることが分かった。
戦時下での出版検閲の実態を解明する上で貴重な資料だ。

校正刷りは、直木賞作家の故・小山いと子さん(一九〇一~八九年)が
日中戦争の始まった一九三七(昭和十二)年、雑誌「日本評論」の依頼で執筆した
小説「指にある歯型」の計二十枚。同館の依頼で調査に当たった
中京大文学部の浅岡邦雄教授(68)=近代出版史=によると、
一枚目に「図書課長」「事務官」「理事官」の印があり、
旧内務省図書課による内閲業務の跡と判明したという。

<続きます>
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【皇室】孝明天皇の還幸を詳細に描いた掛け軸発見 京都(画像あり)

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1: 孤高の旅人 ★ 2016/02/25(木) 22:45:19.12 ID:CAP_USER*.net

孝明天皇の還幸、詳細に描いた掛け軸発見…京都

嘉永7年(1854年)の大火で焼失し、再建された御所に、
孝明天皇の行列が戻る様子を同時代の絵師が描いた掛け軸が、
京都市内で見つかった。

明治維新史を研究する霊山歴史館(東山区)は
「大火後の孝明天皇の還幸かんこうを描いた絵は非常に珍しい。
細部が忠実に描写され、当時を知る上で貴重」としている。

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豊臣家は滅亡したが徳川家の旗本に残った「羽柴家」の謎

b997

1: 名無しさん@涙目です。(静岡県)@\(^o^)/ 2016/01/21(木) 19:36:01.76 ID:if8auZZe0.net BE:218927532-PLT(12121) ポイント特典

羽柴秀吉が、家臣の武将、脇坂安治に宛てた書状33通が見つかった。
兵庫県たつの市立龍野歴史文化資料館と東京大が21日発表した。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ1P5T15J1PPTFC012.html

113: 名無しさん@涙目です。(庭)@\(^o^)/ 2016/01/21(木) 20:20:38.61 ID:Q/wu/Ax70.net

クソ細かいってのは裏返せば相手を信頼してない
なぜ信頼できないのかといえば、自分がそういうことしてきたから
ヤッたね

116: 名無しさん@涙目です。(愛知県)@\(^o^)/ 2016/01/21(木) 20:21:29.38 ID:lP8ZNPkf0.net

>>113

家康の事か
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秀吉が脇坂安治に宛てた書状見つかる「ワシは信長のように甘くないぞ」

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1: 名無しさん@涙目です。(静岡県)@\(^o^)/ 2016/01/21(木) 19:36:01.76 ID:if8auZZe0.net BE:218927532-PLT(12121) ポイント特典

羽柴秀吉が、家臣の武将、脇坂安治に宛てた書状33通が見つかった。
兵庫県たつの市立龍野歴史文化資料館と東京大が21日発表した。

「天下人」の書状がまとまって確認されるのは異例。
天下統一や朝鮮出兵の過程での細かな指示ぶりや
叱責(しっせき)を飛ばしていた様子がうかがえるという。

書状は織田信長が本能寺の変で倒れた後の約10年間分で、
信長の次男・信雄(のぶかつ)や徳川家康と覇権を争った
小牧・長久手の戦いや越中の佐々成政攻め、九州の島津攻め、
朝鮮出兵などに関する内容。

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「会津松平家」容保と「慶喜の実弟」喜徳の写真発見 青森の藩士子孫宅から

b553

1: ニカワ ★ 2015/12/07(月) 18:41:09.05 ID:CAP_USER*.net

幕末の第9代会津藩主で、
京都守護職を務めた松平容保(かたもり)(1835~1893)と、
江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の実弟で容保の養子として第10代会津藩主となった
松平喜徳(のぶのり)(1855~1891)の写真が
青森県内の旧会津藩士の子孫方から見つかったことが4日、分かった。
いずれも現存数が少なく、発見した幕末史家の伊藤哲也氏(46)によると
貴重な史料という。

戊辰戦争で敗れた旧会津藩は1869(明治2)年11月、
青森県で斗南藩として再興が許された。
写真は移住した旧藩士の子孫方の蔵から7月に発見された。

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坂本龍馬の「長刀兵法目録」公開へ!北辰一刀流から授与

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1: ◆HeartexiTw 胸のときめきφ ★ 2015/11/07(土) 20:28:03.17 ID:y0WKCZ3a*.net BE:348439423-PLT(13557)

幕末の志士・坂本龍馬(1835~67年)が剣術の流派
「北辰(ほくしん)一刀流」から授与された免状「長刀兵法目録」が
今月13日から、高知県香南市のテーマパーク「アクトランド」で一般公開される。
個人所有だったが、入手した同ランドが幕末維新史に詳しい
京都国立博物館の宮川禎一・列品管理室長に初めて本格的な調査を依頼した。
「まだ無名だった龍馬の江戸での修行時代を伝える一級の史料だ」としている。

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://mainichi.jp/select/news/20151108k0000m040057000c.html
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江戸川乱歩の手記発見!創作の苦悩つづる「私にとつて今、小説作りはおぞましき現実である」

b124

1: すらいむ ★ 2015/10/18(日) 22:35:56.01 ID:???*.net

江戸川乱歩の手記発見 創作の苦悩つづる

作家の江戸川乱歩(本名・平井太郎、1894~1965年)が
36年に記した未発表の手記が見つかったことが18日までに分かった。
通俗小説や探偵小説の執筆に追われながら創作に悩み、
ニーチェの哲学書をひもとく様子もつづっている。

「独語」と題された手記は、36年6月18日から7月5日にかけての
日記形式で原稿用紙38枚。欄外に「発表せず」と書かれていた。
今から十数年前に遺族が立教大に寄託し、
成蹊大の浜田雄介教授らが基礎調査をした際に見つかった。

乱歩は「月極めの通俗探偵小説を先月休載した。
今月も危く休みかけてゐる所だ。併しそれでは家計が出来ないから、
強いて書かうとしてゐる」と行き詰まりを率直に吐露。
「私にとつて今、小説作りはおぞましき現実である」ともつづる。

一方、アンドレ・ジードや小林秀雄など同時代の作家や批評家を挙げ、
「新らしい興味が湧いてゐる時は、永生きがしたくなる」と
読書欲が尽きない様子もうかがわせる。
また、ニーチェの「悲劇の誕生」を読み返し
「私の従来ひきつけられた芸術上の性格の源が
凡てニイチエにあつたやうな気がする」と記した。

浜田教授は「自分の表現を探求し、
文学として探偵小説を考えていたことがうかがえる。
書きたいものが思うように書けず、違う方向に向かっているつらさ、
表現者としての内面の孤独が伝わってくる」と話す。

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H71_Y5A011C1CR8000/?dg=1
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俳人・松尾芭蕉の句、米で見つかる!初期懐紙、直筆か

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1: あずささん ★ 2015/10/13(火) 20:32:14.20 ID:???*.net

米シアトル美術館で展示中の懐紙が、
江戸時代の俳人松尾芭蕉の直筆のものとみられると
清泉女学院大(長野市)の玉城司客員教授(近世俳諧史)が13日までに確認した。
これまで見つかっていない句が書かれており
「芭蕉が40歳以前の活動初期のものとみられ、大変貴重な史料」としている。

懐紙はシアトル在住の男性が所蔵。
芭蕉と当時の茶人杉木正英(普斎)が俳諧やわび茶を通して
互いに心を通わせ合うやりとりが記されている。

「我しのふあるしは蔦の さひや哉」という発句と、
正英の「初発心芭蕉の雨をいらへけり」という
句を受けた脇句「木槿を折て盃に指」が芭蕉の未確認の句とみられる。

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2015101301002006.html
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“稀代の戦略家”秀吉の一端を垣間見る!ポルトガル「エヴォラ文書」複製初公開

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1: あずささん ★ 2015/09/30(水) 18:07:04.50 ID:???*.net

安土桃山時代に日本からポルトガルへ渡った
屏風(びょうぶ)の下張りの紙に記されていた「エヴォラ文書」の複製品の一部が、
10月4日に京都市上京区の仁風庵の講演会で初公開される。

豊臣秀吉の天下統一戦略を読み解く史料もあり、
文書の修復事業に取り組んだ星槎(せいさ)大教授のエッセイスト、
伊藤玄二郎さん(71)=神奈川県=は
「400年の時を超えた発見を京都の人にもぜひ見てほしい」と話している。

同文書は、戦国時代に来日した宣教師が土産として
ポルトガルに持ち帰った屏風の下張り紙に使われていた。
当時の日本の状況が記されている文書もあったが、
劣化を知った伊藤さんを中心に保存プロジェクトが始まった。
京都国立博物館の文化財保存修理所で修復して、文書の原本はポルトガルへ戻した。
さらに、それらの文書を複製。その中から本能寺の変(1582年)後の
秀吉の動向を記した文書を中心に約10点を公開する。

1583年の秀吉側近の書状では、
柴田勝豊に長浜城を開城させた秀吉の上洛日程をほかの
家臣に問い合わせ、急がせる内容が読み取れる。
1585年の書状は、北陸で佐々成政と争う中で、
加賀松任町(現在の石川県)の町民が佐々側に売るはずの馬を
秀吉方に引き渡すことを示した内容。
秀吉の調略が地域に行き渡っていたことが分かるという。

ほかに、イエズス会の巡察使ヴァリニャーノの講義録や
ルイス・フロイスの手紙などの複製も展示する予定。
伊藤さんは「明智光秀を討ってからの秀吉の動きを文書からみると、
秀吉がいかに戦略家であり、政治家であったかよく分かる」と話している。 

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20150930000110

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従軍作家の代表格・火野葦平氏が軍に批判的な証言「軍人の腐敗を見て戦争には勝てないと思った」

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1: 孤高の旅人 ★ 2015/08/11(火) 06:41:10.86 ID:???*.net

従軍作家・火野葦平が軍に批判的な証言

日中戦争に従軍した体験を基にした
小説「麦と兵隊」などで知られる作家の火野葦平が、
終戦から3か月後にアメリカの調査団から聞き取りを受け、
軍に批判的な証言をしていたことが分かりました。
専門家は、軍の立場に近かったとされる
火野の当時の心情をうかがう貴重な資料だとしています。

日本への空襲の影響などを調べるアメリカの調査団は、
戦後まもなく全国各地の市民など4000人以上を対象に聞き取り調査を行い、
当時の記録の写しが東京の国立国会図書館に残されています。

火野葦平に対する調査の記録は、山口県下関市の高校教諭が6年前に見つけ、
昭和20年11月に福岡市で行われた聞き取りの結果が、
日本語で6枚、英訳で5枚にまとめられています。

この中で火野は、太平洋戦争中の昭和19年以降、
当時の日本軍の兵士が日本の本土で民間人の財産を強奪したり
女性に乱暴したりするなど規律が乱れていたと証言しています。

そのうえで、「軍人の腐敗を見て戦争には勝てないと思った。
もし勝つにしてもこのままでは勝ってもらいたくなかった」と
軍を批判することばを述べています。

火野は、日中戦争に従軍した体験を基にした
小説「麦と兵隊」など「兵隊三部作」と呼ばれる作品を発表し、
太平洋戦争でも旧陸軍の報道部の一員として海外での作戦に従軍しました。
記録は、当時、軍の立場に近かったとされる火野が
軍に批判的な考えをもっていたことをうかがわせる資料として注目されています。

火野の文学と戦争との関わりを研究している関西大学の増田周子教授は、
「戦後すぐの火野の気持ちを赤裸々につづった非常に貴重な資料だ」と話しています。

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150810/k10010185141000.html  
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