1: ◆sRJYpneS5Y 2014/12/02(火)00:57:16 ID:???

きょうから師走。この季節になると、「忠臣蔵」を思い起こす人
は多いだろう。亡き主君の無念を晴らすため吉良邸に討ち入った
話は今更語るまでもないが、四十七士の呼び方にまつわる、
地元・赤穂ならではの“しきたり”をご存じだろうか-。(小林伸哉)

 筆者は神戸出身。3年前、赤穂支局に赴任する際、「赤穂浪士の
ことも勉強しないと」と意気込んでいると、前任の記者にたしなめられた。
「赤穂で『浪士』なんて言っていると怒られますよ」

 以来、気を付けてきたが、果たして本当だろうか。

 「ええ、かつては怒る人がたくさんいました」と話すのは、四十七士を
祭神として祭る大石神社(赤穂市上仮屋)の飯尾義明宮司(65)。
テレビなどで「赤穂浪士」と表現されるたび、「明治生まれの氏子総代が、
『いつまでたっても“義士”と言ってくれない』と怒っていた」という。

 「年配の世代は、特に思い入れが深い。誇りを持って『義士』と呼ぶんです」

全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/201412/0007546490.shtml

2: 名無しさん@おーぷん 2014/12/02(火)01:04:00 ID:47W

つうかさ、在日マスコミの嘘とか偏向を考えるに
本当は吉良上野介が善玉だったんじゃねえの?
って思ってしまうんだよな

5: 名無しさん@おーぷん 2014/12/02(火)04:11:31 ID:Yli

>>2

最近評価が覆りつつあるからな
そもそも義士って連想されるのがね

一方的に悪役にされた吉良は、
実際には領民に慕われていた良き殿様だった
しかも、浪士の子孫を自称する輩に妙なのがいるので
どうにも穿って見てしまう今日この頃
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