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1: 名も無き国民の声 2018/09/02(日) 20:20:21.27 0
 
重光は敗戦直後に組閣された
東久邇宮稔彦王内閣で外務大臣に再任され、
日本政府の全権として降伏文書に
署名するという大役を引き受ける。
1945年(昭和20年)9月2日、東京湾上に停泊した
米国の戦艦・ミズーリ甲板上で行われた
連合国への降伏文書調印式において、
大本営代表の参謀総長梅津美治郎と共に
日本全権として署名を行った。重光はこれを
「不名誉の終着点ではなく、再生の出発点である」と捉え[3]、
その時の心境を「願くは 御國の末の 栄え行き
我が名さけすむ 人の多きを」と詠んでいる。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%E5%89%E8%B5
https://this.kiji.is/408758819168093281?c=
110564226228225532


2: 名も無き国民の声 2018/09/02(日) 20:20:38.38 0

重光葵は日本の敗戦を国辱と思い、
それに調印する我が身もまた国辱と思った

でも、現代の人間がこの写真を見て思うことは
「戦争が終わって良かったねー」だろう
「日本が戦争に負けて恥」と思う人は極めて少ない

引用元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1534591313/
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