大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が
世界文化遺産の国内候補になったことで、「仁徳天皇陵」や「応神天皇陵」などの
陵墓が注目されている。だが、宮内庁が被葬者としている
天皇や皇族には、学術的には疑問も少なくない。
陵墓とは、歴代の天皇・皇后の墓である「陵」と、皇族が葬られた「墓」の総称だ。
宮内庁のホームページによると、同庁は現在、188の陵と555の墓、
46の陵墓参考地(陵墓の候補地)など、計899件を管理している。
宮内庁は一般の人の陵墓古墳への立ち入りを禁止している。
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産候補となった際にも
「引き続き皇室の祖先のお墓として、地域と協力をしながら適切な管理を行っていく」
としており、登録が実現しても一般公開などは難しそうだ。
大阪府と地元3市でつくる「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議」は、
宮内庁が天皇陵に指定する古墳を「仁徳天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」などと呼んでおり、
考古学者や歴史学者から批判の声があがっている。天皇陵の指定は幕末から明治にかけて、
8世紀の「古事記」「日本書紀」(記紀)や10世紀の「延喜式」の記述を元に進められており、
現在の学術的な年代観とは矛盾するものも多いためだ。
例えば、履中(りちゅう)天皇陵に指定された堺市のミサンザイ古墳は、
埴輪(はにわ)の分析による年代では5世紀前半の築造とされる。
一方、履中の父・仁徳天皇の陵とされる大山古墳は5世紀半ばの築造。
「日本書紀」には父の6年後に亡くなったと記された履中の墓の方が古い。
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